最後の決断
最後の選択79歳
私は現在79歳7ケ月。
日本男子の平均寿命が81,6歳だから、ゴールがおぼろげながら見えて来た。
勿論、自分の設定ゴールが、即死ぬと言う事ではない。このゴールの決め方が正しいかの再検証と最後の生活の過ごし方をどうするかを決定する時期と考えた。
条件面で問題なければ、最期まで毎日を何もせず自由な時間として、楽しく生きる。
一方、充実感を求め仕事も含め、攻撃的に生きるかの2択で考え、話を進めた。
丁度、私の10日間の冬休みになったので現場で検証をしてみた。
そう、79歳で、まだ現役の指揮者として働いているのだ。
試しに、好きな時間に起床、と言っても6時30分が7時になる位の違いしかない。
好きな物を食べ、と言っても好き嫌いが多くてメニューが限定的。
一通りの家事をし、他人との連絡は断ち、You Tubeを見る。
結果は悲惨なものであった。一日で飽きた。
私は常に何かを生み出す時間を持ちたいと願っている。
会社の定年なら検討する余地はあまり無いと思うが、実際、先人の定年後の様子を調べてみると、偏向報道のきらいも有るが、余りにも悲惨な現状が映し出された。
何故、老人になるとこんなに悲しいのか?
経済面、やり甲斐、体力の衰え、核家族の寂しさ、年金の少なさが生む節制の毎日。
勿論、全ての人がこうであるとは言わないが、年老いて苦しんでいる人の数が多いのも事実であると思う。
定年後は、好きな事三昧と考えている人が多いことは想像出来る。
でも、多くの人が1年位で挫折する。
収入が年金だけでは足りず、預貯金を取り崩し生活せねばならないのは避けられない事実だろう。その減り具合のスピードは尋常でない事が想像出来る。
配偶者との別れ。死亡や熟年離婚。死別は別として、この年になってからの離婚は、多くの大切なものを全て失う事を覚悟したほうが良い。自分で選んだ配偶者に、再び感謝の念を、恣意的でも良いから持ち、相対するのは出来ないものなのか?
別れたってその穴は埋まらないと思う。
やり甲斐の少ない毎日。
自分の好きな事、得意な分野で社会と繋がるのは無駄な努力か?
定年後、健康問題、貯蓄、夫婦、ローン返済、痴呆症、住宅、やり甲斐等
多くの人が悩んでいる。
上記の項目に、私の場合、赤信号は一つも点灯しなかった。
おこがましいが、この提案は、老齢者の人には、既に遅しの感も有る。
私の取り組みの結果を聞いても、なんの面白みも感慨も無いだろう。しかし例え僅かでも、活かせる人がいるかも知れない。無駄は承知で書き残します。
助言としては[若い頃に人生設計を綿密に立て、決めたら即スタートする]これが、偉そうに聞こえるでしょうが、私の歩んだ道です。
とても慎重な性格の為、25歳頃から、老後の為の貯蓄、資産運用、各種疾病、生命保険、住宅ローン早期完済等を済ませており、現在を予見し、安心を手に入れる為の算段をした。妻も温厚な地道な考え方を持ち、私を支えてくれている。
残りの心配は、健康問題や痴呆症だろう。
しかし、ここまで健康面で問題なかったのだからまず、合格点だろう。こう考るのは甘いと反論されるでしょうが、やっと私の人生。ゆっくり歩きます。勿論、良い結果を見据え、努力はします。
一般的には、健康寿命平均、男子72歳、これ以降、10年位の間に、介護を要する時期に突入するそうだ。私はもう80歳を目の前にして、心身共、いたって健康だから将来を楽観視しても許されるだろう。
家族も長寿の家系だから介護される心配はしてない。
ここで正直な話をすると、現在の仕事、合唱指揮者は定年は無く、創造力と健康に問題なければ、それを阻むのは私の死だけと言う事になる。私は、合唱団のメンバーが好きだ。これも幸いの要因だ。
さあ、決めようか!
1.毎日を何もしないで、ただ楽しむか?
2.仕事を続け、やり甲斐と成果を願うか?
勿論、私は2を選んだ。
考え方は十人十色。だから最終結論は皆違って仕方ない。
現在を悔いるなら、高齢であっても新たな挑戦をするか、最悪の状況でも、それを直視し戦うかだろう。