「現代詩の入り口」31 ― 熱い血が一行目から噴き上ってくるような詩を読みたいと思うなら、清岡卓行の詩を読んでみよう。

清岡卓行さんの詩を読んでみようと思います。

今回は、清岡さんの「現代詩文庫」(思潮社)を三冊読みました。それで、いくつか感じたことはあったんですけど、一番思ったのは、「詩の一行が読む人にいかに深く突き刺さってくるか」ということです。

いろんな人の詩を読んでいますと、この詩が好きだ、ということはあります。それで、たいていの「好き」は、簡単にその理由が見つかります。言葉の美しさだったり、心優しさだったり、比喩の見事さだったり、生きている悲しみを表現しているからだったり、深い思想を含んでいるからだったり、さまざまですが、なぜこの詩に惹かれるのか、という理由はたいていすぐにわかります。

でも時に、なぜか理由が曖昧だけどこの詩に惹かれる、ということがあるんです。そしてそういう理由の曖昧な詩というのは、ずっと自分の中に留まるんです。去っていかないんです。忘れないんです。そういった、理由はぼやっとしていて曖昧だけど惹かれる詩というのは、詩の全体に惹かれることもあるんですけど、どちらかというと、その中の特定の数行が忘れられなくなっているんです。時に、どんな理由もなしに、あるいはどんな理由も飛び越えて、この数行にとらわれてしまうということがあります。これという理由もなく忘れられなくなる詩行、というものがあるんです。

そういった詩を書く詩人としてすぐに思い浮かぶのは、僕にとって二人いて、ひとりは石原吉郎、もうひとりは清岡卓行なんです。数行の衝撃、数行の持つ力は、読む人の生涯に亘って及び続けるものなんです。つまり、詩に取り憑かれて生きる、というのは、詩の全般が好きだという人もいるでしょうけど、場合によっては、詩のたった数行が、読む人の人生における感性のありどころを決めてしまうことでもあるんです。

意味やリズムや思想や比喩や象徴や、個々の魅力を超えて、たった数行に生涯とらわれ続けるということがあります。それが詩の本望なのではないかとも思うんです。ぼく自身が、若い頃に清岡さんの数行の詩に取り憑かれて、その魅力に手を伸ばすようにして生きてきたんです。

それで、清岡さんの詩が年とともに詩が変化してゆくその過程も面白かったですし、その時々にすばらしい詩はあるんですけど、意味を超えて胸に突き刺さってくる詩行、それによって読み手を詩に傾けて生涯を過ごさせてくれるような詩行というのは、やはり、清岡さんの初期の詩、若い頃の詩に多い気がしました。

それが何を意味するのかを、ぼくは知りません。初めての母乳に特別な栄養があるように、書き始めてまもない頃の詩には、そこにしかありえない不思議な力があるのかもしれません。

それでは、いくつか、ぼくを生涯打ち続けた詩行を紹介します。
これまで言ってきましたように、なぜこれらの詩に打たれたかを言葉で説明するのは難しいのですが、それでも少しでも、こんな所に惹かれたのではないかというのを、言ってみたいと思います。

(1)
「二十世紀なかごろの とある日曜日の午前
愛されるということは 人生最大の驚愕である」(「子守歌のための太鼓」)

この詩のどこに惹かれたかというと、たぶん、まずつきぬけるような透明感があることです。「人生最大の」なんて、大げさであることです。許せる「おおげさ」であることです。おおげさだけど、つきぬけるような透明感がある。それは、自分の人生にとってはあこがれであるわけです。だから忘れられないんだと思うんです。

(2)
「朝
きみの肉体の線のなかの透明な空間
世界への逆襲にかんする
最も遠い
微風とのたたかい」(「氷った焔))

この詩のどこに惹かれたかというと、たぶん、これも、「最も」とあるように、恥じらわずに、大げさであることです。それから異性へのういういしいあこがれが見られることです。透明感もあります。

(3)
「どこから世界を覗こうと
見るとはかすかに愛することであり」(「氷った焔))

この詩のどこに惹かれたかというと、たぶん、気の利いたアフォリズムのように、世界を簡潔の書ききってしまっていることです。それから愛について正面から書こうとしていることです。

(4)
「かれは眼をとじて地図にピストルをぶっぱなし
穴のあいた都会の穴の中で暮す」(「愉快なシネカメラ」)

この詩のどこに惹かれたかというと、たぶん、想像力が大胆であることです。冒険的であることです。度胸も感じられ、また人生にやけになってもいるように感じられます。比喩の中に入り込んでしまっているところです。

(5)
「ああ 十九世紀ふうに
どうか 愛していないと言ってください」(「電話だけの恋人」)

この詩のどこに惹かれたかというと、たぶん、「ああ」と詠嘆を恥ずかしげもなく使っているところです。愛をおおらかに表現しているところです。

(6)
「その形を刻んだ鑿の跡が
ぼくの夢の風に吹かれていた」(「石膏」)

この詩のどこに惹かれたかというと、たぶん、微細な風景にうっとりとなっているところです。

(7)
「ああ
きみに肉体があるとはふしぎだ」(「石膏」)

この詩のどこに惹かれたかというと、たぶん、異性への無防備な愛、おおらかな愛、開けっ広げな愛が語られているところです。

こうやって、詩のどこに打たれたかを並べてみますと、書かれている個々の内容によることもありますが、むしろ、
恥じらいを忘れて大げさになれること
おおらかでああること
詠嘆的であること
世界と正面から向き合っていること
愛を無防備に表明していること
そういったところに、そういった詩に、ぼくはずっととらわれていたと思うのです。

これらの詩行は、詩を書き、読む、ぼくの頭の中にずっと留まり続けています。そして詩とは、と考える時に、どうしてもこれらの、それ自身のためにあるような詩行に、ぼくの感性はいつも戻ってゆくのです。

先日ぼくは、SNSに次のように書きました。

「読めば熱い血がその一行目から噴き上がってくるような詩も、もっと恍惚となって、書かれてもいいのではないか。」

この文章は、まさに清岡さんの詩を読んでいる時に、湧き上がってきた思いです。

言葉から血の出るような詩なんてぼくには書けないかもしれません。でも、いつもそのような詩を書きたいと思っていようよ、と言いたいのです。

この世にせっかく生まれてきたのだから、節度を持ってびくびくと生きているだけではなくて、時には、人がどう思おうと、触れればやけどをしてしまうほどの熱い詩を、思う存分書いてみたいと、時には思ってもいいのではないかと、ぼくは思うのです。

それでは、清岡卓行さんの詩を10篇、読んでゆこうと思います。

清岡卓行さんの詩

幻の家 (未刊詩篇)
子守歌のための太鼓 (詩集『氷った焔』)
真夜中 (詩集『日常』)
オーボエを吹く男 (詩集『日常』)
一日の長さ (詩集『四季のスケッチ』)

上野 (詩集『ひとつの愛』)
異形の町 (詩集『固い芽』)

絹の白粉袋 (詩集『駱駝のうえの音楽』)
ある愛の巣 (詩集『西へ』)
秋深く (詩集『幼い夢と』)

「幻の家」 (未刊詩篇)

夢の中でだけ ときたま思いだす
二十年も前に建てた小さく明るい家。
戦争のあとの焼野原の雑草の片隅に
建ててそのまま忘れた ささやかな幸福。

いや そんなものは現実にはなかった。
途方もなく愚かな若者が そのころ
妊娠している幼い妻と二人で住むために
どんなに独立の巣に焦がれていたとしても。

そんな架空の住居が どうして今さら
自宅に眠るぼくの胸をときめかせるのだろう
貧しい青春への郷愁を掻き立てるように?

夢の中でその家は いつまでも畳が青く
垣根には燕 庭には連翹の花
ああ 誰からも気づかれずに立っている。

「幻の家」について 松下育男

この詩には二つの時間が描かれています。ひとつは自分が若かった頃のこと、もうひとつは二十年後の自分です。

この詩で興味深いのは、二十年前の若かった頃の自分が夢に見たことを、二十年後の今の自分が、夢に見る、というところです。ここでの「夢」は、二十年前には覚醒している時のあこがれとしての「夢」であり、二十年後の自分が見ているのは、眠った時にみる「夢」です。

つまり、日本語で「夢」というと、あこがれの夢と、眠った時の夢の、二つの意味がありますが、その二つの意味を利用して、詩が書かれているようにも思います。

戦後すぐに建てられた「小さく明るい家」は、二種類の「夢」によって、時代を超えて存在しているのです。

若い頃に夢にまで見た家を、年をとってから夢に見る。それほどに濃さの増した夢は、もう現実よりもしっかりと作者の中に「ある」として言えません。

そしてその「ある」はただ「ある」のではなく、「自宅に眠るぼくの胸をときめかせ」「貧しい青春への郷愁を掻き立てる」ようにして、人生に密接に「ある」のです。

さらに、最後の行、その架空の家は、「ああ 誰からも気づかれずに立っている」とあります。「建っている」のではなく「立っている」のです。

あまりにも強く夢見られたこの家は、すでに肉を持ち顔を持ち、わたしそのものになって、立ち尽くしているようです。

わたしは、わたしの肉体の中だけにあるのではない、私のもちものもすでに私の人生を持ち、さらに私の夢でさえも、それがかけがえのないものであるのならば、私そのものになってしまうのです。

「子守歌のための太鼓」 (詩集『氷った焔』より)

二十世紀なかごろの とある日曜日の午前
愛されるということは 人生最大の驚愕である
かれは走る
かれは走る
そして皮膚の裏側のような海面のうえに かれは
かれの死後に流れるであろう音楽をきく
人類の歴史が 二千年とは
あまりに 短かすぎる
あの影は なんという哺乳動物の奇蹟か?
あの 最後に部屋を出る
そのあとで 地球が火事になる
なにげなく 空気の乳首を噛み切る
動きだした 木乃伊のような恐怖は?
かれははねあがる
かれははねあがる
そして匿された変電所のような雲のなかに かれは
まどろむ幼児の指をまさぐる
ああ この平和はどこからくるか?
かれは 眼をとじて
誰からどのように愛されているか
大声でどなった

「子守歌のための太鼓」について 松下育男

実に、うれしく飛び上がっているような詩です。うれしさも極まると、身体が自然に動いてしまうようです。それとともに、頭の中の世界も時空とともに、広がってしまうようです。

「愛されるということは 人生最大の驚愕である」というこの言葉が、この詩のすべてを表しています。それ以降の詩語は、ただただ嬉しさを爆発させているようなものです。

おそらくこの一行の前には「人というものにとって」という言葉が省略されています。「(人というものにとって)愛されるということは 人生最大の驚愕である」となるのではないでしょうか。

この喜びは、わたくしという、一人の人間の喜びであり、さらに大昔から、人類が得たなによりもの喜びである、と、感じたのだと思います。

人が人を愛し、人が人に愛されることの、なんという奇跡であり、生き甲斐であることか。

それゆえ詩は、人類の歴史にさかのぼり、さらに、哺乳動物にさかのぼり、地球の始めにまでさかのぼります。

哺乳類の一匹も、誰かを愛し、誰かに愛されて子孫を残したのではないか。地球だって、宇宙だって、愛される喜びを知らないわけがない。

と、あまりにも想像が進みすぎてしまったので、いったん幼児の指にもどって冷静になろうとしますが、やっぱり冷静になんてなれません。

「誰からどのように愛されているか/大声でどなった」

無理もありません。

「真夜中」 (詩集『日常』より)

おれの微かな しかし
むずむずする 尾骶骨から
いきなり 太く逞しい尻尾が
鰐のそれのように にょっきり
生えてくるのではないか
と そればかりを心配して
夜を眠れないでいる男がいる。
若し本当に 生えてきたら
と かれは空想する
それはどこまでも 延びて行って
地球をひとまわりすることになるか。
そうなれば 傑作。
踊り子の胴を断ち切った いつかの
スカートの針金の輪のように
地球を締め上げて
それをバラバラな 二つの球根とするか。
いや いや
と かれは思い直す。
おれはどうして こんなに
壮大なことを考えるのだろう。
本当には ちょっぴり
栗鼠のそれよりも 可憐な
房房とした尻尾が生えてくるのではないか。
それは 誰にも気づかれない。
おれは いささか得意。
だが 死ぬほどおれを愛している
あの 体ぢゅう 乳首だらけの女が
忘却の涯に
おれの裸を撫でまわすとき
彼女はおれの尻尾を握るにちがいない。
何という喜劇。
彼女は 一瞬 気絶する。
おれの尾骶骨から
とにかく 思いがけない
奇妙な尻尾が生えてくるのではないか
と そればかりを心配して
夜を眠れないでいる男は誰か?

「真夜中」について 松下育男

仮定の詩です。

ある設定をこしらえて、その設定の中で詩を書いてゆく手法で、詩ではそれほどめずらしい書き方ではありません。

それでも、めずらしかろうがめずらしくなかろうが、仮定が興味深ければ、読んでいて詩の中に入り込んでしまいます。

仮定の中でも、肉体に関する仮定は、よくみかけます。さらに、この詩にあるように自分に尻尾が生えていたら、と考えてみることは、考えるだけで楽しくなります。

じつはぼくも尻尾が生える詩を書いています。「わたしに長い尻尾があったなら」という詩で、「わたしに長い尻尾があったなら/時々優しく/自分を巻いてみるだろう」という詩です。

同じ尻尾が生える詩でも、清岡さんはぼくのように「自分を優しく巻く」のではなく、「それ(尻尾)はどこまでも 延びて行って/地球をひとまわりすることになるか。」とまで書いています。とんでもないことを考えるものです。同じように詩を書いていても、そして同じような発想から書いても、なんと大きく違った詩ができ上がるものかと思います。

清岡さんはさらに、「(自分の尻尾が)地球を締め上げて/それをバラバラな 二つの球根とするか。」とまで書きます。

想像力はあくまでも伸びやかです。そして力強く感じます。一見、センチメンタルな詠嘆の詩を書いているように見えますが、その奥には、どこまでも広がる可能性を持った叙情に満ちているのだということがわかります。

さらに最後の方で、自分の恋人がベッドの中で。「彼女はおれの尻尾を握るにちがいない。」と書いてあります。読む人によってはエロチックな連想をすることもあるだろうと思います。愛する人を書く事は、どんな仮定の詩を書いていても、清岡さん詩にとって必須であり、詩を生み出す源泉になっています。

つまり、詩人にとって、書くべきことというのは奥底にあらかじめ揺蕩っていて、きっかけ(仮定という発想)が詩を生み出しはするものの、その根底にある叙情は、その人そのものであるということなのでしょうか。

と、つべこべ解説するために、この詩はあるのではないのでしょう。尻尾が地球をめぐる姿を想像し、そしてこの詩の本を閉じ、尻尾のない身体で、その日をさらに考え深く生きて行くことになるのだと思うのです。

「オーボエを吹く男」 (詩集『日常』より)
ライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を聞きながら

テレビの中のオーケストラの全員が
ふと 休止符のそよ風に
めいめいの羽をゆだねて 無言のまま
シンフォニーの空を 一瞬
飛びつづける。
ドイツから楽器をぶらさげてやって来て
そんな渡り鳥のイメジをあたえる かれらの
その束の間の 静寂の深さに
ぼくの疲れた夜のからだは
眼覚めたようにこころよく
のめり込むのだ。
やる以上は 惨めな仕事でも
精魂をこめてやらずにはいられなかった
昼間の人間の悲しみから
解き放たれて。
画面は すでに
オーボエを吹いて 頰をすぼめている
律儀そうな男の顔のクローズ・アップだ。
ぼくは
見知らぬ土地と薔薇の臭いを
そのゆるやかな時の流れに嗅いでいる。
そして 何となく考えている
あの 髪が薄く
目玉のすこし飛び出た男は
どんなつもりで生きているのだろうと。

「オーボエを吹く男」について 松下育男

働いたあと、家に帰って、夜、テレビで海外のオーケストラのシンフォニーを聞いている、という姿です。どこにでも見られる日常の一コマと言えます。けれど、この一コマには考えさせられることがいくつかあります。

この詩の中にあって、清岡さんは芸術を享受する側にいます。芸術を提供する側ではありません。なるほど、昼間「精魂をこめて」やった「惨めな仕事」によって「人間の悲しみ」に満ちた心を、夜、芸術によって救われています。

そしてこの図から、ぼくは、「休止符のそよ風に/めいめいの羽をゆだね」ているような多くの心休まる美しい詩を生み出している清岡さんの詩作を連想します。多くの詩の読者は、清岡さんの詩集を夜、開いて読むことによって、ほっとして、明日も働いてくるか、と、気持ちを立て直して、翌日の仕事に向かっているのです。

すぐれた芸術の提供者も、時に享受者になる、ということであり、いえ、芸術に救われているからこそ、その心が、新たな芸術を生み出しているのかも知れません。

この詩の最後の方で、「あの 髪が薄く/目玉のすこし飛び出た」男に関心を向けます。この崇高な音楽も、こうしたあたり前に生きている人によって生み出されているのだと、あらためて認識したようです。

そしてこの男を、どうしても清岡さん自身と重ねて受け止めてしまうのです。清岡さんも、これほどの詩を生み出しながら「どんなつもりで生きているのだろう」、と。

「一日の長さ」 (詩集『四季のスケッチ』より)

ああ 春のよく晴れた休日が
こんなに短いなんて。
一週間分の疲労から抜けでるように
やっと眼ざめた正午。
朝昼兼用のスープの底には
まるで きょうの心を支える
ちいさな神秘のように
鶉のゆで卵が沈んでいたが。

もう夜。

きょう一日
ぼくはいったい何をした?
たまっていた返事の葉書を書き
ポストに行ったついでに散歩をし
とある店先で
取替えねばならぬ風呂桶などを眺め
家に戻って夕食後 十七世紀ごろの
地中海の風がそよいでいるような
弦ばかりの慌しい戯れを
束の間うっとり 聞いたほかに?

明日のランドセルをととのえて
すやすや眠っている子供の髪に
そっと頬ずりをすると そこには
あたたかい陽の光の匂い。
砂や草や鳩や犬や積木などの匂い。
そして すこし甘い汗の匂い。
すべて ゆるやかな 萌黄の時間。
夢がまじりあう幼い世界は深く
一日は なんと長いのだ。

「一日の長さ」について 松下育男

詩は、読む人に、知らなかったことを教えてあげるものではない、ということを、この詩を読んでまず思いました。

子どもの頃の一日は長く、大人になってからの一日は短い、というのは、大人であれば、だれもが実感として知っていることです。

ぼくだって知っています。それでもこの詩を読むと、心に染み込んでくるものがあります。つまり、自分が知っていること、自分が感じていることだからこそ、的確に、あるいは美しくそのことを書いてくれると、どこか、その詩が自分に寄り添ってくれているように感じられてくるのです。そして寄り添ってくれるものには親しみを持ちますし、親しみを持ったものを嫌いになるわけがありません。

詩の構造も単純です。まず、自分(大人)の一日がいかに短く感じられるかを書き、そのあとで、子どもの一日の長いことを、対比するように書いています。紛れがありません。

ぼくがこの詩で好きなのは、その、おとなの短い一日を描写している個々のシーンです。そういえば夏目漱石の小説にも似たようなことを書いているものがあったと記憶しています。次に日曜日には、あれもして、これもして、と考えていたのに、いざ休日が来て、夕方になってみると、何ひとつできていなかった、という内容だったと思います。

この詩では、朝まで眠って、葉書を書いて、散歩をして、お店を覗いて、好きな曲を聴く、それだけで終わってしまった、ということなので「休日が/こんなに短いなんて」と感嘆しています。でも傍から見たら、なんだか休日の過ごし方として、理想的にも見えてしまいます。

休日というのは、始ってしまえばあとは、何時間残っているかということを常に意識して、いったいあと何をすれば休日を満喫できるだろうと、焦る思いに追いかけられているような気持ちのするものです。

休日を豊かに、幸せにすごすことができるのは、仕事であくせくしている時の、頭の中だけのことなのかもしれません。と、四十三年間勤め人をしていたぼくはせつなく思うのです。

「上野」 (詩集『ひとつの愛』より)

大学のすぐそばに下宿して
時めく権威の講義を聴きに行かず
ひとりきりの部屋で 碁盤に
白と黒の石のトッカータを
うっとり奏でてみたり
窓から見える 空襲のあとの
汚された空の舞台の かわらぬ青に
向日葵(ひまわり)と海星(ひとで)の
なまめかしいバレーを演出してみたり
そんな夢ばかり見ていた 学生の頃。
唾を呑みこんであやす胃袋は
辞書を食べたいほど からっぽで
夢こそは現実。
古代のようにうすむらさきの夕ぐれに
池の端などを散歩しては
動物園帰りの 埃っぽく疲れた親子連れに
ふしぎな憐れみを覚えたものであった。
ぼくの胸に そのとき
浮かんでいた不遜の言葉
——創造のない家庭のみじめさ。

それから二十数年。
ぼくは ときたま
残酷な童話の動物園から
あるいは 沈黙の少し足りない音楽会から
病んだ妻や幼い子供と連れだって
広小路大通りなどを
夢の中のようにぶらぶらと
懐かしく歩いて帰るのである。
おお 現実こそは夢。
だるく底しれぬ平和の中の
残りの時間の狂おしさ。
休日の気ばらしにも疲れて ぼくたちは
横道の古風なそばややとんカツやで
眩しく明るい舞台にのぼったような
粋でたっぷりな食事をする。
ぼくは 家族の優しい視線の交錯で
透明な鳥籠などを作ろうとする。
ぼくの胸に そのとき
浮かんでいた不安の言葉
——家庭のない創造のみじめさ。

「上野」についての感想 松下育男

構造のはっきりとした詩です。

一連目と二連目で、人生の二つの「時」に感じた正反対のことを書いています。一連目が学生の頃、二連目が二十数年後の家庭を持ったころのことです。場所は両方とも上野界隈です。

一連目の私は「胃袋は/辞書を食べたいほど からっぽで」
二連目の私は「粋でたっぷりな食事を」しています。

一連目の私は「夢こそは現実。」という思いで、夢の世界に生きています。
二連目の私は「おお 現実こそは夢」と思い、その現実を失うことを恐れてもいます。

そしてそれぞれの連の最後には、結論づけるように
一連目では「——創造のない家庭のみじめさ。」
二連目では「——家庭のない創造のみじめさ。」
と言葉をひっくり返しています。

ここで対比していることに驚く読者はいないだろうと思います。日本中が貧しい時代に貧乏学生だったのが、高度成長の時代に仕事と家庭を持って平和な時間をすごしている、というわかりやすい図です。

ただ、ぼくはこの対比が、どこか対比になっていないようにも感じられるのです。というのも、一連目の貧しくてお腹がすいていた時代の「私」と同じように、今でも激しく心がゆれ動いている「私」を感じるからです。

なぜなら、自分が家庭と平和を獲得しているということほど、恐いことはないのかもしれないと思うからです。

異形の町 (詩集『固い芽』より)

青い泥が乾いた道 その両側の店店には
高く掲げられた 文字のない異形の招牌(かんばん)。
たとえば網に入れた 巨大な繭の形の綿。
春の風の瞳のような 馬車の一箇の車輪。

紙製の竜が懸り。大籠は小籠をぶらさげ。
円を中にもつ正方形 その半分の三角形
そんな幾何学ふうの 彩色の板も吊され。
磔にされた衣服に 止るのは黄色い胡蝶。

ああ あの猥雑の土地はどこへ行ったか?
文字以前の 否 文字以後のグロテスク
象形の芽生の物体(オブジェ)が 氷りついていた町。

私はまだよく憶えている 魘された貧困
微かに葫(にんにく)の臭いがして 権力も反権力も
まるで信じていなかった 泥鰌のうたを。

「異形の町」について 松下育男

この詩でぼくが惹きつけられたのは、「異形の町」というタイトルそのままに、どこか架空の世界を想像できるからです。

ぼくらはここに生まれてきて、ここでは人々がしっかりと町を整備していて、生涯をここですごすことになる。文明は発達していて、これでもかというほどに不便なものを排して、心地よさを求めてでき上がっている。

それでもぼくらは、いつも「ここではないどこか」を夢見て生きている。それはどんな世界に生まれ出ても、そうなってしまうのだろう。

この詩に描かれているのは、おそらく清岡さんが子どもの頃に過ごした大連の面影が背後にあるのだろうと思います。そして道ゆく両側に並ぶ商店に掲げられた看板が「文字のない異形」なものに映ったのは、まだ文字を読めるようになる前の年齢であったことも関係しているのかもしれません。

でも、この詩を読む立場としては、ここには文字というものが存在せず、すべてが図絵で表されている世界のようにも感じられます。象形文字は、象形のまま固定し、人々の中で生きているようです。象は象の形のまま表され、人は人という単純化された文字ではなく、人そのものの厚みと熱をもって語られている場所、そんな世界です。

わたしたちは詩を書く時に、なぜこのような文字に頼らなければならないのかと、たまに思うことがあります。もっと直接的に、この思いを受け渡す方法があるのではないか。おそらく清岡さんが思い出しているこの「異形の町」には、多くの詩人は、すでにひそかに住んでいるのではないかと思えるのです。

「絹の白粉袋」 (詩集『駱駝のうえの音楽』より)

タクラマカンの沙漠から現われた
たぶん紀元すこし前の
緑の銹の 逞ましい青銅の弩機(どき)には
べつに驚かなかったが
たぶん紀元すこし後の
古ぼけた小さな 絹の白粉袋(おしろいぶくろ)には
虚をつかれた。
こんなはかない日常の品が
いつまでも秘められていたとは!

おまけに 袋の表の白い絹には
時間をかけてこまやかな
夢を見る飾りがあった。
緋や紅(くれない)や藍や緑や黄の 絹糸で
沙漠のうえを流れる雲が
すっきり刺繍されているのだ。
そして 袋のふちの
大きすぎる蔕(へた)のような
白い絹の飾り裂(ぎれ)は
裏に 紅の紗羅が合わされ
そこでは 愛の波紋が
菱形にちりばめられているのだ。

顔の化粧品を容れるものを
化粧する女ごころは
どこまで 人間の過去に溯れるか?
ある夫妻が木乃伊(ミイラ)化した
合葬墓の乾燥から
踊りでた白粉袋が
こんな奇問を生きさせる。
尼雅(ニヤ)
三世紀後半に捨てられたという
オアシスの集落。

「絹の白粉袋」について 松下育男

清岡さんは旅先での詩を多く書いていて、この詩もそのひとつです。旅先というのは、日常とは違っていて、それゆえに詩情を感じる機会も多く、詩の発想もうまれやすいのだろうと思います。けれど、それだけに、詩は旅先であるという囲いの中での作品になってしまい、なかなか根源的なところに届くのは難しいように思います。

むしろ、毎日のなんでもない時に、詩情なんてなんにも見当たらない場所で、詩を生み出す方が、困難ではあるけれども、むしろ、自分の深みが描きやすいのではないでしょうか。

この詩は、ある夫婦のミイラから出てきた、奥さんの化粧袋に思いを馳せて書いています。ぼくが面白いと思ったのは、旅先の、自分とはかけ離れた詩情を書こうとしているのではなくて、旅先でさえ、日常を色濃く反映しているものを書こうとしていることです。

つまり、紀元前というはるか昔に生きた人、日本からかけはなれた場所に生きた人と、自分との違いではなく、共通する物や感じ方に、清岡さんが感銘を受け、それを詩にしたことです。

わざわざタクラマカンに行って、何千年も前の物を見ているのに、それを、昨日や今日のことのようにして感じていることです。

出土したミイラは、化粧品をしまう清岡さんの奥さんと、それを見守る清岡さん自身だったのかもしれません。

そんなことをこの詩から感じました。距離と時間を超えて書かざるをえない人であることの、ささやかな喜びと切なさを、この詩を読んでいると感じるのです。

「ある愛の巣」 (詩集『西へ』より)

嫩江(のんこう)中流の西の とある落葉樹の林
零下二十度か三十度か
とにかく はげしい吹雪だ。

大きな樹から垂れさがる 裸の長い枝枝が
ときに変わる風向きに 逆らわず
しなやかに鋭く 悲鳴をあげている。

あの ぼってりと温かそうな
ベージュ色の〈短い靴下〉めく
奇態な ぶらさがりはなんだろう?

それは 長い枝の先に〈踵〉をつけ
〈足の入口〉を斜め下に向け
風の侵入を防いで うまく揺れている。

あれは雀の一種 スインホー・ガラの巣
外側は 羊のやや粗い毛で
内側は 羊のやさしい和毛(にこげ)だ。

大興安嶺の東 吹雪はやまず
小柄な雄雌(おすめす)二羽に ちょうどぐらいの
懐かしくも 瀟洒な塒(ねぐら)ではないか。

ほかの季節に散った 遊牧の羊の毛の
原野での吹き溜りの ほんの一部が
小鳥たちに編まれているのだ。

「ある愛の巣」について 松下育男

これはなんと密やかな命のつながりだろと思います。

詩は正面から、自然と動物のありようを描いています。そこには、言葉による飾りや、人を面白がらせるための嘘や脚色もいらない、ただこのようであるという姿勢で書かれ、その真実が人の胸を打ちます。

寒冷地で、小鳥のオスメスが、羊の毛を使ってねぐらを作り、その中にこもって、外の吹雪に耐えている、という図です。

詩は、小鳥がなぜこのような寒冷地に棲むかと問うこともなく、ただ「小柄な雄雌(おすめす)二羽に ちょうどぐらいの/懐かしくも 瀟洒な塒(ねぐら)ではないか。」と書いています。

「懐かしくも」という言葉から、清岡さんは、自分が若い頃に、貧しい中で、奥さんと「二人に ちょうどぐらいの」部屋に住んでいたことを思い出してもいたのではないかと思います。

さらに生きとし生けるもののすべての、けなげなあり方をも見ているのかとも思います。

この詩での清岡さんの、詩を通しての眼差しも、おそらく、「ほかの季節に散った 遊牧の羊の毛の/原野での吹き溜りの ほんの一部」からできているのではないかと、それほどに温かく感じられるのです。

以上、清岡卓行さんの詩を読んできました。懐かしくも、楽しい時間でした。

秋深く (詩集『幼い夢と』より)

『こどものバイエル』 五線紙 ノートなどを
手提げに入れた帰りの坂で
幼い子が降りる足を止めたのは
森のうえ 夕空に沈む青から
あの連弾が ふと谺(こだま)してきたからだ
不意の別れの あのアレグレットが。

——結婚するので 遠くへ行くのよ
と 若くきれいな女の先生は
かれの驚く眼の鳥を 見ながら言った。
ベームのサイン入りの写真を 貼った部屋
一年半ピアノの初歩を 教えてくれた部屋で。

おとといは小学校の運動会
明るい青空を背に 紅白玉入れの連弾が
点描の 花火の夢をきそっていたが
きょうのアレグレットは 逆に
透明な 氷柱(つらら)の夢を
心の空に結んでしまった。

幼い子よ 犬の夕闇が迫る
帰りの坂を 早く降りるがよい。
そしてせめて 眼にいっぱい
温かい涙を浮かべるがよい
生まれて初めての 人と別れの悲しみの玉を。


「秋深く」について 松下育男

「秋深く」というタイトルにふさわしく、どこまでも青い空が広がっている詩です。

ピアノレッスンの帰りの道で、空を見上げ、ピアノの音を耳の中で聞いている、そのピアノは、もうすぐ別れることになる先生の指が奏でてくれたもののようです。

突然の人との別れを、この少年(少女)は、これから幾度も経験することになるのでしょう。そのたびに切ない思いにとらわれることになります。

それにしても、別れというのは大抵、突然現れるものです。今日までとても仲良く付き合っていた友人が、ある日から、まったく会わなくなる、というのはよくあることです。そこには明確な理由があることもあり、また、ただなんとなく疎遠になってしまうこともあります。

さらには、片方の死による別れは、それが病によって徐々に命が失われるように見えていても、この世から亡くなるのは、必ず突然の出来事です。

死やつらい別れほど胸を揺さぶられることはありません。そうであるならば、それが詩に書かれないわけがないのです。

少年が初めて知った「別れ」を、空の透明感の中で描いているこの詩は、この少年のその後の人生を読者に想像させるように、くっきりと書かれています。

ところで、最後の連の「犬の夕闇が迫る」の「犬の」とは何を意味しているのでしょう。正直、ぼくにはわかりません。強引に考えるのなら、帰って、犬の散歩をする時間が迫っていると言えるのかも知れません。今はそばにいてくれて、かわいくてしかたのない、けれど、それもいつか別れることになる、温かくて悲しい犬の散歩の時間でしょうか。

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