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罪刑法定主義です。

Ⅰ.意義、沿革、根拠・基礎、現行法
 罪刑法定主義とは、「法律がなければ犯罪はなく、法律がなければ刑罰もない」(フォイエルバッハ)、すなわち、一定の行為を犯罪とし、これに刑罰を科するためには、あらかじめ、成分刑法の規定が存在しなければならないとされる原則をいう。これに対して、犯罪と刑罰をその都度国家機関の任意の判断に委ねることを、罪刑専断主義という。罪刑法定主義の思想的淵源は、まず、マグナカルタに見いだされ、その後権利請願や権利章典を経て、フィラデルフィア宣言の中に表明され、つづいて、アメリカ合衆国憲法中に規定された。また、フランスでは、人権宣言に規定され、ナポレオン刑法典に明示された。その後一時罪刑法定主義の解消といった現象も現れたが、先の大戦後には再びその精神を尊重しようとする機運が高まり、今日では刑法の最も重要な原則の一つとされている。わが国では、旧刑法、並びに明治憲法において右主義が規定された。
 さて、罪刑法定主義の基礎づけとしては、モンテスキューの三権分立の思想に基づく見解、すなわち裁判機関は、あらかじめ立法機関が定めた法律を適用するだけで、厳格に法律に拘束され、専断は許されないとする考えと、フォイエルバッハの心理強制説、すなわち、事前に、犯罪と刑罰とを法定しておくことによって、一般人の心理を強制しその犯罪を予防することができるとする考えがある。
 わが現行法において、罪刑法定主義に関する直接の定めはない。しかし、日本国憲法にこれに関連する詳細な規定が存する。まず、憲法31条がこれである。31条にいう「法律の定める手続」とは、「法の適正な手続」といい、「法律」とは成文法、しかも、国会において法律の形式で制定された狭義の法をいう。また「手続」とは刑事手続きだけでなく、それに適用されるべき実体法をも意味するものと解すべきである(「実体的デュー・プロセス」後述。)というのも、形式的に法律があれば、どのような犯罪でも、どのような刑罰でも規定して差し支えないと解することはできず、それらは社会観念上   つづく

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