ねむりはね
ねむりはね
ねむりはね
すこしずつきみの
かおに
ふってきて
かおぜんたいに つもってくる
こん やはん
こうせつはますます はげしくなり
きみのかおの さんかんぶや
しがいちにも
はげしくふりつのるだろう
それでね
きみのねむりの
しずかなさかみちの とちゅうに
ふるびた かんだんけいが
つりさげられていて
いつもおなじ やさしさの
おんどに
きみはせってい されているんだ
*
先日、「ひとひら言葉帳」というサイトに引用されていた詩の、全文です。
この詩は詩集『きみがわらっている』(ミッドナイト・プレス)の中の一篇です。『現代詩文庫 松下育男詩集』(思潮社)にも入っています。
すでに何度か書いていますが、これはぼくが長い間、詩から遠ざかって勤め人に専念していた頃に書いた詩です。毎週一度、子どもをピアノレッスンに送って、レッスンが終るまで近くの小さな公園で空を見て待っていました。その待っている間に、なぜか何十年ぶりかに詩が思いついて、一気にたくさんの詩を書きました。その内のひとつです。『きみがわらっている』は、子どものピアノレッスンの間に、公園で作られた詩集なのです。なので、この詩集を見ると、あの小さな公園と、夕暮れと、しばらくぶりに詩がやってきてくれたことに驚いていた自分を思いだすのです。
そしてこの詩集は、ぼくがなにも望まないきれいな人でいた頃に書いた、唯一の詩集だったかもしれません。