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私の支え みそぎ2

今から10年位前までは、指揮していた合唱団は13程有った。
日にすると2つは必ず指導に出掛けた。
段々と曜日の感覚が薄れ、淡々と仕事を消化する毎日になってしまった。
完結が無いのである。
数をこなすのが最重要事項であり、内容との関連性が稀薄になってしまった。 
表現に於いて、最も大切な内容の追求が稀薄になる状態は、流石に許容出来る域を遥かに超えていた。
そこで考えたのは、金額ではなく、クオリティの高い仕事の模索だった。


どの合唱団も愛着が有り、決断には苦慮したが、結局、休みを取り込むのに最も有効な選択をせざるを得なかった。
本番が週末に集中する事から、その日が練習日の団体の辞職を決めた。


しかし予想に反し、快く承諾する団体は、無に等しかった。結局、「貴方は私達を見捨てたんですね」と厳しい言葉を突き付けられた。「我々が対象になるとは思いませんでした」と言われた。
その中には、私の母が創立者の中に名を連ねていた合唱団も含まれていた。
在任期間は45年を越していたと思う。


母の恩も有ったが、それ以上に、燃えたぎる炎を判断の基準にした。
仕事を選択する時、感動を無視したものは、やってはならないと心に決めた。
それは簡単ではない事は明白だった。
しかし、正面から向かうべき時期に来ていたのだ。
しかし、内容が精査され、時間にも余裕が出来ると、その後は、演奏が魂の元、生き生きと活動を始め。
精力の消耗は甚だしいが、大きな創造の歓びが生まれた。
人間の心は一つ。
生きる歓びが垣間見えると、戦いの意味が見える様になった。

拙い文ですが、溢れ出る思いを、人に伝えたいと願っています。日常にある小さな出来事ばかりですが、その視点により皆が幸せになれると嬉しいです。何より読んで欲しいと切望しています。宜しくお願いしますね!