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「HSCと発達障害、それぞれの理由で兄弟2人が不登校に」〜保護者インタビュー〜

自由登校を見守る会「カスミソウ」の会員である保護者へのインタビュー企画です。今回協力していただいたのは、中2と小4の二人の息子さんがいるFさん。二人の息子さんが不登校になった経緯や現在の状況についてお話しを伺いました。

小3になった長男。母子分離不安から登校しぶりに

「長男が小3になり、少しずつ長男の自立を支援していきたいと、一人でできることは任せようと考えました」とFさん。

下の子のお迎えの間に一人で留守番させたり、夜の添い寝をやめたり。長男が少し泣いてしまうことがあっても、Fさんはそのうち慣れてくると思い、励ましてきました。

ところがなかなか慣れてくる様子がなく、ある日帰宅した長男は授業中に泣いてしまったと言います。泣いた理由は自分が学校にいる間にママに何かあったらどうしようかと不安だったとのこと。

翌日から母子分離不安が強くなり、1人で学校に行くことができなくなりました。

学校に行こうとすると「僕が学校に行っている間に強盗が入ったり、交通事故にあったりしてママが死んだらどうしよう」と言いながら目を見開いて汗だくになり、パニック状態に。Fさんはそんな状態の長男は見たことがなく、これはただ事ではないと気づいたと言います。

「3年生にもなると少しずつ自立していくものと思っていたけど、どうして周りの子ができていることがうちの子はできないんだろう?」と感じたFさん。ネットで情報を調べてみると『HSC』という概念を見つけました。

HSCの内容を見ると長男の特徴とよく似ています。「もしかしたら・・・」という思いで北海道にある病院に問い合わせ、受診したところHSCであることがわかりました。病院ではHSCについての詳しい説明や、母子分離不安の対策などを教えてもらえて助かったと言います。

付き添い登校の日々の中、完全不登校になったきっかけは、学芸会の練習

診断結果を学校にも伝えたところ、学校側からは付き添い登校を勧められました。短時間でもいいから登校してお母さんと離れる練習をした方が良いとのこと。

それから付き添い登校の日々が始まりました。幼稚園に次男を送って、長男と付き添い登校し、校内で様子を見ながら待機する毎日。Fさんは体力的にもメンタル的にも削られていきました。

長男の状態が悪くなっていったのは、付き添い登校を始めて2年ほど、小学5年生で学芸会の練習が始まった頃でした。担任の先生は長男に無理のないよう、役ではなく大道具の担当を割り振るなど、配慮してくださっていました。それでも、長男は先生に提案されると断れないところがあり、かなり無理をしてがんばっていたようです。家に帰宅してもうつろな目で横になってることが増えていきました。

ある日、学校で友達とのちょっとしたやりとりで長男はパニックに。Fさんはすぐに一緒に帰宅し、『もう無理させるのはやめよう』と決めたと言います。

Fさん「担任の先生も私もよかれと思って、『無理のない範囲でがんばらせてあげたい』と励ましてきました。でも、そのやり方は間違っていました。初めからやらないという選択肢を与えれば良かった。長男からしたら真綿で首を絞められているように苦しかったと思います。今でも後悔していることです」

元気がなくなってからの長男は何も手につかなくなりました。お笑い動画やゲームなど好きなことだけをしていて、何か別のことをしようとしても気力がない状態に。外に出るのを嫌がり、人目を恐れるようになり、近所の公園にも行けなくなりました。

長男が不登校になったタイミングで、次男も不登校に

Fさん「次男は自由奔放な性格で幼稚園時代から行き渋りがありました。長男が小5の秋に完全不登校になると、小1だった次男も『行きたくない』ということが増えました。小2のクラス替えも負担になり、5月からは不登校になりました」

次男はスクールカウンセラーの先生の勧めでWISC(ウィスク)検査を受け、LDとASDの傾向があることが不登校になった後で判明しました。集団生活が苦手で対人不安があることがわかります。

『この時期が最も辛かった』とFさん。

Fさん「長男には休息が必要で休ませてあげたいものの、次男は原因がはっきりせず、もう少し様子を見てできる限り付き添って登校してみようと考えていました。次男に付き添い登校をしてやりたいものの、母子分離不安のある長男を連れて行かざるをえません。付き添い登校は長男にとっても負担が大きいものでした」

エネルギーを失って休息が必要な長男と行きしぶりがあり、連れていけば学校へ行ける次男。状態の異なる二人を同時にケアする日々は過酷でした。

ご飯を作っていたら涙が止まらなくなったり、ベランダで洗濯物を干しながら飛び降りたい衝動にかられることがあり、Fさんは自分でもこれはおかしいと病院へ。診断は軽度のうつとのことでした。

その日から動けなくなり、寝込んでしまったFさん。付き添い登校も学校への連絡もやめて、学校には「何かあれば夫に連絡してください」と伝えました。

Fさん「夫が家事や子どもの世話をしてくれていたんだと思いますが、この頃、ほとんど記憶がないんです。2〜3ヶ月は薬を飲んでひたすら寝ていました。徐々に調子が良くなり、半年ほど経って元気になった気がしましたが、不登校の情報を収集したら気分が悪くなり、まだ本調子ではないのだと気づきました。結局、全快するまで1年近くかかったと思います」

自身の経験は子どもの様子を見る上でも、役に立っていると言います。

Fさん「長男も最初はエネルギーがなく、ぐったりしている状態でした。少し元気に見えたら、親としてはすぐにいろんな提案をしてやりたくなりますが、その状態では本人の負担になってしまうだけ。元気になったような気がしても、そこから本当に動けるほどのエネルギーが戻ってくるまでには、しばらくかかると身をもって理解したからです」

中学生になり、教育支援センターに居場所を見つけた長男。イキイキと活動的に

6年生になった頃、長男は当時の気持ちを話してくれるようになりました。友達は好きで、教室にはいきたいけど、朝のHRでは必ず誰かが怒られていて、その様子を見ると自分も苦しくなること。本当は学校で勉強もしたいとのこと。「話してくれるので、より長男の気持ちを理解できるようになりました」とFさん。

6年生では、スクールカウンセラーの先生や担任の先生の勧めで、中休みだけ別室登校して親しい友達と別室で会えるようになりました。友達に会いたい思いで、卒業まで中休みの別室登校は続けたものの、教室に入ると固まってしまい、結局、3月まで教室で授業を受けることはできませんでした。

進学を前に長男と地元の中学校を見学もしましたが、小学校の教室と同じく身体が硬直しとても通える様子ではなかったと言います。『大事な時期に長男を苦手な環境に押し込めたくない』と感じたFさん。

複数のフリースクールと区の教育支援センターを見学し、長男が一番気に入った教育支援センターに通うことを決めます。

中学校には、今後通わない予定であること、また名簿も下駄箱も不要であることを伝えました。

長男は中学生になると、教育支援センターに週1回、通い始めました。最初はなかなか友達ができないと悩んでいた様子でしたが、心理士の先生が寄り添って支えてくれたこともあり、2年目になると友達がたくさんでき、楽しく通うようになってきました。

今では放課後に友達とオンラインでゲームしたり、休みの日に一緒に遊びに出かけるようになったそう。

Fさん「小5から中2までじっくり身体を休め、エネルギーが溜まってきたのを感じます。以前は一人でコンビニや電車に乗るのも怖いと言っていたのが、今は私と離れて友達とイキイキと活動できるようになりました。『あのまま無理やり登校させなくて良かった』と感じます。親だけではできなかったことをお友達のお陰でできるようになりました。お友達の力は大きいですね」

今は校舎のある高校に通いたいという夢に向かっている長男を見守っていきたいというFさん。次男には教育支援センターは合わず、放課後デイやフリースクールを組み合わせていろいろと試行錯誤している最中だと言います。

不登校初期は子どものことで夫と喧嘩ばかりしていましたが、"カスミソウお父さん会議"に夫が参加してから変化がありました。

Fさん「夫婦での話し合いがずっと上手くいかなかったのですが、パパ会の後に話し合った際『子どもの元気を一番大事にしたい』というところで意見が一致しました。夫婦関係の転換のきっかけになったと思います」

不登校が始まったばかりの頃、Fさんには何か引け目があって堂々とできない感覚がありました。カスミソウとつながり、地域の居場所とつながっていく中で同じ当事者や悩んでいる親と出会うことも増え、心が軽くなったと言います。

「これからも何が起こるかわからない。不安を無くそうとせず、不安と共に歩んでいこうと思えた時、少し楽になりました」とFさん。外に出て人と会ったり、一人カラオケに行くことがリフレッシュになっています。


取材・文:hiromin(北区メンバー)
イラスト:ミナコーラ

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