健康マインド(心に残る言葉❗)笠智衆「男は喋るな、泣くな。」
この若い頃の写真で判りますか❓
大学生を演じた28歳の時です。
熊本産まれ。父親は浄土真宗の住職でした。
本名も「笠智衆」、京都の龍谷大学に進学しますので寺を継ぐつもりだったのか? しかし中退して1925年松竹入社。
10年位大部屋俳優でしたが、小津安二郎監督に見出されました。
1942年に小津監督「父ありき」で主演。7歳年下だった佐野周二の父親役でした。
その後の小津作品には全て出演しました。
「日本の父親像」を体現する役者になります。
「男は喋るな、泣くな、白い歯は一生のうちに三度も見せればいい」
明治産まれの男のたしなみでしょうか、笠智衆は演技でも(泣く)のは見せられないと言い張りました。
「晩秋」のラストシーンで、娘を嫁にやった笠がりんごの皮を剥いてから慟哭する場面を「それはできません。」と断ります。
小津監督が笠の主張を認めて、慟哭するシーンからうなだれるシーンに変わりました。
笠は後年「できるできないは別にして、とにかくやってみるべきだった。」と悔み、「監督に言われた事はどんな事でもやるのが俳優の仕事」と語りました。
後年(泣く演技)も見せていますが、私は個人的には笠智衆の涙は見たくなかったと思います。
その分「男は喋るな、泣くな!」の言葉が心に残ります。
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