2024/09/29(日)ぼくはここに生きていますよ。
昨夜は「隣町珈琲」で三回目の「詩の教室」でした。午後7時開始で、6時半に会場に着きました。
すると開始前に、会場でぼくのことを待っていてくれた人がいました。高校の時の同級生の男性三人でした。
もちろん皆、74歳です。内ふたりとは18の時に会ったきりなので、56年ぶりの再会になります。
56年ぶりとはいえ、顔にはその頃の面影があり、懐かしいというよりも、よくぞ無事に生きてきたな、という感じがしました。
ぼくがその人たちを覚えているか、というよりも、その人たちは本当に昔のぼくのことを覚えているのだろうかと、思いました。
というのも、高校時代の頃のぼくは、成績も目立たなかったし、容姿も地味だったし、極度におとなしかったし、一日ほとんど人と話さなかったし、なんの特徴もない若者だったので、級友のほとんどは、ぼくのことなど覚えていないのではないかと思ったのです。
ひとつ、忘れられない出来事があります。
高校一年の最後の登校日でした。二年生になるとクラス替えがあり、一年生のクラスとして集まるのはその日が最後でした。
担任の教師が、「一年間、一緒にやってきたけど、みんなとはこれで最後だ」ということで、出席をひとりひとり、ゆっくりと、とっていきました。
あいうえお順に名前が呼ばれてゆき、ぼくの番になりました。
「松下」と呼ばれて「はい」と応えました。
そのあと、担任の教師がつぶやいた言葉が聞こえてしまいました。「こんなやつ、いたか」
ぼくはハッとなって、一年間担任であり、英語の教師であったその男性は、ぼくのことを全く認識していなかったのかと、さすがに驚いていました。
そしてそれはおそらく、教師の問題というよりも、ぼくの存在感がいかに希薄だったかを示していたのだろうと思います。
それほど毎日、いるかいないか、という感じで生活し、学校へ行き、していたのだろうと思います。
でもその頃は、昼間はそんな感じでボーっと生きていましたが、家に帰って夜ひとりになると、おもむろに机に向かい、懸命に詩を書いていました。誰にも見せず、誰にも知らせず、夜中になれば、言葉に向き合い、必死に詩を書いていました。
ですから、担任の教師はぼくを知らなくても、その頃に書いたぼくの詩は、ぼくのことをきちんと知っていてくれたのだと、思うのです。
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それで、昨夜の「隣町珈琲」では、74歳になった同級生三人としばらく話をして、また近いうちに会おうかと言い合って、三人は帰ってゆきました。
それからぼくは慌しく当日の教室の準備をして、午後7時になったので、その日の教室を始めました。
若い頃に、この世にいるかいないか、という感じで生きていたぼくは、「ぼくはここに生きていますよ」という思いとともに、昨夜は、いつもよりも声を張り上げて、2時間半ほど、詩の話をしました。