「現代詩の入り口」30 ― 詩にとってのメッセージ性とは何か、を考えたかったら石垣りんの詩を読んでみよう
石垣りんさんというと、たぶんぼくだけではなくて、多くの人がそうだと思うのですが、「とりわけ印象的な詩を書く人」と、感じてきました。中でも、「シジミ」や「表札」は、ぼくはたぶん教科書で読んだんだと思うんですけど、一度読んだら忘れられない詩です。そういった詩って、世の中にはそれほどにはないんです。「シジミ」の中の「ミンナクッテヤル」や「表札」の中の「石垣りん/それでよい。」なんて行は、ぼくの人生の中で、ずっと頭から離れないんです。
それで、石垣さんの詩を今回、読み直してみて、もちろんすごいなと感じた詩はたくさんあったんですけど、誤解を恐れずに言うならば、それほど衝撃的でない詩もけっこう多いなということだったんです。
詩を書いた時代とか、媒体(つまり、その詩を読むだろう読者を想定していたこと)を考えると、今、ぼくが読んで、さほどにうたれない詩があるのは当然なのかもしれないんですけど、それでもちょっと不思議だったんです。
でも、一方、石垣さんの詩を、感動を持って読んでいる人はいまでも数多くいることも知っています。
ということは、むしろ、ぼくの、詩の読み方が偏ってきているのかなと思ったんです。それについての答えはぼくの中でまだ出ていないんですけど、石垣さんの詩を、時に、遠いと感じてしまうことは、詩を読むことの、自分の健全さに関係しているのかなとも感じました。
*
今回、石垣さんの詩を読んでいて最も強く思ったのは、メッセージ性についてのことなんです。メッセージ性というか、人に自分の意見を訴えているということなんです。
というのも、詩の教室で皆さんの詩を読んでいると、メッセージを込めた詩が時折あるんです。ただきれいな言葉や言い回しを追求している詩ばかりではないんです。
たとえば差別について、あるいは戦争や暴力について、環境破壊について、政治体制について、国際問題について、経済について、などなど、いろいろあると思うんですけど、では、実際は石垣さんの詩ってどうなんだろうと思ったんです。
今回ぼくは、純粋に詩として好きなものを10編選びました。その中に特定のメッセージが入っているかどうかについては考えずに選びました。でも選んでみると、結果として、石垣さんの詩には、直接メッセージを入れ込んだ詩は、10編の内2編しかなかったんです。
メッセージをこめた詩としては、「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」が、女性に対する差別について書いてあります。また、「たそがれの光景」では、人権の保障や貧しさについて書いてあります。
では、そのほかの8編の詩ではまったくメッセージが入っていないかというと、一見、命のありかたとか、人の根源的なことが書いてあるばかりで、特に何かを訴えている、というふうには見えない詩が多いんです。
でも、ふと思ったのは、メッセージというのは、これはメッセージだぞとあからさまに書くだけではなくて、読んだ人にとっては、単に何かの抜き差しならぬ真実が書いてあるように思われ、それが後に、読んだ人の中で、その真実や感動が、その人の経験や知識に刺激を与え、結果として、メッセージとして徐々に増幅してくる、そういった詩もあるのではないか、それはまさに石垣さんの多くの詩なのではないかと思ったのです。
つまり、間接的に書いてあるメッセージ、あるいは、読む人の中で生み出されるメッセージ、ということなんです。
「くらし」という詩では貧しさを書く事によって、訴えてくるものがありますし、「夜道」という詩では威張った人になりたくない、ということで、これも間接的に権力というものについて書いています。
多くの詩が、単に生きていることをじっとみつめてその意味を自分に問うている詩のような気がします。でも、生きていることをどのように見つめているか、ということは、読み手の人生を揺り動かしますし、石垣さんとはいったん離れたところで、メッセージとして生まれてくる、そんな気がするのです。
これだけの分析で、何が言えるかというのはむずかしいのですが、あえて言うならば、石垣さんの詩は、最初から何かを訴えるために書かれたというよりも、むしろ、自分というもの、生きているということ、命というものを見極めるところに、核があるのではないかと思うんです。
メッセージ性のある詩は、最初から何かを訴えようとして書いているのではなく、こうあるべきという自分や社会についての詩を書いているうちに、はみ出すように、それゆえに純粋な思想が語られることになるのではないか、そのように感じたのです。
石垣さんの詩の姿は、例えばウクライナやガザ地区での戦争や、あるいは原爆や暴力について憤った時に、それを直接、詩に書くべきか、あるいは、自分の思いを正確に伝えるためにはどのように書くべきか、ということの、われわれにとってのよい参考になるのではないかと思うのです。
単にニュースの意見に沿って詩を書くのではなく、自分にいったんもどって、生きるべき姿に戻って、そこから思考や感じ方を積み上げてゆく、そうしている内に、詩として成り立ったものが、直接的な、あるいは間接的なメッセージ性を伴った詩になるのではないかと思うのです。
ということで、今回、石垣りんさんの詩を10編読もうと思います。次の10編です。どうぞ。
「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
「顔」
「私はこの頃」
「シジミ」
「表札」
「くらし」
「貧しい町」
「坂道」
「夜道」
「たそがれの光景」
*(作品1)
「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり
台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。
*
「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」について 松下育男
有名な詩です。
明確なメッセージを伝えようとしている詩です。詩にメッセージを込めるべきかどうか、という議論は、いつの時代にもありますが、詩にとっての問題は、メッセージが入っているかどうか、ではなく、あくまでも詩としての完成度、成熟度なのではないかと思います。
詩のテーマで、これを書くべきだという決まりがないように、詩でこれを書くのはふさわしくない、というものも、特別な理由がない限り、ないのだろうと思います。
石垣さんの詩は、おそらく詩によっては、詩を書きたいという衝動がまずあって、気がつけばその衝動の中に、言いたいこと、メッセージが入っていた、そういう順番のものがあったのだろうと思います。
この詩は、幾度も読み手の意表を突く曲がり角を持っています。
まず、この詩は炊事という仕事が、昔から女性の役割としてとらえられてきた、女性が炊事をしてきた、ということから始っています。通常の詩であれば、そのことに異をとなえて、男女平等をメッセージとして詩に込める、ということになるのだと思います。
ところがこの詩では、「(炊事が)女の役目であったのは/不幸なこととは思われない」と書いてあります。ここが一つ目の、読み手の意表を突く曲がり角です。ここをどう解釈するかは読む人によって異なってきます。
ぼくの解釈は、女性だけが炊事をしてきたことについての差別感は当然持っているけれども、炊事という作業そのものを軽く見ているわけではない、ということです。炊事というものについて発言したいのは、男女差別だけのことではなく、炊事そのものの重要性を忘れたくないと言っているようです。
ですから、炊事の役割を男性にも渡すべきだ、ということだけではなく、女性は炊事をしながら「政治や経済や文学も勉強しよう」と言っています。これが2つ目の、読みての意表をつく曲がり角です。
この意見にも、異をとなえる読者は多くいるだろうと思います。なぜ女だけが炊事をした上で、他のことを学ばなければならないのか、ということです。でも、石垣さんは、だれに反対されようとも、自分が信じることを書いています。それはおそらく、家を守り、銀行員をやり遂げた石垣さんだから言いえた言葉なのかなと思います。
そして最後の曲がり角が、最終連です。
女性が炊事に加えて勉強するのは、自分のためではなく、「それはおごりや栄達のためでなく/全部が/人間のために供せられるように/全部が愛情の対象あって励むように。」
と書きます。
そうか、この詩は始めから、女性はどうあるべきだ、というところから書かれていたのではなく、人はどうあるべきだ、ということを言いたかったのだということがわかります。
そうであるならば、めぐりめぐって、女性だけが炊事をしているのはおかしいではないか、という考え方を、優しくサポートしてもいるのだと思うのです。
表面的に言っていることの裏側に、さらに訴えようとしていることがあったのだと、読み取ることができるのです。
* (作品2)
「顔」
会議室にて
机の前にたくさんの顔が並んでいる。
血のかよっている
笑ったり怒ったり話したりする顔
いつかみんないなくなる顔
とじられる目
つめたくなる唇
からっぽのがいこつ、
けれど永久になくならない
次々と生まれてくる顔
やがては全部交替する顔
それをじっとみまもっている
その交替をあざやかにみている眼――
それがある、きっと。
それが誰だかわからない
ひとり、たしかにひとりいるのだが。
*
「顔」について 松下育男
この詩のタイトルは「顔」ですが、「会議室にて」という副題がついています。この副題によって、この詩がどのような状況で書かれたかがわかります。つまり、おそらく円形テーブルのように、あるいは車座に並べられた机で、参加者がお互いに向き合った位置で会議をしています。
石垣さんはこの会議に出席していて、目の前に見えるほかの参加者の顔を見ている、という詩です。
なんの会議だかは書いてありませんが、勤めていた銀行の会議だったのでしょう。おそらくこの日の会議のテーマは、石垣さんにとってさほど重要でないものだったのではないかと思われます。
というのも、会議とは関係のないことを、思い浮かべているからです。
ここでこれらの人たちは真剣に会議をしているけれども、時が経てば「いつかみんないなくなる顔」なのだ、なんてことを考えています。
それにしても、会議をしていて、目の前の人から、「この人もそのうちにこの世からいなくなる」なんて考えられているとは、思いもしていないでしょう。
そして、妙なことを言うようですが、この日の会議で何が議論されていようとも、参加者がみな生き物であり、すべての参加者(生き物)はそのうちに死んでゆくのだということほど、重要なこと(議題)はないとも言えます。
石垣さんの思考は、でも、それだけでは終わらずに、この人たちは死んでいくけど、その後に引き継いで生まれてくる人もいるのだ、ということを考えています。
個としての人はいなくなっても、総体の人としてはあり続けるということ、そんなことを、全体を司る世の摂理とともに考え続けています。
会議の結論がどう出ようとも、おそらく石垣さんのこの思考は、果てしなく続くのだろうと思われます。
たぶん、石垣さんの頭の中では、今見えている参加者の顔が、時代が変わり、すべて別の顔になって、依然としてここで会議をしている様子が、イメージされていたのだと思います。
表現の仕方はだいぶ違いますが、吉野弘さんが、職場で魂の話をしようと、詩に書いたことと、繋がっているように思います。
わたしたちは、日々の仕事や出来事にあたふたして、ともかくも生きています。
けれど、その根底には、わたしもいつか死ぬのだ、という思いがあり、その恐さに叫び出したい心に蓋をして、生きているのだとも言えます。
それゆえ、何をテーマにして詩を書こうとも、すべての詩は死を描いていることに行くつくのではないかと、この詩を読んで、ぼくはさらに思うのです。
*(作品3)
「私はこの頃」
海に最後の潮が満ちたとでもいうのか
両手の中にたっぷりとくる乳房のおもみよ
りんごは今がとりごろ
魚なら秋のさんま
キラキラと油の乗った食べざかり
(ふと醒めて、ほかでもない、私はあたたかい自分の肉
体にびっくりする)
これはいのちあるものの
やがては滅びゆくものに与えられたいのちのまっ盛り
木々に風そよぐごとく
花びらに露光るごとく
やがては枯れ、やがては散る
生けるもののただひとつの季節
この美しい陽の照るきわに
花はどのように散り
木はどのように実るのであろうか
私はこのごろ不安な心で
滅びの支度について、考える――。
*
「私はこの頃」について 松下育男
考え事の詩です。それで考えているのは、命のことです。命の満ち足りた様子と、それがいつかはなくなり、命そのものも失われてゆく、ということです。どこか、昨日読んだ「顔」という詩の主題とつながっています。
だれもが知っていることであり、そしてだれもがここに書いてあることの当事者でもあります。
石垣さんって、今、目に映る人やものの、その奥の「滅び」に、どうしても目が行ってしまうのだな、って思います。
命はそれぞれに、最も美しい時期を迎えます。若い頃は、人も、動物も、なんてきれいな生き物だろうと、息をのむことがあります。
それにしても、この詩に書かれている命の満ち足りた様子はなんと輝かしいことかと思うのです。その輝かしさが、この詩におのずと色艶を与えています。
「両手の中にたっぷりとくる乳房のおもみ」
「キラキラと油の乗った食べざかり」
「花びらに露光る」
そしてこの詩でぼくが驚くのは、人も、りんごも、サンマも、木も、花も、すべての命あるものを同列に見て、同じものとして感じていることです。差別や区別をしていないことです。
食べ盛りのサンマはわたしのことであり、露光る花びらも、わたしのことなのです。
そう考えれば、失われてゆく自分の命も、たった一人でこの世からいなくなる寂しさは感じるものの、りんごやサンマや木や花の滅びと一緒なのだと思えば、自分の寂しさも、世界の穏やかさと寛容さの中に、解け出してゆくような気もするのです。
*(作品4)
「シジミ」
夜中に目をさました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。
「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクッテヤル」
鬼ババの笑いを
私は笑った。
それから先は
うっすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかった。
*
「シジミ」について 松下育男
この詩はとても有名ですし、直接読者に訴えかけてきますので、あらためて解説するまでもありませんが、石垣さんといえば、この詩をとりあげないわけには行きません。
ちょっとした出来事をちょっと書いたら、大傑作になってしまった、そんな稀な詩です。おそらく石垣さんも、この詩を書いた時には、そののち、どれほど多くの人に読まれることになるかを、想像できなかったのではないかと思うのです。
ぼくはこの詩を、たぶん教科書で読みました。はじめて読んだ時に衝撃を受けた記憶があります。それで、それ以来ずっと頭の中に残っているんです。忘れられないのです。そんな詩、めったにありません。
それにしても、こんなに短い詩なのに、読めばやっぱり感心するところがいくつも見えます。どんなところかというと、
(1)一連目、シジミが口をあけて生きているところが目に見えるようです。そして、生きている、ということでは、シジミは、シジミを見つめる人と同じ位置(場所)にいることになります。
(2)「ドレモコレモ/ミンナクッテヤル」という言葉の勢いはすごいと思います。単にシジミを食べてやるぞというだけではなく、何か、生きていることに対する不満や悲しみを込めた言葉のようにも聞こえます。
(3)「鬼ババの笑い」というのがおかしく思います。自分のことを鬼というこの姿勢が、なんともユーモラスであり、何も飾ろうとしないで詩を書こうという気持ちが見えます。
(4)最後のところで石垣さんは、「うっすら口をあけて/寝るよりほかに私の夜はなかった」と書きます。その様子が目に見えるようですが、そういえばこの詩の始めではシジミが口をあけていたなと思い至ります。なんだ、このシジミは石垣りんさんのことだったんだと、ここで気づきます。石垣さんだって、翌朝になれば、この世のしがらみや、抜け出られない生活に、頭からまるごと食われてしまうのです。
石垣りんさんはこのシジミだったのだし、この詩を読む人も、実は毎晩口を開けて眠る、小さな命を抱えたシジミだったのです。
ともあれ、幾度読んでも、この詩はすごいなと感じるのです。
作者は石垣りんさんですが、実はこの詩はもともとこの世にあって、石垣さんに書かれるのをじっと待っていたような気のする、そんな完璧な詩です。
*(作品5)
「表札」
自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。
自分の寝泊りする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。
病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。
旅館に泊っても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場の鑵(かま)にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?
様も
殿も
付いてはいけない、
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。
*
「表札」について 松下育男
本日もとても有名な詩です。この詩も幾度読んでもすごいな、いいな、と思います。
何度でも、いいなと思える詩って、いったいどうなっているのかと思います。
感動を与えてくれて、去り際に、その感動を忘れさせてもくれるのだろうか。そうすれば、次に読んだときに、また感動できようになるから。その仕組みを知りたいと思います。
さて、俳句では、何かお題を出して、それについて句を詠む、ということがあります。でも現代詩では、そういうことはめったにしません。ただ、詩になりやすい言葉とか、詩に書きたくなる言葉、というものはあります。「表札」も、詩になりやすい言葉の一つではないかとぼくは思います。
というのも、表札は、その名前によって表されている人が背後にいるので、人のことを考えやすいのです。風景写真の中に、人がひとり入っているだけで写真に物語が生まれるように、表札という言葉にはすでに人が入っており、ということは、なだらかに詩に発展しやすい物語を想像できるのです。
石垣さんも「表札」について詩を書きました。読んでみれば、なるほどと思われることばかりです。さすがです。
「他人がかけてくれる表札は/いつもろくなことはない。」と、ちょっと怒ったような感じで書いていて、それはどうしてだろうと思っていると、病院に入れば名札に「様」がつき、お葬式では「殿」がつくから、何か、奉られてしまうようで、本来の自分ではなくなる、だからいやだ、ということのようです。
なるほどそんな考え方の切り口があったのか、と納得してしまうのです。「表札」ひとつで、こんなに深いところまで発想が行き着くのかと、感心してしまいます。
この詩を読んでいると、あっこれは詩になるな、と思いついた時には、だらだらと書いてしまうのではなく、その思いつきを大事に育て上げるのが重要なのだと、教えてくれています。
ところで、この詩は、「様も/殿も/付いてはいけない」とあります。つまりここにある自分だけでいいと言っています。どこか、茨木のり子さんの詩「倚りかからず」の「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない」という一節を思い出します。
すぐれた詩人は、めぐりめぐって同じような詩を書くことになるものなのだなと、どこか嬉しくもなるのです。
だれも知らないことが書いてあるのではなく、読む人がすでに知っていることを、あらためてしっかりと思い出させてくれること。優れた詩ってそういうものなんだなと、この詩を読むと思うのです。
*(作品6)
「くらし」
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
*
「くらし」について 松下育男
詩と、その詩を書いた人は関係があるか、なんて議論は昔からありますが、そんな議論をできるのは、どこかに余裕のある詩や詩人についての場合なのかなとも思います。
石垣さんの詩には、いやおうなしに石垣さんの生活がもろに入り込んでいます。銀行勤めをして、一家を支えて、その上で書いている詩なのです。詩に生活を書く事になるのは当然のことであり、むしろ、生活そのものが詩になっているのだと思えるのです。
一家を支える上で、なにが一番大切かと言えば、生き延びることであり、そのためにはものを食べることであり、自分だけではなく、両親や兄弟をも食べさせてゆかねばならず、食べる、ということが命そのものと直結しています。
「くらし」というタイトルで、一行目に「食わずには生きてゆけない。」と書いてあるのを見て、ぼくはこの時点でこの詩にうたれてしまいました。
なぜ「食べずに生きてゆけない」ではなく「食わずにいきてゆけない」なのかと言えば、最後の行にあるように、自分を人というよりも、獣のようだととらえているからなのです。
銀行に行って働いてお金を受け取る、という行為が、どこか、獣が洞窟を出て獲物を探しにゆくという行為と、なんの違いもないのだと、この詩を読んでいると感じてくるのです。
石垣さんの詩を読んでいると、詩の見事さを感じるだけではなく、「可能ならばこの詩を書いた石垣りんという人と、一度話がしてみたかった」、と思ってしまいます。有名な詩人としての石垣さんとではなく、毎日悪戦苦闘をして家族を養い、生活をしている、そんな、われわれと同じ心の石垣さんと、です。
*(作品7)
「貧しい町」
一日働いて帰ってくる、
家の近くのお惣菜屋の店先きは
客もとだえて
売れ残りのてんぷらなどが
棚の上に まばらに残っている。
そのように
私の手もとにも
自分の時間、が少しばかり
残されている。
疲れた 元気のない時間、
熱のさめたてんぷらのような時間。
お惣菜屋の家族は
今日も店の売れ残りで
夕食の膳をかこむ。
私もくたぶれた時間を食べて
自分の糧にする。
それにしても
私の売り渡した
一日のうち最も良い部分、
生きのいい時間、
それらを買って行った昼間の客は
今頃どうしているだろう。
町はすっかり夜である。
*
「貧しい町」について 松下育男
この詩は、詩の書き方としては、ホントに典型的なものなのではないかと思います。
典型例な書き方の詩とはどういうものかといいますと、暮らしている中で、気になったもの、目に付いたもの、心動かされたものを書き、次にそれに自分をあてはめて考えてみる、という書き方です。
そしてこのような展開の詩を、読者は無理なく受け入れられるのです。
この詩では、売れ残りの天ぷらを見て、はっと思ったようです。はっと思ったのは、この天ぷらは自分のようではないかと感じたからです。この天ぷら屋の人にとっての「売れ残り」と、自分の一日の中の「残りの時間」が、同じように感じられたということです。
詩を書いていると、よくこういった書き方をすることがあります。
さらに、この詩は、勤め帰りに感じたことを書いています。勤め帰り、というのは、一日中、人前で自分を奮い立たせてきた後に、ほっと自分だけに戻った時間なので、その「ほっと」した気持ちのところに、詩が生まれることがよくあるのです。
タイトルに「貧しい」という言葉が入っているように、この詩はどちらかというと寂しい気持ちの詩です。けれど、その貧しさをやさしく見つめている眼差しを感じます。ぼくがこの詩で好きなのは、自分を見つめるその眼差しなのです。
働いての帰り道に、自分の姿を思い起こさせてくれるようなものに、目が行ったのです。詩ができないわけがありません。ましてや石垣りんさんです。売れ残りでも、こんなにおいしい詩がひとつ、でき上がりました。
そして、石垣さんはいつも詩を、働いて疲れ切ったあとの、眠くて仕方がないような時間に、頑張って書いたのだろうなと、想像してしまうのです。
石垣さんが、売れ残った天ぷらのような、一番元気でない時間に書き残してくれた詩が、のちに、この詩を読む多くの人に、読む人なりの元気を、はてしなく与え続けてくれているのです。
*(作品8)
「坂道」
若い詩人が
石垣さんに詩集の序文をたのんで
断られましたと
黒田三郎さんに告げたら
おりんちゃんに
そんなことたのんでは可哀相だ
と答えたそうだ。
黒田さんは私をよく知っているから
ほんとうに有難いと思った。
ある集会で
はじめて会った小学校の先生が
二次会果てた後も話し続け
こんなこと
なんですが
とためらいながら
黒田先生がおりんちゃんは
下り坂だとおっしゃってました
あ
ごめんなさい
言わないほうが良かったかしら
と付け足した。
それは
黒田さんが言うのだから
当っているに違いないと思い
有難かった。
あれからずっと
私は下り坂を来ている。
振り返ると
坂の上で黒田さんが
手を振っている。
*
「坂道」について 松下育男
この詩を読むと、なんというか、いろんなことを考えます。
詩を書いている人は、もちろん一人で書いているわけですが、たまに詩の集まりに出たりすることがあるのです。
あるいは、詩の教室などをやっていると、詩を書いているいろんな人に会うことになります。
もともと人付き合いが苦手なので詩などを書いている人が多いと思うのですが、ぼくもそうだったのですが、大人になるとそうも言っていられなくなって、詩の集まりなどにも行くことがあります。
この詩で気になって仕方がないのは、黒田三郎さんが「おりんちゃんは/下り坂だ」と、誰かに言っていたことを、わざわざ石垣さんに告げ口した人がいたということです。その人は悪気がなかったのかもしれませんが、黒田さんが直に石垣さんに言ったのではないことを、間に入って言うべきではないと、ぼくは思うのです。
言ってもいいのは、誰かが誉めていたとか、ということなら伝えても構わないと思うのですが、本人ががっかりするようなことは、人が言うべきことではないと思います。
そして「下り坂」だと言われた石垣さんはこの詩で、「有難かった。」と言っています。黒田さんと石垣さんの関係がどのようなものだったかをぼくは知りませんが、この石垣さんの言葉が本心から出てきたものだったら、すごいなと思うのです。
ぼくは石垣さんのように大きな心を持った人間ではありませんから、例えば清水哲男さんが、「松下君は下り坂だ」と言っていたと人に聞かされたら、もろに元気がなくなって、どんな集まりでもそのまま帰ってしまうと思います。
それでも、もし清水哲男さんか辻征夫さんに批判されたら、ぼくはしばらくは元気が出ないかも知れないけれども、言われたことをしっかり胸にしまって、また頑張ろうと思うのではないかと思うのです。
自分に対する批判を正当に受け止められるかどうかというのは、なるほど、言ってきた人の真意と、言い方と、生き方にも関わってくるのかなと思うのです。
*(作品9)
「夜道」
足音の近づくとき
こおろぎが鳴きやむ
何もそんなに
人が通ったからといって
鳴きやむこともあるまい、
と思いながら
足音高くゆけば
パッタリ
忍んで通れば
虫のほうも考え深げに
とにかく黙ってしまう
そう黙られては
まるで私が
権力者のようではないか
とつぶやき
抱えこんでいるのは風呂の道具
握りしめているのは釣り銭
にすぎない
と、虫の大衆に語りかける。
*
「夜道」について 松下育男
銭湯に行く途中の道で、コオロギが鳴いていて、でも自分が通ると鳴きやんでしまう。よくある光景です。
そんな時、人はどんな詩を書くでしょう。おそらくコオロギの鳴く季節のこととか、あるいは、時の流れについての無常観を書くかも知れません。でもまさか、この場面から、自分を権力者に見立てて詩を書くとは、誰も思いもしません。
この詩は、単に銭湯へ行くために歩いている、という、ほんとによくある日の、よくある行為の詩ですが、でも、石垣さんの感じ方、考え方が明確に表されています。
この詩の中の石垣さんはもちろん人間です。でも、この詩は、石垣さんの視点から、コオロギの視点に移っています。あるいは、同時にふたつの視点を持っています。
コオロギにとって、自分よりも大きな存在、自分を踏み殺すことのできる存在に対する恐れを描いています。そしてこの時、この詩がコオロギの目の高さで書かれていることに気付きます。
「まるで私が/権力者のようではないか」という言葉は、石垣さんがいかに権力者(高みからものを言う人)であることを嫌っていたかを示しています。
そして石垣さんのすべての詩が、権力を持っていないところから書かれていることがわかります。
相手を真に知るためには、見下ろすのではなく、身をかがめなければならない、ということなのでしょう。
生きてゆくための視点、詩を書くための視点の低さの重要性を、この詩からしっかり学ぶことができます。
*
「たそがれの光景」(作品10)
私が三十年以上働いてきたのは
家族が最低の生活を営む
その保障のためでした。
私の持ち帰る月給が
ケンポーの役割を果たしてきたと
思っています。
でも第二十五条の全部ではありません。
月給袋が波間に浮かんだ小舟の
舟底のように薄くて。
不安な朝夕を流れ流れて。
戦火も飢餓もきりぬけました。
このちいさな舟に乗り合わせた人たちを
途中でおろして
どうして私が未来とか希望とかに向かって
船出することができたでしょう。
長い間漕ぎつづけましたが
文化的な暮しは
そんなやすらかな港は
どこにもありませんでした。
当然の権利、と人は言いますが。
力の強い人たちによって富もケンリも独占され
貧しく弱い者はその当然のものを
素手で勝ちとるほかない
さびしい季節に生まれました。
もういちど申します。
最低限度の生活を維持したいのが
私の願いでした。
国はそれを保障してくれたことがありません。
国とは何でありましょう。
おかしな話になりましたが
その単純さで
ケンポーは自分のものだと思っています。
望遠鏡のむこうで
第二十五条がたそがれてきました。
けれど引き返すことのできない目的地です。
もうひといきです。
私は働きます。
*
「たそがれの光景」について 松下育男
この詩を読めば、詳しくは知らなくてもおおよそのところは想像できると思うのですが、憲法25条というのは、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」というものです。
この詩でぼくが驚くのは、ひとつのメッセージを飾らずに、そのまま伝えようとしているところです。
詩として見栄えのよいものにしたいというよりも、言いたいことをしっかりと伝えたい、という気持ちの方が大きいのだと思います。
そうであるならば、なにも詩に書かなくても、散文の方がこの内容を訴えるためにはふさわしいのではないかと思います。
たぶんそうなのでしょう。でも、詩にすることによって、散文ではとどかないものを、読む人に手渡すことができます。
おそらく、長らく詩を書いてきて、思いを伝える術を詩で学んできた石垣さんにとっては、散文で書くよりも、詩の一行一行で血を通わせるように書いておきたかったのではないかと思います。
詩ですから、詩らしい比喩も入っていますが、それは給料袋がはかない小舟のようだと言っている単純なものです。単純ではありますが、石垣さんの状況や伝えたいことはしっかりと書かれています。
メッセージを言いたいがための詩なのに、きちんとこちらの胸を打つのです。詩と言うものは、なんとひろい間口をもっているものかと、思いもするのです。
詩の読み方とは、どこかに定義されているものではなく、目の前の詩が、その詩だけの読み方を示してくれるものです。
この詩を読むとき、ぼくは、詩を読んでいるというよりも、石垣りんさんの日々を直接読んでいるような気がします。
石垣りんさんの詩が好きだ、ということは、詩をとうにはみだして、石垣りんさんのうつむき、石垣りんさんのため息、石垣りんさんという人の人生への立ち向かい方、石垣りんさんのあり方そのものが好きだ、ということなのです。
さて、「石垣りんさんの詩を読む」は、今日でいったん終わりです。またいつか、この続きを。