「現代詩の入り口」33 ― 言葉と遊ぶことを喜びとした詩を読みたいなら、渡辺武信の詩を読んでみよう。
若い頃ぼくは、「現代詩手帖」を必死に読んでいました。
そんな中で、毎号、楽しみにしていた連載がありました。渡辺武信の「移動祝祭日」という文章でした。副題に「「凶区」へ、そして「凶区」から」とあったように、この文章は、1960年代に発行されていた詩の同人誌「凶区」と、その当時のことが記録とともに書き記されたものでした。
「凶区」の同人には、渡辺武信の他に、天沢退二郎、鈴木志郎康、菅谷規矩夫、山本道子、金井美恵子、などがいました。また「移動祝祭日」には「凶区」と同時期に発行されていた「ドラムカン」という詩誌のことも載っていて、吉増剛造も登場していました。
ぼくにとって「凶区」や「ドラムカン」の同人は、一世代前の詩人達でしたし、それ以前の詩人よりも身近に感じられて、当時一生懸命に読んでいた詩人だったのです。ですから、同人のだれとだれがどこで会ったとか、どこへ行ったとか、どうでもいいようなことでも具体的なことが書いてあると、それだけで胸を熱くして読んでいました。
今話題の『カッコよくなきゃ、ポエムじゃない』(思潮社)ではないですけど、当時のぼくにとって渡辺さんは、まさにカッコいい詩人だったのです。「荒地」、「櫂」と続くそのあとの時代を先導するような詩誌「凶区」の中心にいて、爽やかな比喩の詩を次々に発表していて、東大の工学部を出ていて、建築家で、映画評論家でもあって、目がくりっとしていてハンサムな渡辺武信は、自分とは全く違って、欠けたところのない、あこがれの詩人だったのです。
現代詩手帖にしばしば載っている渡辺さんの詩は、まさに建築物の窓に日が当たっているように、いつもきらきら輝いていました。
ですから、渡辺さんの詩の話は、いつかどこかでしてみたいと、ずっと思っていました。
昨年も、一度試みたのです。でも、渡辺さんの詩を読んでも、なかなか話すことがまとまらないのです。今回、「隣町珈琲」で毎月ひとりの詩人の話をしようと思った時に、よい機会なので今度こそ渡辺さんの詩の話をしたいと思いました。
それで、今回も、他の詩人の時と同じように、渡辺さんの詩を読み始めました。でも、ここまで話をしてきた新川和江、石垣りん、清岡卓行、稲川方人、のようには、作業が進んでいかないのです。
その人の詩を一通り読み直して、そこから好きな詩を選んで、選んだ詩から思いを綴ってゆく、という手順が捗らないのです。
そして、この、話すことがまとまらない、というところに、渡辺さんの詩の特徴があるのだと感じたのです。
若い頃にあれほど夢中になって読んだ詩が目の前にあるのに、それで、読めば確かにきれいな詩だなというのが沢山あるんですけど、さてどの詩を選ぼうかと思うと、その判断がつかないのです。目の前の詩もいいと思えばいいし、前のページの詩もいいといえばいいし、その後に読む詩もおそらくいいといえばいいのだろうな、という感じなのです。
つまり、広い花畑の中に迷い込んだ感じなのです。この広々とした花の中で、好きな詩を10本持って帰ってもいいよと言われても、どれを選べばよいのか途方に暮れてしまうのです。
そしてそれは、渡辺さんの一篇の詩の中を覗き込んでも、同じようなことが言えるのです。一篇の詩の中も、それぞれの広々とした花畑なのです。どの行を読んでもいいなと思うのですが、次の行にもそう思ってしまうし、どこに線を引いたらよいのかがわからないのです。
それでずっと考えていたのですけど、「そうか、そういうタイプの詩もあってよいのだろうな」と思ったのです。
一人の歌手が歌う歌の、この歌が好きだ、という場合だけではなくて、この歌手の歌ならどんな歌でもずっと聴いていて気持ちがいいということがあると思うのです。どこか、ウィスキーでも呑みながら、抑揚の少ないジャズをずっと聴いている気持ちです。
渡辺さんの詩は、どの詩のどの断片も、ぼくは気持ちよく読めるのです。渡辺さんが作り上げた詩の建築物の、どの部屋が好きだというよりも、建築物そのものが好きだ、という感じ方です。
ですから、どの詩集でも均質に感じるのです。
おそらく渡辺さんはひとつひとつの詩を、その度に、まったく新しく発想して作っていたと思うのです。でもでき上がった詩は、どれも同質の艶を持った詩になっている。そんな感じです。
*(愉快に遊んでいたのではないか)
ふと思ったことは、渡辺さんの詩が均質と感じられるのは、渡辺さんがいつも同じような気持ちで詩を書いていたからではないのか、ということでした。
その気持ちとは、詩で愉快に遊んでやろうという気持ちだったのではないか。子子どもが遊びに夢中になるように、渡辺さんも言葉と愉快に遊んでいただけなのではないか。その純粋な楽しむ心を、ぼくは詩から感じ取り、感銘を受けていたのかもしれないと思ったのです。
そして、そうした気持ちというのは、ぼくを含めて詩を書く多くの人がつい忘れがちなものであり、詩を書いていると、何かに追われているような、人と競争をしているような、苦しいところに行ってしまいがちです。
でも、渡辺さんのような詩の書き方もあってよいのではないか。むしろその方が、人が創作に向かう姿勢として、まっとうなのではないかと、感じてしまうのです。
そして渡辺さんの詩を読む立場としても、のめり込むようにして読むのではなく、ジャズを遠くで流しながら物思いに耽っている、そのレコードの一枚のような詩のあり方も、確かにあってよいのではないかと、思うのです。
*
詩人には二種類あると思うのです。
一編一編が違った顔を持った詩を書く詩人と、もうひとつは、いつも似た顔の詩を書いてしまう人の二種類で、渡辺さんはおそらく、後者の詩人です。
渡辺さんは単行詩集を7冊出しています。
『まぶしい朝・その他の朝』(国文社1961) 23歳
『熱い眠り』(新芸術社1964) 26歳
『夜をくぐる声』(思潮社 1965)27歳
『首都の休暇』(思潮社 1969) 31歳 カード詩集
『歳月の御料理』(思潮社 1972) 34歳
『蜜月・反蜜月』(山梨シルクセンター 1972)34歳
『過ぎゆく日々』(矢立出版 1980) 42歳
それで、最初の四冊が『現代詩文庫 渡辺武信詩集』に、それからあとの三冊が『現代詩文庫 続・渡辺武信詩集』にほぼ載っています。
ということは、42歳で最後の詩集を出したあと、今年86歳で亡くなるまで、最後の四十四年間は詩集を出していないことになります。
おそらく渡辺さんにとって詩とは、生涯しがみついているものではなく、渡辺さんの表現の内の、単にひとつの側面であったのだと思います。映画と建築と詩と、その内のひとつの自己表現として、一時期夢中になり、途中で手放すことができたものなのではないか。
それゆえに、7冊の詩集に書かれた詩は、むろん若干の変化はありましたが、その姿は終始、同じように見えます。そのことは、渡辺さんが詩というものを、自身の年齢とともに変化し、成長させてゆくものとしては、とらえていなかったのではないかとも思えるのです。
最後の詩集『『過ぎゆく日々』』には「おぼえがき」というあとがきがあって、そこで渡辺さん自身がこう書いています。
「ぼくは十代の時にどうやら手に入れた書き方にいまだにしがみつき続けている」。
この言葉を渡辺さんは、むろん自慢気に言っているのではないのだと思うのです。
人は、詩を読む時には、さまざまな詩を受け入れることができます。けれど、詩を書くという行為は、どのような詩を書いて行くかという判断は、何か、もともと決められていて、自分ではどうにもならないものがあるような気がします。
渡辺さんの詩は、つやつやしく生まれるように出来ていて、渡辺さんがどんな詩を書こうとしても、その原初の詩の雫を、繰り返し垂らすように、あらかじめ決められていたように思えるのです。
渡辺武信という、最後まで鮮やかな詩を書き続けた詩人がいました。
いくども自分の詩の原点に戻って、決して年をとらない詩を書く詩人が、いました。
そういうことなのだと思うのです。
*
渡辺さんの詩の特徴を、思いつくままにいくつか並べてみます。
(1)渡辺さんの詩は、最終行のない詩と言えるのではないでしょうか。渡辺武信の一篇の詩行は、そのまま次の詩へ繋がっているように見えます。言い換えるなら、渡辺さんの詩は、生涯書き上げたその総量が、渡辺武信というタイトルの、一篇の詩なのではないでしょうか。
(2)渡辺さんの詩は、どこか、歌の歌詞のようでもあります。詩、全体でものを言う、というよりも、目の前にある数行の輝きに、命を掛けているようです。それゆえ詩の中の繋がりは薄く、行は単独でその魅力を見せようとしています。
(3)渡辺さんの詩は、饒舌な詩であると言えると思います。書きだしたら、きっかけさえつかめば、あとは次々に言葉とイメージがわいてくるのではなかったでしょうか。恍惚と書き継いでゆく姿が見えるようです。それゆえ、楽しく詩を書けた詩人だったのではないでしょうか、楽しくなかったら、潔く詩作をやめてしまう。そうであったのではないでしょうか。
(4)渡辺さんの詩は、何を詩に書くか、ということの比重が低かったのではないでしょうか。60年安保闘争を書き、映画の楽しみを書き、恋愛の様を書く、その都度書く内容はあっても、何を書いても、あるいは、何を背後に意味していようとも、どの詩も、常に軽やかで耳あたりのよい叙情の言語世界が展開してゆきます。何を書こうとも、渡辺さんの詩は同じ調べを奏でてしまうのです。
(5)渡辺さんの詩が語呂合わせを多用しているのは、どこか、歌を歌っているその調子のままに、言葉が出てきているからのようです。ですから、語呂合わせで人を感心させようとかという気持ちが全くなかったわけではないのでしょうが、それよりも、他の言葉と同様に、詩を書き始めたら次々に出てきてしまう饒舌な詩の、その一側面として出てきてしまったものなのではないでしょうか。そうであるならば、語呂合わせ以外の部分、あるいは渡辺さんの詩のすべては、気持ちよく歌える歌のようにも感じます。
つまりは、渡辺武信の詩とは、たゆたうような詩行の流れが生涯続くものなのだと思います。
この饒舌は、多くを語り、同時に、それゆえに、何も語っていないようにも思えます。何も語らないという、覚悟を語っているように見えます。
(渡辺武信の詩をどのように読むか)
渡辺武信にとって詩とは、「何を書くか」よりも「どのように書くか」に重点が置かれるものでした。渡辺武信の詩にとって、何を書くかというのはたいした意味はなく、どのように美しく書くかに、思いは託されています。
それにしても、よくぞここまできらびやかな形容の詩が永続的に書けるものだと、そのことに圧倒されてしまいます。そして多くの詩が、均質な光り方をしていることにも驚きます。
これらの詩の読み方のひとつは、書かれていることをそのまま想像して、映像化してみることです。どの言葉も均質に心地よく入ってきます。
渡辺武信の詩の言葉は意味を持ちます。しかし、持っていてもその意味を容易に手放してしまいます。読んで行くのは言葉の表面の滑らかさであり、その意味の深みへは、連れてゆこうとしません。
けれど「この詩は深みがない」とか「表面的にきれいなだけだ」という感想には意味はないのだろうとも思えるのです。詩自身が表面の輝きを表すものだとしても、その輝きが読む人の思いを照らし、読み手の中で深まってゆく、ということも、詩にはあると思います。
*
(うらやましい)
渡辺さんの詩を読んでいてぼくがうらやましいと思えるのは、渡辺さんの詩には、渡辺さんとその詩しかいないように感じられるところなのです。余計なことで悩んだり、気に病んだりしていないように感じられるのです。
詩を書いて楽しみ、書かれた詩も気分よく渡辺さんに書かれていたように見えるのです。
こだわり、というものがほとんどなく詩を生み出していたのではないか。
それもひとつの重要な姿勢だと思うのです。
渡辺武信の詩を読みながら、なぜか良寛の、地位も名誉も捨てて、子供たちと遊ぶことを喜びとした生き方や、あるいは、梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけん」という言葉を思い出していました。ぼくらはもっと詩を書いて楽しんでもよかったんだと、そんなことを渡辺さんの詩は、思い出させてくれました。
ひとつの詩の書き方をつかんで、7冊ほどの詩集を出し、そしてきっぱり詩作から離れてゆく。
それも詩人の見事な姿だと、ぼくは思います。
*
以下、渡辺さんの詩を10編、読んで見ようと思います。
渡辺武信さんの詩
風 (『まぶしい朝・その他の朝』)*世界のかたち
つめたい朝 (『まぶしい朝・その他の朝』)*学生運動
恋唄 (『まぶしい朝・その他の朝』)*恋
まぶしい朝 (『まぶしい朝・その他の朝』)*世界かたち
終りなき日曜日 (抄) (未刊詩篇)*テレビ、歌謡曲
氷柱花 (『歳月の御料理』)*映画
荒野の袋小路 藤田治に (『歳月の御料理』*生活者
夜の渦 (『蜜月・反蜜月』)*恋
はてしなきスクリーン (『蜜月・反蜜月』)*映画
春の夢・夢の春 (『蜜月・反蜜月』)*恋
過ぎゆく日々 葉子に (『過ぎゆく日々』)*恋
*
「風」
Aに
叫びは生まれたとたん
罠にかかる
ひろがらなかった声の
苦しい密度くぐり
あおぎみる朝のあかさ
世界は大きすぎる
どんな小さな街も
ぼくらにとっては
ひろすぎる
それでも ぼくたち
冬の街を駆けていく時
額に渦巻くつめたい風に
一瞬 世界のやさしさを発見し
不意に立ちどまったりする
風景を支えつづけるには
重すぎるぼくたちのまぶた
閉ざされた眼に
見えるのは 遠い旗
そのしわの中を流れる
まぶしい河
輝く風につつまれながら ぼくたち
まぶたの裏に最初の映像を見る
ぼくたちがまだひらかれぬ眼で
はじめて見た世界のかたち
その かぎりない やさしさ
ひらかれた眼にむかい
ひろがる声
ひるがえる腕
ひらかれる窓
ぼくたちの視線が
はげしく交わる点から
陽炎のようにのぼる
透明な炎
そして
きみの視界から
ゆっくりとひろさを閉め出し
正確に息づきはじめる
もうひとつの
まち
*
「風」についての感想 松下育男
なんとさわやかな詩かと思います
題に「風」とあるように言葉が読み手にそよそよと吹きつけている。
何が書いてあるかと覗いてみれば
一連目
「朝のあかさ」とは朝の明るさを言っているのでしょうか。
苦しい中を朝は明るく明けてくる、ということでしょうか。
二連目
「ぼくら」というのは「ぼくとA」の二人を指しているのでしょうか
ぼくらには世界は大きくて受け止められないけれども、それでも世界は優しかったりする、とあります。漠然とした感じ方です。
三連目と四連目
世界に対峙する前に
自分の中には美しいものがある
五連目
二人で目を開き
世界見ようとする時
二人でいることによって燃え上がる情熱がある
最終連
大きすぎる世界の中でも
自分が息づくための
適度な大きさの街を見つける
というようなことでしょうか。
つまりは若者が、自分の居場所(思想を含めて)をどのように探してゆくか
その意気込みを
書いている詩のようです
多くの言葉を吐き出しながら
読み終わってみれば、特段何か特別なことを言っているわけではなく
青春に怯え
そこから勇気を出して生きてゆこうという
健全な内容の詩です
内容はさほどのことは言っていなくても
それでもこの詩を読んでいて心地よく感じてしまい
また読んでみたいと思わせてくれるのは
言葉の一つ一つが
適度な強さの風のようにひたすら吹いてくる
そんな感じの詩だからなのだと思うのです。
*
「つめたい朝」
六・一五の記憶のために
あらゆる記憶が
告発の形してかがやくぼくたちの街で
ひとつの小さな死の重さを測ることは
ほとんど無意味だ
だから ぼくたち測るまい
記憶の中のきみのまなざしの重さを
ぼくたちが耐えた時間の重さに
ついに夜明けにむかってくずれはじめた空
それを見上げるぼくの瞳に
きみの死は ひとつの記憶に過ぎなかったか?
ぼくたちの傷口は いっせいに
つめたい朝の光にうたれ
血は じょじょに固まりはじめていた
たとえば きみのみじかい髪の香りや
幼い日のひそやかな身ぶり
を知らないぼくが
泣くほど世界はうつくしくない
記憶の奥できみの肖像ははげしく溶け
ぼくの瞳に熱い風となる
ぼくは親しい街々の曲り角 あるいは
ふるさとの低い山々に
きみのまなざしの跡を見つけだす
渦巻き燃える夜を映したまま
閉ざされてしまった瞳の中で
世界は決して冷えることはない
街はいつまでも熱くふるえ
道はしなやかにうねりながら
空にむかって無数の指を出し
そして きみが
最後に吐いた息にくるまれ
世界は いまでも苦しげにもだえている
ぼくたちの視線の下で
歴史は静かに乾ききり
朝は いつも遠くから
炎の予感を持ってくる
やはり こんなつめたい朝のことだろう
ぼくたちがつかれはてた視線をあげ
東の地平を滑ってくる最初の光の中に
きみのかすかなほほえみを読むのは
*
「つめたい朝」についての感想 松下育男
副題に「六・一五の記憶のために」とあるように
この詩は、1960年6月15日に安保闘争のデモの最中に死亡した東大の学生、樺美智子さんのことが発端となって書かれた詩です。
渡辺さんの詩としてはめずらしく
書かれる理由が明確にある詩になっています
それゆえこの詩は「きみ」(樺美智子)の死を
「ぼく」がどのように受け止めるか、あるいは受け止められないかを
書こうとしています
2連目の
「きみの死は ひとつの記憶に過ぎなかったか?」とは
死の意味を問おうとしています
3連目の
きみのことをさほどに知らない「ぼくが/泣くほど世界はうつくしくない」
とあり
むしろ乾いた思いで受け止めている様子です
4連目
「最後に吐いた息にくるまれ/世界は いまでも苦しげにもだえている」
は
「きみ」が亡くなっても
依然として
ありうべき世界を目指して人は戦い続ける
と言っているようで
そして5連目には
「ぼくたちの視線の下で/歴史は静かに乾ききり」
と
「きみ」の死も歴史の一コマになってしまい
最後の連では
「ぼくたちがつかれはてた視線をあげ
東の地平を滑ってくる最初の光の中に
きみのかすかなほほえみを読むのは」
と
夜明けの光の中で「きみ」のほほ笑みを思い出す
と終っています
この詩は
樺美智子さんについて書く
というよりも
一人の学生の死が「ぼく」にどのように感じられたかが
書かれていて
といって
特段の具体的なことが書かれているわけではありません
そしてそこにこそ
渡辺武信の
何を書いても
渡辺武信の叙情の理想(言葉による爽やかと恍惚を求めること)
から足を踏みだすことはない
ということが示されているようにも思えます。
*
「恋唄」
朝がときどき
うつくしすぎると
ぼくはやたらにはりきるのだ
それは たぶん
めざめの裏側に
大きなお荷物を
おろしてきたせいだ
そんな時
ぼくの眼は
かみそりのように光っている
と信じたい なぜなら
ぼくはとても遠くから
きみをすばやく見分けるから
行こうぜ
遠くとざされた
やさしいまぶたまで行こうぜ
冴えない顔を風にさらし
道々草を食ったりして
額に朝の微熱があれば
空はそれだけあざやかだ
泣くな急ぐなすやすや寝るな
ぼくらの暗いくちづけは
岸辺に眠る女をゆりおこし
不安に参加させるだろう
いつでもどこでも
朝の嘘 嘘の朝
ぼくらののどでしめ殺された
ひとつの唄の感触は
いつまでも ぼくらを追ってくる
ああ
汗の汀に朝がくると
朝の汗はあさましくひかる
ぼくらの額に
くりかえし生まれる
くるしい情熱うつくしい微熱
そして いつもぼくらを捕える
年老いた低気圧
そこで せっせと微笑しているやつら
ぼくのきらいなやつら
消えてくれ
おしばいはおしまいだ
ぼくらはこれから駆落ちする
*
「恋唄」についての感想 松下育男
タイトルにあるように人への恋心を書いています
「きみ」への爽やかな思いを描いていますが
渡辺武信の恋愛詩はどうも人のなまなましい匂いがしません
詩としてはなるほどきれいなのですが
そのきれいさも、どうもメタリックな輝きのように思います
「きみ」への恋心というよりも
書いているうちに「詩」への恋心の方が勝ってしまうのではないかと思います
それゆえ
「恋唄」だからといって、渡辺武信の他の詩とさほどの違いが見つけられません。
一連目はあざやかです
「ぼくはとても遠くから/きみをすばやく見分けるから」
と、ここは確かに「恋唄」らしい言葉遣いです
また二連目には
「ぼくらの暗いくちづけは」
というような行もあります
けれど
ここに出てくる「きみ」とは
なんだか特定の個人ではないような感じがします
言葉としての「きみ」に恋している
そんな感じです
だから
「朝の汗はあさましくひかる」なんて言葉遊びを
余裕を持ってしていられるのです
言葉に切迫感が感じられない
恋の唄なのに胸苦しさがない
というのがおそらく
先にも言ったように
渡辺さんが恋しているのは
生身のにんげんではなく
詩そのものなのではないかと思うのです
何を書いても
自分のスタイルを崩さない
詩と言うもののあり方がぶれない
というのは
すごいな
と思います
苦しくて情けない恋の唄は
渡辺さんは決して書かないのです
*
「まぶしい朝」
夜明けは 刃のように
白く光りながら滑りこんで来る
こまかくふるえる夜の磁界が裂かれ
網膜からすばやく切りぬかれてしまう
遠い祭日のあざやかな映像
そのかすかな傷のうずきに追われ
暗い汗の汀に浮かび上るまぶたを
朝の光がつめたくたたき
世界はふたたびぼくらを監禁する
まぶしい朝あおすぎる空
静かに麻酔した街々は
ひとつひとつの敷石の下に
えぐられた瞳を隠している
ゆたかに流れる髪の間に
無数の旗を織りつづけた
ぼくの視線の針先は折れ
押しよせる陽の光に力なく流される
ぼくのまぶたの後 影の砦の空に
ゆがんだ虹がまたひとつの色を加え
鋭く痛みながら拡がる視野に
いっせいによみがえる夜の残響
ああ たとえ閉ざされたまぶたの裏にでも
一度見たものは決して逃さない
ぼくたちの額に朝の微熱がめざめ
ぼくたちの眼に血の地図が散る
囚われの視線ははげしく渦巻き
縄文の触覚の軌跡を描いて
へやいっぱいにからみ合う
苦しい息をうつくしく鳴らす喉から
解きはなたれた声はあおすぎる空高く散り
見えない星座たちの間にゆたかな木霊をつくる
かすかに汗ばんだきみのうなじのあたりに
ひらけはじめる新しい時間の早い鼓動
交叉する視線は急に深くなり
吐く息はとつぜん光り出す
まぶしい朝あおすぎる空
吹く風にはかすかにかたい手ざわりがうまれ
ぼくたちのしなやかな指は
たしかにひとつの形に沿って流れはじめる
しだいに過熱して行くぼくたちの腕の間に
ゆっくりと重たい影が落ち
日蝕がはじまるのがわかる
*
「まぶしい朝」についての感想 松下育男
朝、というのは間違いなく渡辺武信の詩のキーワードです。
朝が明けてゆく、というシーンで始る詩が多く見られます。おそらく詩自体の夜明けとともに。詩が始るという図式なのかと思います。
あるいは、渡辺武信が多く詩を思いつくのは、早朝の空気なのかも知れません、
この詩も夜明けと目覚めのシーンから始ります
そして、言葉は鮮やかでも
書かれている内容は陰鬱なものに繋がっています
「朝の光がつめたくたたき
世界はふたたびぼくらを監禁する」
「ひとつひとつの敷石の下に
えぐられた瞳を隠している」
「ぼくたちの眼に血の地図が散る」
「囚われの視線ははげしく渦巻き」
などの言葉は爽やかでも内容は陰鬱な暗喩が
何を指しているのかは
明確にはわかりません
時代を考慮に入れれば
学生運動の困難さを思うことはできますが
むしろもっと大きくとらえて
青春時の
世界の前で不安とともに立ち尽くしている姿の方が
ぴったりくるのかもしれません
「世界はふたたびぼくらを監禁する」
という時
具体的な事件や事象を超えて
曖昧ではあるけれども心を乱して止まないもの
そんな感じがします
そしてこの詩が
第一詩集のタイトルの一部になっていることを考えれば
この不安感、束縛感は
渡辺武信の詩の核にあるものと
思わざるをえません
それゆえに
詩を書いていたのだと。
*
「終りなき日曜日 (抄)」
あるいはシャボン玉ホリデイ
2
雨がしとしと日曜日
涙ぽろぽろ日曜日
どちらも窓ガラスの表面を
なめらかに流れて
きみの表情を融かし出し
汚れた手
汚れた夢
夜越しの夢
寝ずに見た鼠
真夜中のマヨネーズに汚れて迷う鼠
を完全に洗う日曜日
4
身を用なき者と思いなした
ような気がしても
陽気の加減乗除には
たちまち乗せられて縦横にスイングし
世界や石鹸がはげしく泡立つ休日の奥へ奥へ
ザ・ピーナツと共に追いかけて追いかけて
すがりつきたい恋の風雅や行為の不甲斐なさ
ぼくが今 歌い 身がまえるのは
どんな時間や事件にむかってでもない
5
<あなたの過去など知りたくないの>
などとカッコよく括弧を閉じても
閉めだされて眠れない少年はたくさんいる
<おねえちゃま たすけて>
白い腕がゆっくりとひらかれる
夕顔のように
*
「終りなき日曜日 (抄)」についての感想 松下育男
副題に「あるいはシャボン玉ホリデイ」とあるように、日曜日に見たテレビから思いついた詩なのでしょうか。
2の始めの二行はタイガースの歌の一節のようです。
歌謡曲のセンチメンタリズムを、どこかちゃかしているようにも見えます。ちゃかしている、というよりも、単に遊んでみたのかも知れません。
「汚れた手
汚れた夢
夜越しの夢」
という言葉にはさほどの思いは託されていないようです
その後で「寝ずに見た鼠」と言葉で遊んでいるくらいですから
ですからそのあとの
「真夜中のマヨネーズに汚れて迷う鼠
を完全に洗う日曜日」も
大した意味はないのでしょう
さわやかに言葉で遊ぶ
そんな日曜日のようです
4はザ・ピーナツの歌をもとに
これも言葉遊びをしています
「すがりつきたい恋の風雅や行為の不甲斐なさ」
というのは
特にうまいことを言っているようにも思えませんが
おそらく渡辺武信は人に感心してもらうような言葉遊びをしようとは
思っていなかったのではないかと思います
むしろくだらなさにちょっと笑ってもらえる、くらいのところでよかったのか
という感じなのではないのか
でも、どうしてそんなところで満足してしまうのかが、わかりません。
これだけ言葉に傾いた詩を書いているのなら、言葉遊びや語呂合わせも、もっと人がうなるようなのを見つけて書こうとしなかったのか。
それはおそらく、渡辺武信の詩は、基本的に饒舌な詩であることと無縁ではないのではないかと思われます
詩を書き始めると饒舌になってしまう、どんどん言葉が思いついて書けてしまう、その書けてしまう言葉が時に語呂合わせを引き連れてくる、それだけではないのか。
ということは、渡辺武信の詩は、表面的にはいつも言葉と意味がつやつやと輝いていて、求めているのはそこだけだったのかも知れない。
こだわり、というものがほとんどなく、詩を生み出していたのではないか。
それもひとつの姿勢だと思う。
ところでこの4が意味しているのは、自分がいやになってしまい、と、でもそのあとが曖昧な詩になっている。
余計な意味はいらない。それでいいのだろう。
5は菅原洋一の詩から思いついている。
けれど「<おねえちゃま たすけて>」が何かからの引用なのかがわからない。
調べれば分かるのかも知れないけど、さほどの意味はないのだろう。
このこだわりのなさ、歌謡曲をもじる、ということのずっと手前で、ひたすら遊んでいる。
*
「氷柱花」
眠りの沖合で黄金の鯨が横転する
風がキラキラと朝に向って吹き
街々に取りつけられた無数の唄口(マウスピース)を
汽笛のようにいっせいに鳴らす時
音楽入で陽気に老いていくぼくの未来都市
〈朝八時 きけ いまや
ぼくの名前はネムネムチャン
ペンネンネン ネムネムチャンだぞ
出張はしょっちゅうだ
新幹線は感心せん〉
きみがワイドスクリーンの大陸を
ゆっくりと横切る間だけ ぼくは
〈泣くなよ〉
泣くよ 泣いてやるよ
泣きの涙の波立つ流れを
堂々と泳ぐコビトカバや濡れ鼠たちが完全に乾くまでに
長いシッポより長い物語をつくろう
その最初のひとくさりは すでに
きみを星座から逆吊りする輝く鎖だ
きみの重たく垂れ下る髪が
隠してしまう夜々の中
旋回するちいさな灯を合図に
けもののように浮上する潜水ホテル
鋼鉄のロビーに徐々に集結する盲目の海兵隊
その肩に框のように支えられている寝台の群
すべてをつつむドライアイスの夜霧
咲くのも散るのも同じ花 だけど
透明な国家の氷柱の核心に
ぼくの夢は凍ったまま咲きつづける
ぼくは行くだろう
〈来いという者は不思議な者なんだ〉
タイムトンネルの柔い壁の中の
かすかな衣ずれ
それが爆発的に拡大され
ナイターの観衆のように叫びだす時
はじまってしまう永遠の映画の奈落で
くりかえし くるしみ くたばるのは
いつも ぼくたちだ
ぼくたちだ!
*
「氷柱花」についての感想 松下育男
一時期、ぼくの頭の中にひとつのフレーズが繰り返し浮かんでくることがありました。「出張はしょっちゅうだ/新幹線は感心せん」という言葉です。特にうまい言い回しだとは思いませんでしたが、それでも何度もぼくの頭の中に浮かんでくるのは、どこかに言葉の力が潜んでいるのかもしれません。
訳知りで、利口ぶった言葉ではなく、どこかのお父さんの駄洒落のような、軽く受け流せる言葉として、渡辺さんは語呂合わせを多用していたのだと思います。
ところでこの詩に一行目はとても鮮やかな情景を描いています。
「眠りの沖合で黄金の鯨が横転する」
なんとも壮大で晴れ晴れしい風景です。
それで、タイトルの「氷柱花」とは、詩の中に
「咲くのも散るのも同じ花 だけど
透明な国家の氷柱の核心に
ぼくの夢は凍ったまま咲きつづける」
とあるように、無為な毎日の中で夢を抱き続けることを
描いている詩になっています。
そして
「きみがワイドスクリーンの大陸を
ゆっくりと横切る間だけ ぼくは」
ということで、渡辺さんの詩の多くに出てくるように
ここでも
映画の世界に夢を託している姿が見られます
途中に出てくるコビトカバやホテルや海兵隊や
さまざまなイメージは
映画の一シーンから連想したものか
あるいは
言葉が自然に持ってきた何の脈絡もないシーンなのかと思います
この詩もほかの詩と同様に
退屈な毎日の中で映画の中や夢の中に
同大できらびやかなイメージを湧かしている
それだけの詩なのかも知れません
それでも
今この詩を読むわれわれにとっては
渡辺さんのこのような詩を
ひとつの夢のある映画を見るように読むことができるのです。
*
「荒野の袋小路」 藤田治に (抄)
2
たかが田町の巷で血迷うな
きわめて懐疑的な会議の果て
期せずして生まれた季節の仮説
東風や西風に吹かれてくたばった奴は
さいわいだ
もっとも そこで眠りつづけていれば
のはなし
起きてりゃ順番がまわってくるので
カードやパイをすばやく並べなおしたりし
これはやってみるべきだと何度も考えて
オサムチャン デカパンの③をください!
正確な生活の背や肩で
熱い幻影を軽々と運んできた
野送りの灯のように
とにかくここまでは……
決定的瞬間も念入りに栽培すれば
徹底的習慣になる
しかしまあ これから何世紀も
住む機械に棲む気かい?
唄も読経もなしに
卑怯なゲリラとして
考えるなむしろこんがらがれ
このくらがりでこんがりと
ひとりでやるか!
みんなでやるか!
夜鷹酔ったか三鷹を見たか
閑なメダカにハマダラカ
まだらな祭をまだ待つか!
*
「荒野の袋小路」について 松下育男
最初の三行は語呂合わせのオンパレードです。詩を書く事を楽しんでいます。この詩は「藤田治に」と副題があるように、友人に向けて書いた詩なので、友人に軽口をたたいているようにして書いていたのではないかと思われます。
それでおそらくこの詩は、友人と自分が過ごしてきた時代や生活を歌っていて、
「正確な生活の背や肩で
熱い幻影を軽々と運んできた」
と書いてあります。おそらく退屈な日々の生活の中で、熱い幻影を抱いて詩を書いていた、というようなことなのかと思われます。
それでこれからはどうするかというと
「考えるなむしろこんがらがれ
このくらがりでこんがりと」
とあり、とにかく考えているよりも行動しようと言い、最後は
「まだらな祭をまだ待つか!」
と、熱い行為の後に開けてくる世界を夢見ている、
と書いて終っています。
読み終わってみれば、最初の三行だけではなく、あらゆるところに語呂合わせが入っています。
むしろ、語呂合わせが詩の行き先を決めていて、どこか、自動筆記の感じさえします。
大したことを書こうなんて気持ちで詩を書いていません。詩を書く事がただ楽しければいいじゃないかという感じです。「凶区」という雑誌の、ひとつの詩のあり方が、この詩に反映しているとも言えます。
*
「夜の渦」
きみのゆっくりとうごく視線がふと遠くの花
花に触れると 花弁はかすかにざわめき 無
数の小さな鐘のようにゆれて時を告げる 夜
夜の底を轟かせていっせいに走りだす野牛た
ち 蒼い空にむかって降りそそぐように吹き
上り限りなく上昇する夢の花弁がしだいに渦
を描いて集るあたりから 肉をたたき骨を砕
く鈍い音が鳴り響き しだいに高まってぼく
の視線をたぐりよせる 見てはいけない 見
てはいけない けれどもうおそすぎる しわ
よっていたシーツが突然フワリとふくらみ帆
のように風にはためくと、視野を覆う花の渦
の中心に もうひとつの花のようにひらかれ
た細い井戸に からみあいつるみあう ぼく
たちの視線が落ちていく 暗い管の内部は闇
と同じ色をしたおびただしい血に濡れ きみ
の枕を髪を汚し、見えない棘がきみの肩や背
を鋭く裂く ぼくたちがもはや落ちているの
か昇っているのかさえ知らず しだいにせば
まっていく管に囚えられて抱きあうのはこの
時 苦しい息の中で これが数知れぬ夜々の
くりかえしであることに気づくのはこの時
しかもこの時 地平の彼方からはなおも数知
れぬ白い花弁が 夜々をくぐって集ってくる
*
「夜の渦」についての感想 松下育男
この詩は、ひたすら行為と、周囲の様子を描いています。
「ぼくたちがもはや落ちているのか昇っているのかさえ知らず しだいにせば
まっていく管に囚えられて抱きあうのはこの時」
と書いてあるところを読めば、おそらくこれは、愛する君との性交の様子を書いたものと思われます。
「夜夜の底を轟かせていっせいに走りだす野牛たち」とか
「肉をたたき骨を砕く鈍い音が鳴り響き」とか
「しわよっていたシーツが突然フワリとふくらみ」とか
「からみあいつるみあう ぼくたちの視線が落ちていく」とか
「暗い管の内部は闇と同じ色をしたおびただしい血に濡れ」とか
激しく愛しあう姿を、これでもかという感じで描いています。
そしてその描写は、「数知れぬ夜々のくりかえしであること」と言っていて、つまりは自分たち二人だけのトル別な行為ではなく、昔から人というものがこのように愛しあっていたのだと書いて、詩は終ります。
この詩においては、そこから先の思想的なほのめかしは何もありません。
ただ愛するという行為を様々に美しく喩え、その喩えを読んでもらおうという詩になっています。
いつもながら、ぶれない詩作の姿が見えます。
上っ面をひたすらきれいに書いていたいという、潔さを感じます。
*
「はてしなきスクリーン」
円卓の下で
騎士たちの脚がどれほど出血していたか
知っているのは
血に濡れた床で眠った恋人たちだけだ
恋によって遠くを
行為によってさらに遠くを
見るものとなったぼくらの視線は
どのような盲目も許されぬまま
星ひとつない快楽の彼方を
遠く漂流しつづける
救難信号も射ちつくした
あとは きみの血を流すだけだ
見せろ見せろ
もっと見せろ!
小娘を年増を後家さんを
本妻を先妻を
繊細な戦争を!
カメラ スタート!
時の嵐の中でふるえている
白い肩先からまわりこんで
瞳の中にそそりたつ恐怖に
舌の先で凍っている叫びに
ズームインしろ
大列車強盗があってから
誰ひとり眠らなかった
つまり
誰ひとりめざめなかった
波打つスクリーン
波打つ南支那海
波打つジャール平原
猛烈に波打つダウ三十種平均
もっと猛烈に波打つシーツ
ああ! ああ!
あたしゃ死ぬまでいくよ
シネマテークよ
もう昼も夜もないけれど
あしたまで おやすみ
ヒーローよヒロインよ吸血鬼よ
雨の降るスクリーンで
突然静止する
俠客よ 姐さんよ
いくたび死を重ねても 決して
われわれの映画は終らない
Continued next week
Continued next decade………………………
*
「はてしなきスクリーン」についての感想 松下育男
映画の詩です
スクリーンに向かっている詩です
自ずと映画を観ることが、人生を生きることと重ね合わされてきます
そういう意味で、この詩は映画を好きな人が、真っすぐに映画を賛歌している詩になっています
映画をよく観ている人が読めば、多くの映画の一シーンがこの詩の中に入れ込んであるのが分かるのだろうと思います。
二連目、三連目
映画を観ながら
「星ひとつない快楽の彼方を/遠く漂流しつづける」とスクリーンに向かって恍惚となっているけれども、
「救難信号も射ちつくした/あとは きみの血を流すだけだ」と、でもいつもでもそうしてはいられない、自らが行動を起こす時だと言っています
けれど四連目からあと
映画館を出て自らの物語を作りだすのかと思っていたら、そうでもなく、
「見せろ見せろ/もっと見せろ!」とまた映画を観ています
それから「ああ! ああ!/あたしゃ死ぬまでいくよ/シネマテークよ」
とかなり苦しい語呂合わせで、ずっと映画を観続ける、と宣言しています。
ただひたすらに映画を観続けるというだけの詩です。ある意味、カッコつけていないのです。
詩でこれほど潔い姿勢をとっていることも、確かにめったに見られません。
*
「過ぎゆく日々 葉子に」
一九三三年から踊り続けた
アステアとロジャースは
しなやかにもつれあいながら唄っていた
雨に降られて閉じこめられて
ここにいるのは素敵なことだ
ここにいるのは素敵なことだ と
蜜月に許された
華麗な音韻を踏んで
あらゆるささやきが
唄のように鳴る時の円蓋の内側に
閉じこめられたぼくたちは
果てしなく続く映画のあいまに
少しばかりワインを飲んだ
ロジャースとアステアを思って
少しばかり踊った
ぼくたちの抱擁をめぐって
ゆったりとよどんでいた時間は
不意に
輝く歯を遠くつらねて奈落を見せる
そんな夜々をわたっていくために
どんな遠くでぼくたちが出会ったか
知らずに微笑するきみの前で
記憶をギターのようにかき鳴らし
古い唄のパロディを聞かせよう
〈一晩中でも踊れたろうに〉
〈霞(かすみ)の彼方へ行かれたものを〉
窓ガラスを洗う雨を見つめて
ワインを飲んだ日曜日の午後
それが 素敵であってもなくっても
ぼくたちは ここにいた
この世界に閉じこめられて
おとなしい病巣のように
ひっそりと座っていた。
*
「過ぎゆく日々 葉子に」についての感想 松下育男
葉子さんというのは渡辺武信の奥さんなのだろう。
二人がやってきた月日を、フレッド・アステア&ジンジャーー・ロジャースという名コンビの映画俳優になぞらえて書いています。
「ここにいるのは素敵なことだ/ここにいるのは素敵なことだ」
とリフレインされれば、読んでいてなんだか泣きそうにもなります。
「窓ガラスを洗う雨を見つめて
ワインを飲んだ日曜日の午後
それが 素敵であってもなくっても
ぼくたちは ここにいた」
と
なるほど映画スクリーンの中のような日々だったのでしょう。
この詩は1980年、渡辺さんの最後の詩集『過ぎゆく日々』に載っています。
記憶が正しければ、この詩をぼくは「現代詩手帖」で読みました。そしてその時、渡辺さんの詩を読むのが久しぶりだったので、詩がどんなふうに変ったかなと思いながら読み始めたのです。
ところが、最初の「アステアとロジャースは/しなやかにもつれあいながら」のところを読んで、ああ、渡辺さんの詩だな、若い頃とちっとも変っていないなと思い、ほっとしたことを憶えています。
渡辺さん自身はもちろん若い頃から変ってきたのでしょうが、詩へ決して年をとってきていない、そんな感じがしました。
この詩集には「おぼえがき」というあとがきがあって、そこで渡辺さん自身がこう書いています。
「ぼくは十代の時にどうやら手に入れた書き方にいまだにしがみつき続けている」。
おそらくこの言葉を渡辺さんは、自慢気に言っているのではないのでしょう。また、しがみついていたわけのものでもないのでしょう。
詩を読む時には、さまざまな詩を受け入れることができます。けれど、詩を書く、という行為は、どのような詩を書いて行くかという判断は、自分ではどうにもならないものがあるような気がします。
渡辺さんの詩は、若くしてつやつやしく生まれるように出来ていて、渡辺さんがどんな詩を書こうとしても、その原初の詩の雫を、繰り返し垂らすように、あらかじめ決められていたように思えるのです。
渡辺武信という、最後まで鮮やかな詩を書き続けた詩人がいました。
いくども自分の詩の原点に戻って、決して年をとらない詩を書く詩人が、いました。