『日本経済新聞』の世論調査関連記事,その一種の摩訶不思議さは原発関連記事の報道姿勢に通じるものでもあるのか
※-0 関西電力の原発志向は21世紀におけるエネルギー問題の本質的動向を見誤った選択
a) かつて「原発ルネサンス」という行事が起こされていた。それは2000年代に米欧を中心に巻き起こった原子力発電を再評価する動向であった。 1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故などを受けて停滞気味となっていた原子力開発だが,当時,エネルギー需要の拡大や環境問題などを背景に,建設計画が相次いでいた。
この動きが起こるまでの「原発事故後のその間」は,だいたい15年から20年であった。
b) 2011年に東電福島第1原発事故が起きていた。ところが,2022年に「ロシアのプーチン」がウクライナ侵略戦争を始めると,LNGや石油の価格が高騰しがちになり,かつ不安定にもなったエネルギー事情を踏まえて,炭酸ガスをあまり出さないなどといった「原発に対する近視眼的・短絡的な再評価」(実際にはほとんどフェイクである評価にすぎない)をくわええたつもりになってか,原発の新増設,しかも3倍にするとまで唱えだした。
この発言が起こるまでの「原発事故後のその間」は,だいたい10数年であった。
c)「羮に懲りて膾を吹く」ということわざとはまったく無縁の「ヴィヴァ原発組たち」が所属する原子力村的な発想が,またもや原発,原発だ,それも炭酸ガス発生を抑えられる発電方式なのだから,などと根拠のありえない主張を始めだした。いったいなにをトチ狂ったのか,最近,後段に紹介する宣言まで出ていた。
いま注意しなければならないのは,炭酸ガスを少ししか出さないという電源だとされる「原子力による発電方式」は,建設から稼働,廃炉といった非常な長期間にわたる産業工程を経ていくが,実は,温暖化の問題には通常の火力発電と大して変わらぬ〈負の貢献〉をしてきた事実を,絶対に忘れてはならない。
d) 原発のとくに廃炉会計の研究がようやく着手されはじめたが,この研究が警告する点は,「原発は,企業会計の方途として観ると,すでにその自爆が示唆される結果しか予測されない」,といったらよいような深刻な未来に向かっている。
冗談どころか,原発を3倍にも2050年を目標に増やす,それも世界中で増設してなどというのは,チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故のような大事故をもう一回,三度まで起こしたら,この地球環境はまたもや大々的に破壊されるだけでなく,まるで再びわざわざ人体実験をするかのようにして,人びとを「殺しにかかる」ような,危険な計画でしかありえない。
e) 世界次元の原子力村的な発想をする人びとは,本当に原発の怖さをしっているのか疑問である。
『原子力産業新聞』2023年12月3日,https://www.jaif.or.jp/journal/culture/cop28/20741.html から引用するのは,つぎの記事である。
補注)小型モジュール炉(SMR)については採算や危険の問題で,従来の原発にまつわる諸問題を拡大再生産するものだと危惧されている。だが,このような指摘(心配)など平気の平左で,このさき25年ほどで「2倍どころか3倍にまで」原発を増やすというのだから,この地球を破壊していくつもりか(!)とまで批判しておく必要がある。
日本をみればよい。核燃料サイクルの目玉である高速増殖炉はいまだに成功する見通しすらない。ほぼ全滅状態だが,いまだにこだわっているのが,その仕事じたいになっている。
こうなると,トイレのないマンション状態のまま,廃炉になった原発から廃棄される放射能汚染物質の後始末は,いまだに宿無し状態なのである。ところが,それでも「日本も原発を増やす」というのかだから,まさに気違い沙汰といってもけっして極論ではない。
〔記事に戻る→〕 また原子力プロジェクトに対するファイナンスについても取り上げ,世界銀行を筆頭とする国際金融機関並びに各国の金融機関などに対し,融資対象に原子力を含めることを奨励している。
そのほか,宣言に盛りこまれた取組内容は,以下の引用(★印の5点)にも示すとおり〔だといわれているのだが〕,このうち日本の場合,満足に条件を満たしている項目は,原発の稼働期間を伸長させる「もくろみ(たくらみ?)」だけであったから,正直いって呆れる。
なかんずく,「原発会計の基本問題」〔は原発の根本的なムリ・ムダ・ムラをすでに警告している〕を,それも完全にないがしろにした「COP28:世界の原子力発電設備容量を3倍」の狙いである。ある意味ではかなり幼稚に原発イデオロギーを先行させた提言になっている。
そして,これら取組の進捗状況をCOPの場で毎年レビューするとしている。(引用終わり)
f) つぎは『日本経済新聞』の記事を画像資料で紹介する。本ブログからの批判点は,余白に赤字で記入してある。一言でいって,これは「時代錯誤になるエネルギー関連の動向」を意味する。
※-0のこの記述から※-1の記述は「原発の問題」から「世論調査の問題」に移るので,いったい,どのような前後の関連があるのかと疑問を感じるかもしれない。だが,さらに※-3にまで進むと,記述の内容がぐるりとまわって再度,「原発の問題」に回帰する構成になっている。この点はまえもって断わっておきたい。
※-1 2023年12月に実施された各紙(各社)の世論調査から「内閣支持率10%台」を出だしていた『毎日新聞』『時事通信』の世論調査「結果」は,その数字が20%台ではないから(!)除外したのか(?)という奇妙な感想を抱かせた
本日のこの記述は,『日本経済新聞』2023年12月19日朝刊「世論調査記事」の手前味噌さかげん,すなわち,内閣支持率20%台の他社世論調査はとりあげてそれらしく議論するが,『毎日新聞』と『時事通信』が出した10%台の内閣支持率は完全無視(なのか?)で記事を書く,無神経というか傍若無人の,つまり横柄で傲慢な報道姿勢(???)に関心を向けて書くことにした。
本ブログは2023年12月の18日,19日の両日の記述を,本論としてではなく前論において言及する内容としてであったが,この12月において各社がおこなった世論調査に関して,その核心となる話題「内閣支持率」を,それぞれとりあげていた。
ただ,いきがかり上,『読売新聞』のそれはまだ触れていなかったが,その内閣支持率に関する各紙(各社)の数字は,以下の記述のなかでも出てくるが,まえもって以下に陳列しておく。
ということで,本日の話題は,以上のごときに並べてみた各紙(各社)のこの12月世論調査における内閣「支持率と不支持率」の比較・対照を踏まえたうえで,『日本経済新聞』12月19日朝刊4面「政治・外交」欄に掲載された「調査(?)記事」の内容には驚かされた,という点をめぐっての議論となる。
自社による世論調査の結果,とくに内閣支持率に関してなのだが,20%台を出した各紙(各社)の数字だけを比較・対照にとりあげ,10%台を出していた『毎日新聞』と『時事通信』は完全無視という,いわば恣意的で無茶苦茶にも感じられる観点を,読者に向けて密かにかつ勝手に堂々と発信し,送りこんでいた。
その『毎日新聞』と『時事通信』による12月「世論調査」の内閣支持率を文章:記事でもって,以下に紹介しておく。
a)「岸田内閣支持率16% 不支持率79% 毎日新聞世論調査」『毎日新聞』2023年12月17日〔14:17,更新 12/18 08:49〕,https://mainichi.jp/articles/20231217/k00/00m/010/054000c は,冒頭でこう報じていた。
先回りして断わっておくが,この『毎日新聞』による世論調査がこのような日程でおこなわれ記事にされ公表されることは,日本経済新聞社にかぎらず他社・各紙であっても先刻承知の日程であり,重々理解している。
この『毎日新聞』としてはもっとも高い「内閣・不支持率79%」という数字は,内閣支持率16%」のほうにまずさきに注目が必要であるのは当然だとしても,ものすごく高い「不支持率の比率」である。
b) つぎに,『時事通信』2023年12月14日17時02分,https://www.jiji.com/jc/article?k=2023121400750&g=pol の配信記事「岸田内閣支持17% 裏金疑惑で続落,不支持58%―自民支持も2割切る・時事世論調査」は,冒頭でこう報じていた。
『毎日新聞』も『時事通信』もこの12月に実施した世論調査では,以上のとおり10%台の内閣支持率を出していた。
『日本経済新聞』の世論調査に関する「調査(解説?)記事」(前掲したもの)は,各紙の12月における世論調査が出そろうのを「待つとか待たないと」はまた別個に,結果的には内閣支持率20%を出した各紙(各社)のその数字だけをとりあげ,10%を出した2社,『毎日新聞』と『時事通信』の数字は排除=無視したかったのか,という推理を排除できない「報道姿勢」を示した。
※-2 『日本経済新聞』の原発に対する報道姿勢に通じるなにかがあるのかとまで考えさせる,以上(※-1)のごとき世論調査「内閣支持率」のあつかい方には疑問だけが残った
日本経済新聞社の原発に対する報道は,原子力村の一員である立場に忠実な姿勢を,それも露骨に示す方途一辺倒で来た。
そうした一辺倒だけの態度は,現政権に対する世論調査が,その支持率において10%台ときびしく出していた数字を報道する『毎日新聞』と『時事通信』の当該記事を,「調査(解説?)記事」のなかでは,もしかしたらあえてそうしていた(外していた)のかとまで推理させる。
そもそも不可解な記事の内容構成であったが,『毎日新聞』と『時事通信』の世論調査「結果:内閣支持率10%台」の結果報告は,最初から関心を示さずもちださなかったというべきか,いささかならず奇怪な記事作り(執筆の構想)をしていた。
『日本経済新聞』の※-1でとりあげた記事に疑問が残るのは当然であって,内容として「問題」があり,つまり「必要かつ十分なその中身になっているか」という〈疑い〉を抱かせるのは,当然に過ぎていた。
さて,ここでは,反原発の立場を基本にした報道姿勢を堅持する『東京新聞』がたとえば,この秋からとりあげてきた原発事情に関した記事からいくつ拾いあげ,少し議論してみたい。
a)「40年超の老朽原発,今後3年で7基に 福井・高浜原発は知事が運転継続容認 鹿児島・川内原発では住民投票の動き」『東京新聞』2023年10月14日 06時00分https://www.tokyo-np.co.jp/article/283562 という記事がこう述べていた。
『日本経済新聞』は「経済の論理(営利追求の方針・立場)(利潤:儲けという推進的動機)」を,「財界新聞」という観点から尊ぶほかない「編集方針」(社是?)を有することは,あえて贅言するまでもなく「自明の理」であった。
そうであるならば,原発という装置・機械は当初,30年程度に実質的な耐用年数を想定していたものが,実際に発電に利用されてくると,これに欲を出して,40年くらいは稼働させるつもりなっていた。ここまではまだよかったものが,こんどはさらに60年までそれを延長させる手順に変更していた。
しかも「調子に乗って」「稼働そのものをしていなかった期間(経過年月・時間)は除外した年数」として,その耐用年数を計算させろと要求され,これにしたがい変更した。
「経済の論理」が「技術の論理」を超越してしまい,工学原理上の思考方法から脱出できたつもりになってなのか,とんでもなく非常識で無鉄砲な「原発寿命の延長戦術」が,しかも小手先でイジクリまわされ,そうやって変更(延長)された。
耐用年数を「実際に稼働していた期間(時間)の累積分」だけで計算(計上)しておけといったごとき,「技術経済的に脱線(逸脱)した発想(欲望)」が,本当に実現している。
だから,専門の当事者のなかからは,その耐用年数(?)を60年にして認めたさい,それでは「あれこれ事情があって長く未稼働の期間・時間を経てきている原発ほど」「有利になる」要因が生まれると指摘し,むしろ装置・機械としては「危険性」⇒「事故を起こしやすい原因」を逆に,わざわざ高める可能性を認めたとする意見も出されていた。
その実例のひとつが東電の柏崎刈羽原子力発電所となる。この発電所には7基の原発があって,その全基ではないけれども再稼働を強く望んでいる状態にある。
新潟県本部 / 自治研推進委員会第4分科会石原正敏・自主レポート「柏崎刈羽原発をめぐる事故対応と避難計画の検証について-中越沖地震から学ぶこと-」『じちろう』https://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_miyagi36/04/0406_jre/index.htm(2023年12月20日閲覧)はたとえば,は,東電の原発に関連させこう述べていた。
東電のこの柏崎刈羽原子力発電所は,いままですでに10年以上も未稼働の状態であったものを再稼働させるさい,この未稼働であった期間を耐用年数から除外することが,すでに正式に認められている。これは技術論,工学的な原理思考に照らしていえば非常識であり暴論そのものであり,非科学的・反学問的な措置だったとしか形容できない。
ところが具体的には,その40年を60年にまで延長させるという滅相もない発想が,当然のように主張されたあげく,これがまかり通ってしまった。恐ろしい事態になった。
日本の原発政策はもしかすると,自国内でチェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故につづく「第3の大事故を起こさせるための冒険」に走り出した,とみなしてもいいくらい,デタラメ路線を敷いてしまった。つまり経済計算,会計計算,技術管理の諸見地からは,とうてい許容できない無理強いを,原発にかぎっては例外的にだが,愚かにも意図したあげく敢行しはじめた。
考えてみよ。10年以上も寝かせておいた30年近くも耐用年数の経った東電のその原発を再稼働させることになれば(前掲画像資料に説明されているように,ほかの電力会社の老朽原発に関してはすでに60年稼働が許されているが),しかも,未稼働の期間(時間)分は耐用年数から除外させてという理屈となれば,これこそが,ヘリクツそのものにもなりえないような没技術の考えであった。
まったくもって滅相もない技術観が正々堂々と歩きまわっているが,いったいどうなっているのかといわねばならないほど,きわめて幼稚きわまりない粗雑な方針がごり押し的に現実化させられた。すなわち「原発を原子爆弾化させたい」かのような原発政策が,すでに愚行的に進行しだしているのであった。
b)「『例外中の例外』だったはずなのに… 川内原発の60年運転を認める議論が20分で終わった意味」『東京新聞』2023年11月2日 06時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/287456 は,こういう書き出しで報道されていた。。
原発というもっとも危険な技術,地球上では利用しないほうが好ましい発電のための装置・機械が,クラシックカー趣味ではあるまいに,実質では耐用年数60年以上の稼働期間までも許す年限まで利用しつくすという欲望を実現させられたとなれば,これはある意味,完全なる冒険そのものになりかねない。
たとえば,東京都心で活躍していたJR東日本の山の手線用の電車や営団地下鉄で酷使される車両が,そのうちでも状態のよいものにかぎっては,もとの耐用年数30~40年を超えて地方の〈繁忙線ではない路線〉で再活躍しているけれども,原発を稼働させる話題とは次元が違い過ぎる話題であった。
ところが,その原発にかぎっては,電車でも都心の繁忙線には使用できなくなったものを地方のまわして運転するといった話題とは「異次元的なあつかい」をされて,実質的な耐用年数が60年以上にもなる予定を組まされてさらに稼働させるとなれば,もともと危険だらけの原発,すなわち,絶対に事故を起こしてはならないこの《悪魔の火》を焚いてわざわざ電力を生産させる技術方式が「無謀でなければ」,いったいなにを意味するのか?
電力会社はたとえば,工場の建物や通常の設備・機械並みに,原発を会計計算上あつかいたいわけがあったが,双方には決定的に異なった技術経済面の理工学的な技術特性があった。原発は「安全でも安価でも安心でもない」電力生産のための技術方式である事実は,現在にあっては自明の理になっている。
アメリカでは採算の合わない原発はきっぱりと廃炉になっている。しかし,日本の場合は以前,地域独占や総括原価方式に守られて原発による電力生産は利潤(利益)の確保を保障されてきたから,現時点における当該問題には始末の悪い傾向も生じるほかなかった。
原発の発電比率が全体において高い,たとえば関西電力は(以前は5割を超えていた),最近まで必死になって原発の再稼働に努力し,これを実現させた結果,採算が上がり利益も確保できて,電気料金も東電などに比較したら相対的にかなり抑えされている。だが,どの原発であってもいつかは廃炉の時期を迎える。
それからである「地獄の釜がフタを開けて待っている」のは……。
廃炉会計という経営会計上の用語が登場せざるをえない時代である。廃炉の工程は半世紀から1世紀(以上?)を「想定しておく必要があった」「原発関連の不可避の大事業」である。
1基,1基の原発のそれぞれの一生についてだけでなく,すべての原発を寄せ集めて,その廃炉会計という問題をあらかじめ,いまから真剣に考えておかないことには,「いまの原発から上がる利益」などは「あとに待ちかまえている廃炉」のための「関連の処理工事費」によって,相当に相殺される部分が出てしまう。下手とすると,その総決算としては「原発会計が大赤字」の時代が来る。
東電福島第1原発事故によって東電は福島第2原発も全基未稼働状態を余儀なくされ,結局,廃炉措置が採られている。『東京電力ホールディングス』ホームページには,福島第2原発について,つぎのように解説している。
以上は「3・11」以降,すでに12年と10月もの歳月が経過した時点での話になっていた。東電福島第2原発の廃炉工程は「44年をみこんでおり」と説明されているが,この事故を起こしていない原発4基の場合であっても,その44年で完了できるかという保障は,おそらく東電自身ができていない。
2011年3月からもう13年近くが経ったが,あと半世紀でこの東電福島第2原発事故の廃炉事業が,はたしてつつがなく完了できるかどうか,疑問がないわけではない。おおありであった。
ましてや,3基もの原発事故を起こした東電福島第1原発事故現場は,いまだに実質的に,廃炉工程にまでは進めないでいる。それ以前に,事故原発を原因に発生しつづける汚染水の問題や,しかも,そのおおもとにある溶融した原子炉からデブリを取り出すための「後始末の仕事」ですら,なにも進展がなかった。こちらのほうは,石棺方式による対応・手段を講じないかぎり,その後始末は多分,半永久的に不可能である。
【参考記事】 -『日刊ゲンダイ』から-
※-3 簡単なまとめ
本日の記述は,世論調査の問題(内閣支持率の問題にかかわる『日本経済新聞』の奇妙な報道姿勢)から原発(事故)の後始末問題に,論点を移動させる構成でする議論になった。
『日本経済新聞』は原発問題についてはいまだに,「原発擁護・稼働推進派」の立場から報道するあまり,しばしば,原発にかかわるもろもろの事実問題をぼかし,はぐらかし,つまり読者をだまし,ウソをとりつくろう言説をいろいろ工夫をくわえては,おこなってきた。
もっとも,日本経済新聞が日本財界新聞である本音(本質)を,否応なしにもたされつづけるかぎり,そうした新聞紙(新聞社)としての基調(編集方針)から脱皮するための契機は,どこにも求められなかった。
となれば,第3者の立場に居る者たちが,その本性を根幹から批判してあげる発言をしないことには,そうした「強い者(日本経団連的なそれら)」ばかりを応援する「資本家・経営者のための新聞紙」に,好き勝手ばかりでしかも粗雑な没論理かつ非倫理の記事が絶えていなかった現実の嗜好を認めることになる。
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