2024年6月3日(月) 「自己嫌悪のサンバ」を聴いた日

ぼくは昔から、ひとりで部屋にこもっているのが好きなので、積極的に外に出かけるということはありませでした。ですから、たまに出かけた時のことは結構覚えています。

でも、どうしても思い出せない日のことがあります。若い頃に、なぜか三上寛のコンサートに行ったのです。その日に、誰に誘われて、誰と行ったかが思い出せないのです。もちろん、当時、三上寛がどんな歌を歌っているかは知っていましたし、嫌いではなかったのですが、わざわざ自分でコンサートに行くほどではなかったのです。

それが、かつてのある日に、誰か(?)と、なぜか行ったのです。

かなり狭い会場で、目の前で三上寛がギターを抱えて歌っています。三上寛の唾が飛んできそうな距離で、でも歌は、思っていた以上に迫力があって、心がこもっていて、聞き惚れていました。

いいもんだな、こうして自分の思いを歌い上げられるって、歌ってすごいなと、改めて感じていたのです。

それで、こうして何十年も経っても、「三上工務店がゆく〰︎」と叫んでいた姿が忘れられません。

さらに、「じじ、じじけこ、じじけこ、自己嫌悪」と歌っていた声が聴こえてきそうです。

ところで、自己嫌悪の人は、あれほど自分をからかうような歌は歌わないだろうと思うものの、聴いているとおかしくて、つい笑ってしまいました。さらに、もうやけになってしまえば、自己嫌悪もいつの間にかオノマトペに変じることもあろうかと、妙に納得してしまって、愉快に聴いていました。

ぼくもあの頃は、自分のことが嫌いでした。なんの特徴もなくて、地味で、暗くて、取り柄のない男として生まれて、これからどうすればいいのだろうと、感じていました。

けれど、今になって思えば、自己嫌悪になるって、ほんとは自分のことが好きになりたかったからなのかもしれません。

すごく好きになりたくて仕方がなかったのかも知れません。

あれから随分時間が経って、ぼくも年寄りになるまで生きてきました。思えば無我夢中で生きてきて、自分のことが嫌いだなんて言っている暇もなく、この歳になりました。

あれから、ぼくの何が変わったというものでもありません。ですから、自分のことを今は好きになったなんて、呑気なことを言うつもりません。

でも、どんな形であれ、嫌いだとか好きだとかというよりも、よくぞここまで生きてきた、ということだけは、褒めてやってもいいのではないかと、自分に言っているのです。

かつてぼくには、自己嫌悪になるほどに自分に期待していたものがあったのかと、今は思い出しているのです。

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