健康マインド(児童文学)いい子だけじゃない❗那須正幹②
1961年島根農科大学に進学して(森林昆虫学)を専攻します。
山岳部に所属して山歩きに明け暮れますが、それが就職に役立って東京の自動車メーカーに営業として働きます。
那須正幹の自動車セールスマン時代は都内の江東区が担当地区で、荒川の河川桟敷で菓子パンと牛乳の昼食を食べていました。
ず〜と、こうしてるだろうと思ってたそうです。
ある時に仕事で練馬や中野にも電車移動する事があり、電車内で読んだのがサン=テグジュペリの(星の王子様)❗
それが児童文学との初の出会いだったそうです。
私は経歴を知りませんでしたので、昆虫好きと同時に児童文学への目覚めがあったのだと思ってましたが、社会人になってからだったんですね〜❗
千葉県の松戸市で一人暮らしをしたりしましたが、こんな東京での2年間の生活が作品にも反映されています。
自動車メーカーの転勤に反発を覚えて退社、実家の広島に戻り家業の(書道教室)を手伝います。
その頃に(広島児童文学研究会)に参加します。
(星の王子様)を思い出したのでしょうね❗
始めての創作は(ヒバリになったモグラ)でした。その内容は宮沢賢治の(よだかの星)に似て、モグラがヒバリなって太陽に向かって飛んでゆく話だったそうですが、研究会の会員には(私達の研究会は新しい児童文学を目指しているんです!)との批評を受けます。
以後 那須正幹は新しい児童文学を目指し、30歳までに本を出そう❗と決心します。
決心のとおり1972年 30歳の時に初出版(首なし地ぞうの宝)でデビュー❗
1975年には児童文学の革新作(屋根裏の遠い旅)を発表します。
続く。