単純な世界で詩を書いていたい
もっと単純な世界で詩を書いていたかった、と思うことがあります。
例えばのんびりした国の、のんびりした時代の、昔話に出てくるような世界です。
例えばぼくは、若い頃に詩を書いていて、その後、勤め人になって定年まで働き、そのあとでまた詩を書き始めました。そして最後まで詩を書いて暮しました。
と言う時の「詩を書く」という言葉の中には、その詩がどれほどのものかとか、他にどんな詩人がいたかとか、詩の状況はどうだったかとか、どんな詩の経歴を持っていたかとか、そういったもろもろのことは、いっさいどうでもよいと思われている世界です。
ただ詩を書いて暮せる世界です。
ただ朝起きて、詩を読んで、そのあと、のんびりとお昼を食べ、もしも詩ができればその詩を書いて、それからいつもの道を散歩して、夜になったら夕飯を少し食べて、NHKのドラマを面白く観て、観ているうちにうたた寝をして、それから起こされて、ベッドへ行っておとなしく眠りました。
と、それだけの人です。そういった「詩の書き方」です。ほかにはなんにもない「詩の書き方」です。
でも、現実はいつもわさわさしていて、何かというと人と比べられて、いいとか悪いとか言いあって、、、そういうの、そうしたいという人はそうしていればいいと思うけど、ぼくには、うんざりだと思えるのです。
ですからぼくは、勝手に単純な世界で詩を読み、書き、語って、おとなしく暮してゆこうと、思っているのです。
「その人は定年まで会社で働き、そのあとひそかに最期まで、詩を書き、嬉しく人の詩の素敵なところを、語っていましたとさ。」