息子を火葬し遺骨を受け取った話
背景
死産に関する役所の手続きや火葬は分娩後すぐにやらなければならないのだが、もし全てを1人でやることになったら大変酷だろう。分娩で身体にダメージを負っているのに加えて、精神にもダメージがある状態ではかなり厳しいのは明らかだ。
地域や産院によって違いがあると思うが、私の場合だいぶ楽をさせてもらった。大変な部分は全て業者に依頼してやってもらうことができた。どのような流れだったか備忘のため書き残したい。
死産後の流れ
業者に依頼
子宮内胎児死亡が判明した日に、産院が提携している業者に手続き等を依頼する選択肢があることを産院で教えてもらった。もちろん費用は発生する。自分達で手続きをしたいのであれば断ってもよいし、手続きと火葬を依頼して、火葬に立ち会うことも希望できる。
私は手続きを業者に依頼できると知ってだいぶ安心した。私はこの手続きをできなかったと思うし、夫に負担をかけるのが嫌だった。
手続きと火葬まで全てお願いし、火葬の立ち会いはしなかった。そもそも産後4日間、私は安静を言い渡されるし、夫は私のことが心配だろうし、夫の両親は遠方に住んでいるので立ち会いをすることは現実的ではなかった。むろん私の毒両親に立ち会いたいと言われていたら私は断固拒否をしていたと思う。
少し迷ったが、息子の骨は帰してもらうことにした。業者と提携している寺に納骨をする選択肢もあったが、その寺が家から遠いのと弟|妹も寺に納骨されていないので、納骨はあまり考えなかった。
この一連の依頼を私は業者に直接しておらず、私は1枚の書類だけしか書いていない(死産届に必要な住所等)。息子を預けるところまで、業者とのやりとりは全て産院がやってくれた。業者への支払いも産院を通してだった。
ちなみに弟|妹のときは父が死産届を役場に提出し、火葬も立ち会ったそうだ。私は立ち会っていない。田舎だからなのか、当時はそのような業者がいなかったのか。
私の場合は、とりあえず息子を業者にお願いすることができて本当に助かった。
火葬
退院後は業者と直接連絡をとることになる。
産後の自宅安静中に、業者からの電話でその日に火葬したことを伝えられた。火葬してすぐだったと思うが、午前中の早い時間帯に電話をもらった。胎児なので炉の温度が低い朝一に火葬してくれたのだと思う。後で受け取った死胎火葬許可証には9時に火葬したことが記されていた。
その後、遺骨を受け取る日時を夫と相談し、こちらから電話をかけ直して業者と調整した。安静期間終了翌日に受け取りに行くことにした。
遺骨受領
都内のマンションの一室で受け取ることになる。自宅からそこそこ遠く、産後動くには少し負担だったかもしれない。
ただ、久しぶりに賑やかな街に出るので、計画外に色々立ち寄ることになった。
まず、当日に発売されたマスターグレードのガンプラを見つけたので夫が私に買ってくれた。これは前の記事にも書いたが、まだ積みプラ状態である。
途中、とある県のアンテナショップで好きな飲み物を見つけたので迷わずに購入して飲んだ。久しぶりにつわりが全く無い状態で好きなものを飲んで美味しいと感じることができるのがとても嬉しかった。
遺骨の受け取りはマンション一室の玄関で一瞬だった。大きな茶封筒に入れられている状態の骨壷を死胎火葬許可証と一緒に受け取り、自分のリュックに入れた。
既に色々寄り道をしているのに、そのまま帰るのはなんとなく嫌だったので、某映像監督の展示に行くことにした。人は多かったが、平日だったので当日券を購入してすぐに入ることができた。夫が持っていたガンプラを入れた紙袋は大きすぎて受付で預かってもらうことになったが、骨壷を入れた私の少し大きめのリュックは前に抱えて展示会場に入ることになった。骨からしたら少し前までいた位置に戻ってきた状態だ。まさか骨壷が入っているとは誰にも思われまい。葬儀後であれば寄り道などしないが、水子であれば問題ないと思っている。
最も有名な作品に関連する展示品には人が群がっていたからあまり近づかなかった。しかし、それ以外の某監督作品もたくさん展示があり、私も夫も他に好きな作品がいくつかあったので充分満足できた。
遺骨受領が目的であったのに、展示を見ることが主な外出の用事になってしまった。産後に動くのが負担かも、と前述したが、振り返ってみると結局自ら疲れるようなことを進んでしていた気がする。
まとめ
息子を分娩した産院が提携している業者があって本当に良かった。ただ、その業者の拠点が産院から距離があることを鑑みると、このような手続きをしてくれる業者はかなり少ないのだと思う。
このあたりの手続き等は産後すぐにやらなければならないので大変なのだが、自分の納得のいく方法で、できる限り無理をしないでほしい。