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私がマンガで「考える人」になったワケ

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・書評家・エッセイスト として、
自らを定義しています。

私はタイパ(タイムパフォーマンス)
重視の令和の時代において、
マンガはピッタリの
哲学書であると思っている。

それは私自身がマンガを読んで
「考える」ことを習慣としているから
湧いてきた発想なのだが、
それこそ考えてみれば
マンガにそこまでの哲学を求める人間が
いったい どれほど存在するのだろうか。

一般的にマンガは娯楽とされる。
それを「考える対象」として見る
哲学者としての私は
いったい どのようにして
生まれたのだろうか。

今回は そんな私が
マンガを通して
「考える人」となった経緯を
振り返ってみたい。


ことごとく主流派を外す

生まれて初めて読んだマンガは
さすがに覚えていないのだが、
小学校に上がるかどうかくらいの頃から
私が読んでいたのは
今は廃刊となった
「コミックボンボン」であった。

ご存じない方も多いかも
しれないから補足すると、
当時「コロコロコミック」と
「コミックボンボン」
という2大雑誌は、小学生男子にとって
今でいうところの
「少年ジャンプ」と「少年マガジン」
的な位置づけであった。

私は小さい頃から
ガンダムが大好きだったから、
コミックボンボンを
選んだのかもしれない。

或いは何らかのキッカケで
コミックボンボンを読んで、
ガンダムに興味を持ったのかもしれない。

このあたりも実に記憶はないのだが、
とにもかくにも コミックボンボンは
ガンダムを取り扱うことが多く、
それが好きな少年にとっては
相性抜群の雑誌であった。

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