詩集の帯文についての思い

先日、石垣りんさんの詩を読んでいたら、「坂道」という詩の冒頭に

「若い詩人が
石垣さんに詩集の序文をたのんで
断られましたと
黒田三郎さんに告げたら
おりんちゃんに
そんなことたのんでは可哀相だ
と答えたそうだ。」

とあって、そんなことがあったんだ、とちょっとおかしくなりました。どうしておりんちゃん(石垣さん)には可哀想なんだろう。

ところで、今は「序文」を載せた詩集はほとんど見かけなくなっています。萩原朔太郎の時代には、詩が始る前に、延々と推薦文や本人の散文が載っている詩集がありましたが、今は、詩集を開けばすぐに詩がはじまります。ですから、最近は「序文」はあまり見かけなくなりましたが、そのかわりに、本の帯に、宣伝の文章や詩の一節が載っていたりします。また、数頁の小冊子に推薦文を載せた栞を本に挟むこともあります。

ぼくの詩集のことを言えば、2冊目の詩集『肴』(紫陽社)の時に、大岡信さんに帯文を書いていただきました。「大岡さんに頼んでみよう」と言いだしたのは編集者で、そんなことは無理だろう、断られるだろう、と思っていたら、引き受けていただいたのです。大岡さんの名前が自分の詩集に載っているのを見るのは、やはり嬉しく、誇らしい思いをしました。

あとは、詩をやめたあと、しばらくぶりに出した詩集『きみがわらっている』(ミッド・ナイトプレス)では、清水哲男さんに書いていただきました。詩をいったんやめたあとの詩集だったので、それが生涯、最後の本になるだろうと思い、悔いのないように、勇気を出して清水哲男さんに頼んでみました。そうしたら、気持ちよく引き受けていただいたのです。清水さんに帯文の原稿をいただいた時には、もう人生、なにもいらないと思いました。

それで、ぼくも若い頃に、いくつか帯文を頼まれたことがあります。中には、もっと作者の思いを汲んで書けばよかったと、後悔したこともありました。いろんなことがありました。

詩の教室をやっている関係もあって、数年前からは、また、たまに詩集の帯文や栞文を頼まれることがあります。

仕事の都合がついて、よい詩集だなと思ったら、はい、と言って引き受けます。

多くの人に手にとってもらえるような文章が書けたらと思うとともに、その詩集を出した人がひそかに嬉しくなれる文章が書けたらなと思うのです。

ぼくがそうやって、幸せな気持ちをたくさんもらえたように。

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