【日記】京都と花と小説と ①QUEENのライヴに行ってきた!
京都暮らしも五年
京都にきて五年が過ぎた。
わたしが京都にきた理由は、病気の治療のため。ふたつの病気の合併症に十年以上苦しんでいた。どの医師にも治らないと言われ、うちひとつは大学病院も診察すら拒否する。田舎の大学病院はクソだ。
薬はどんどん増える。オピオイド系(麻薬由来)の強い薬まで飲んでいた。オピオイド系の薬は眠気が強いので起きていられない。がんばって起きていたとしても、意識障害が起こり、日常生活に支障をきたす。日付けや曜日、時間さえわからなくなる。がんばって起きていたとしても、出かけて帰ってきたら、スマホや財布がないことに、部屋の前でやっと気づく。車のキーをどこかに落とし、何万か支払って、急遽替わりのキーを作ったこともある。ひとり暮らしなのに、こんなことのくり返しが死ぬまで続くのかと思うと、ぞっとした。
X(旧Twitter)のフォロワーに、国の指定難病の人がいるのだけど、その人はおそらく東大病院に通院している。自分で勉強したことに基づき、担当医師に治療法について意見し、信じられないほど回復していた。その様子を見て励まされ、わたしは奮い立った。治してやる。医師に余命宣告されたのに、病気を回復させた人だっているんだ。諦めるのはまだ早い。日本でこの病気を治せる医師を探そう。それで、見つけたのが京都のM先生だった。
わたしは当時、「歩く難病カフェ」という難病の人たちのお茶会を、東京や大阪で開催していた(現在、休止中)。普通の難病カフェはどこか場所を借り、難病者だけで数時間歓談しながらお茶する。わたしの主催する「歩く難病カフェ」は、家の中にこもりがちな難病者が、みんなで美味しいものを食べようと、街中のカフェに集う。開放感を味わうためでもある。移動のために長距離を歩くのはわたしだ。
大阪で「歩く難病カフェ」を開催したとき、茨城出身の二十四歳の女性と知り合った。その人はわたしと同じ病気で闘病していたのだけど、著名な医師の治療を受けるためだけに、わざわざ茨城から大阪へ引っ越したと言うのである。目から鱗だった。
わたしが京都に引っ越すことを決めたのは、その一ヶ月後だ。もちろんM先生に診てもらうためである。M先生の診察は予約が三ヶ月待ちだった。それに合わせて引っ越したのだ。
M先生の治療のおかげで、わたしは数ヶ月で杖なしで歩けるようになった。今は本を難なく読め、小説まで書いている。好きなアーティストのライヴや旅行にもゆける。この病気で、寝たきりや車椅子の人もいるというのに、劇的に回復したのである。
先日、京セラドーム大阪へQUEENのライヴを聴きに行った。今回、最後の来日という噂もあり、即チケットを取った。病気だらけの人生史に残る素晴らしい夜だった。こんな奇跡も、京都にこなかったら起こらなかったのである。
♬今日のBGM
手をとりあって(TeoTorriatte)/QUEEN