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「明るい不登校児だった長女。不登校期間を経て本人の特性に気づけた」〜保護者インタビュー〜

自由登校を見守る会「カスミソウ」の会員である保護者へのインタビュー企画です。今回協力していただいたのは、小6と小2、二人の娘がいるMさん。小3から1年間の不登校を経て、6年生の今は日々楽しく登校しているという長女についてお話を伺いました。

小三の夏、男子からのいじめをきっかけに登校しぶりが始まった

長女の登校しぶりが始まったのは、同級生の男子からのいじめがきっかけだったとMさん。

Mさん「小3の夏休み前からその子が先生のいない時を狙って、他の人に聞こえないように嫌なことを言ってきたり、ドンと押してきては、『どんくさ』と言われたり。一つ一つは小さな事ですが、それが何度も繰り返される事で少しずつ嫌な気持ちが溜まっていき、耐えられなくなったようです。帰宅して泣きながら話してくれました」

担任の先生はトラブルがあると当事者同士を廊下に呼んで話し合いさせる解決法を取っていました。

しかし、その子とは体格差がかなりあることから大きくて威圧的に感じていたようです。先生に言いつけてもその後が怖くて、先生に話す事ができなかったと言います。

7月には登校時間が近づくと「お腹が痛い」と休むことが増え、その後、ほとんど登校できない日々が続いていました。12月の学芸会の練習のある日に頑張って登校した際も、その子が近づいてきて「わざわざ登校、ご苦労さん」と耳打ちしてくるなど嫌がらせが続きます。

Mさん「当時は毎朝『お腹が痛い』と娘が言うので、様子を見て休むかどうか検討していました。『お腹が痛い』というのは休むための口実で、登校できる時もあったんです。様子を見ている間に学校へお休みの連絡をするのが遅れ、養護の先生から状況確認の電話をいただいてしまうこともありました。そうしたことが何回か続いた時、副校長先生から苦言を受けたんです。『教師は忙しいんですよね、連絡をもっと早くもらえますか』とのことでした。あまりに冷たい言い方にお詫びをしつつも、寄り添ってくださる雰囲気でないのを感じました」

夏休み明けの9月からは完全不登校に。ちょうどこの頃、Mさんは長女がいじめについて綴っていたノートを見つけます。そこには同級生の男子からのいじめの内容が日付入りで事細かに記載されていました。親にも言えないことを我慢してずっと書いていたのかと思うと、胸が締め付けられる思いだったとのこと。

Mさんは学校への不信感もあり、「もう無理して行かなくていい」と長女に伝えました。夫も学生時代に1ヶ月ほどの不登校の経験があり、反対はしなかったと言います。

長女が自閉スペクトラム症だと判明。集団行動が苦手な理由がわかった

登校しぶりが始まって、スクールカウンセラーに週1回で通い、北区の児童発達支援センターにも相談に行ったMさん。学校から紹介してもらったメンタルクリニックで発達検査を受けさせると自閉スペクトラム症だと診断を受けました。

Mさん「長女は幼稚園の頃からじっとするのが嫌いな性格でしたが、幼稚園は自由な雰囲気で問題になることはありませんでした。小学校に入学してからお友達とのトラブルが出てきたり、本人が学校での決まりごとへの不満をもらすことが増えました。集団生活が苦手なんだろうという違和感はあったので、診断名を聞いて納得感がありました」

今振り返ると、『いじめは娘の不登校のきっかけに過ぎず、学校への不適応が根底にあった』と感じています。教育関係の友人に相談した時も、「いじめがあっても学校に行く子は行く。いじめ以外にも原因があるかもしれない」と言われたことがありました。

長女のかんしゃくは小3くらいからひどくなりました。夜、お風呂に入る時間になると、工作を始め、うまく行かないとビリビリに破いて怒ります。

かんしゃくの間、Mさんは本人が一人になってクールダウンできるよう、「行ってくるね」と声がけしてから下の子を連れてお風呂に入ったり、寝かしつけに行ったりと、そっとその場を離れるようにしていました。30分ほどでクールダウンできることもあれば、怒りが収まらず夜眠れなくなってしまうことも。夜あまり眠れずに朝を迎えて、学校を休むこともありました。

その他にも長女は日中に出る眠気がひどく、起きられずに昼過ぎまで寝ていたり、夜は眠れない日もありました。学校に行っていた時も眠くて授業に集中できなかったり、電池が切れたように眠くて動けなくなることがストレスだったと言います。

メンタルクリニックでは自閉スペクトラム症の症状緩和のために睡眠導入剤も追加で処方されました。薬は劇的な効果が表れたわけではなかったものの、飲んでいると楽になる感覚や安心感がありました、

完全不登校から少しずつ登校を始めた際にも薬を飲んでから登校し、そのことも学校に伝えていました。医療機関での診断や投薬が客観的な指標になり、学校の先生から細やかな配慮をしてもらえるようになりました。

小5くらいまでかんしゃくが続きましたが、小6になった今では目立つかんしゃくは減り、行事参加のために進んで学校に通っています。時折、登校しぶりをすることもありますが、学校に連れて行くと今日あったことを楽しそうに話しています。

学校に顔を出すにつれ、理解ある先生が周りにいて、とても恵まれた環境の中にいる事にも気づきました。

小学校生活の最後を穏やかに過ごしてほしいとMさんは登校を支援する声がけをしています。

始まった明るい不登校。親が心掛けていた事とは・・・

Mさん「どうしたらいいかわからない時が一番辛かったのですが、家で悩みを抱えているよりは動いた方が親子共に楽になると思いました。私には適切な情報がまるでなかったので、色々な情報を得るべく動くことにしました。適応指導教室、児童発達支援センター、同じような特性の子を持つ友達への相談などとにかく出かけていきました。放課後デイサービスには15箇所くらい見学や相談に行ったと思います」

子どもに「学校へ行くか」「行かないか」の二択を迫るのは酷なことで、学校以外の逃げ道になるような居場所を作ってあげたかったとMさん。長女が気に入った放課後デイを見つけ、通い始めました。

長女は9月からしばらくの間は完全不登校でしたが、本人から登校すると言い出し、12月くらいからだんだんと登校するようになりました。教室には入りにくいと話して空き教室でドリルなど自主学習をして過ごすことに。

担任の先生とは1日の最後に交換日記をするのが日課になりました。14時くらいにMさんが迎えに行き、一緒に下の子の幼稚園に迎えに行って帰宅する、そんな生活が始まります。

明るくて元気。外で過ごすのが大好きな長女。学校が終わると家の前で一輪車をして遊んだり、仲の良い学校の友達の家に遊びに行くこともありました。

同じ学年の他の子達より帰宅が早く、他の保護者やママ友から質問されることもありましたが、Mさんは包み隠さず「明るい不登校児なの」と答えていたそうです。

Mさん「娘本人も明るくて、不登校であることを恥じたり、隠したりしていませんでした。時に昼間に学校を休んで一緒にブックオフに散歩に行くこともあり、学校の先生とすれ違う際にも『散歩に行ってきます』と挨拶するほどでした」

娘の不登校を隠さず、オープンにしていたMさん。状況を知った知り合いが不登校に役立つ情報を届けてくれることもあったと言います。

Mさん「親は恥をかいたっていい。悩みはどんどん相談した方がいいです。話してみると社会は温かいなと感じることもあります」

「行動あるのみ」とMさん。朝起きるとラジオでラジオ体操を聞いてから子どもたちを起こすのが朝の習慣です。

体を動かしていると気持ちも楽になるそう。たった数十分ですが、関節を回していると元気が入ってくる感じがあると言います。好きなことでパワーをチャージして、心はオープンに。いつも明るいMさんの元気の源を聞かせていただいた感じがありました。

文・取材:hiromin(北区会員)
イラスト:ミナコーラ


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