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創作大賞に応募したかったんですがおわりです

自己紹介からはじまったこの記事も今回で十回目になってしまいました。本当に長かったし、本当にいろいろありすぎました。いつまで付き合わされるんだろうとお思いの方、ご安心ください。この件は今日で最後にするつもりです。

岩手。姉がいるかもしれない場所。

もちろんまったくの見当違いの可能性もあるし、たとえ当たっていたとしても会える保証なんてない。

でも行ってみようと思います。なんだかそうしないと駄目な気がするんです。


昨日の夜、もう一度「まさおという名で小学生」を聴いてみました。

正確には『正男という名で小学生(みんな不良少年だった)』というタイトルのその歌は、沖縄風のイントロからはじまり、斜めうえを行くような歌詞が展開されます。

たぶん僕ら世代で聞いたことあるひとは少ないと思いますが、僕自身も今回ほとんどはじめて聞いたんです。この歌についてはとても感想がむずかしくて、こういう時代だったと思うべきなのか、これが所さんの作風なのか、僕にはわかりません。

ただ「おいちょっと姉、これがアカウント名はどうよ」と言いたい気はします。たぶん姉もちゃんと聞いたことないんだろうな、と思うけど。

 5番 まさおという名で小学生

そう合言葉を決めて姉と僕とふたりきりの秘密を共有していたあのころは遠い昔になってしまいました。

僕はこれまで、姉との関係には十二年の空白があると思っていました。でもこのキーワードを見ていると、それは間違いだったと気づかされます。「まさおという名で小学生」と言ってクスクス笑っていたあのころから、姉が家を出るまでの間にも、僕たちには長い空白があったのです。

僕はまがりなりにも小説を書いていて、だからだと思うんですが、いろんなものを深読みする癖があります。

姉が「まさおという名で小学生」をキーワードに選んだのは、それしか僕と共有できるものがなかったからでしょう。それ以上の理由はたぶんないと思います。

でもイヤホンから何度も流れて来る歌詞を聞いているとどうしても考えてしまいます。

ーー親がむちゃなら 子供むちゃむちゃ

この歌詞に姉の心境は、少しも反映されていないんでしょうかね。


「書くこと」。人によっては「読むこと」。

文章に触れるとき、みんな何を求めているのでしょうか? 面白さですか? もしくはただの習慣ですか? 別にそんなの考えたことないよ、って人もいますよね。

僕の場合その答えは「救い」です。
ってまぁ、ずいぶんありふれた理由ですけど。それこそnoteのなかでも何百回も書かれてそうですけど。

でもきっとみんなこういう経験があるんじゃないでしょうか。

文章を書いていて、勝手に指がキーボードを打つような感覚になって、そうして出来上がった文章のなかに自分でも気づかなかった本心を見ること。自分の書いた物語によって、過去の自分をようやく救い出せたこと。

もしくは物語を読んでいて、自分だけの苦悩だと思っていたことが鮮やかな言葉でそこに現れたこと。小説のなかの美しい風景描写、ユーモアのある視点が、本から目をあげて眺める現実でもやわらかなフィルターとなってほんのすこし世界をマシに映してくれること。

ささやかで、もしかしたら自分にしかわからないようなちいさな救い。

でも苦しくて、自分自身がわからなくて、孤独なとき、こういう「ささやかな救い」が本当に命綱であることを、きっとわかってくれる人は多いと思います。

「書くこと」「読むこと」の与えてくれる救いは、進もうともがく人にしかもたらされない。見つけ出そうと目を凝らす人にしか見えない。だからこそそこには、しがみついてもいい、という優しさがあります。

僕も、多くの人々も、そうやって救われてきました。物を書く僕たちは、いつか自分の書いたものが誰かを救う日を夢見ているのです。

でも。

今回の姉の記事は違いました。
姉の文章はいつか誰かをなんて思っていない。「今」「僕」に目がけて放たれた言葉でした。僕を助けるための、僕を救うための言葉でした。

こんなにダイレクトな「救い」を僕は見たことがあったでしょうか。
手紙とかメールとかDMで送られる言葉たちも、ダイレクトさで言えば同等なんですが、今回のメッセージの強烈さは異質です。

それは雑踏のむこうから真っすぐに僕に伸びてくる光のようでした。
逃げたいという思いに今も囚われているだろう姉が、なんとか放った一矢でした。

本当に驚いてしまいます。広い海を漂っていたら、僕宛の小瓶を拾ったみたいな奇跡です。


でもね、そのなかの手紙を見て、真相を知って、僕がどう思ったか、はたして姉にわかるでしょうか?


僕は何作小説を書いても思った通りの成果を上げられたことはありません。
でも姉はたった一つの記事で、きっちり「僕に届ける」という奇跡的な成果を上げました。

僕はずっとこの家にいてこの家族と暮らしてきたのに父とはついにわかり合えませんでした。
でも姉はさっさと逃げて遠い東北の地で新しい家族を得たばかりか父とも交流を続けていました。

姉はすごいけど、でも、これじゃああんまりじゃないですか。

一人で逃げて僕たちを混乱させて償いもせずにいいところだけもっていこうなんてズルいじゃないですか。

逃げないよ、僕は。

姉は言葉を届けるのがとても上手かったけれど、それって考え方を変えてみれば、僕が見つけるのが上手かったとも言えますよね。

いくら創作大賞に少し変な風に出してみせてもほとんどの人が気づかないでしょう。アカウント名に覚えがあっても目に入らなかったら終わりでしょう。僕だからわかったんですよ。僕だから広い海に漂う小瓶を拾いあげれたんですよ。得意なんです、誰かのなにかを見つけることが。

僕は見つけだせる。僕なら記事の細部、裏の裏まで読みこんで特定できる。だからきっと、姉の居場所も突きとめて、顔を見ることができる。

僕たちの空白は長すぎたね。でももうすぐ埋まると思うよ。そうしたらちゃんとみんなで話をして家族をやり直そうよ。知らないかもしれないけど僕はもうアラサーってやつでしっかり大人なんだ。だからきっと大丈夫。なにかあっても僕が守るから。

今週末、僕は行きます。必ず会います。

待っててね、お姉ちゃん。







#創作大賞2024
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