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映画感想文「システムクラッシャー」

「システムクラッシャーとは、あまりに乱暴で行く先々で問題を起こし、施設を転々とする制御不能で攻撃的な子供のこと」

2019年のドイツ映画。日本では2024年4月に公開されている。

この映画の主人公9歳の女の子ベニーは、一旦、怒りの感情に火がつくと制御不能となり、暴力で他害と自害を繰り返す。また、彼女は幼少期に父親から受けた暴力的なトラウマ(赤ん坊の時にオムツを顔に押し付けられた)を抱えている。

グループホームでも学校でも、里親の下でも、その狂暴さから手がつけられず、どこに行こうと追い出される。施設から施設へ。里親から里親へ。

ベニーの希望はただ一つ。「ママと暮らしたい」だけ。
どこに行こうと、誰がいようと、ベニーはただただママを求め続ける。

しかし、その母親は優柔不断で、面倒なことから逃げ回る。今はベニーの弟と妹と暮らしている。ベニーにとっては、それも納得がいかない。
「なぜ?なぜ私だけママと暮らせないの?」

ベニーの受け入れ先に奔走する社会福祉課のバファネは、登校に拒否反応を起こすベニーに、通学付き添え人としてミヒャを選任する。
ミヒャがグループホームに迎えに行くと、「学校になんか行かない!」と包丁を振り回して抵抗するベニー。興奮しきったベニーは鎮静剤を打たれて病院へ搬送される。

真っ白な壁とベッドの上に朦朧として横たわるベニー。

ようやくミヒャと登校しても、周囲の生徒の意地悪な態度に我慢できずに暴力を振るって怪我をさせてしまう。
押さえつけようとする大人たち。全身全霊で怒り、吠え、叫び、破壊し、走り出すベニー。

ベニーに困り果て、何もできない大人たち。ベニーの処遇会議は、誰しもが音をあげてしまい何も進まない。
そんな時、ミヒャは「水も電気もない森で3週間、一対一で生活をする」ことを提案する。

インターネットもテレビもない環境に、当初、ベニーは不満そうだったが、水汲み、木を切り、薪をくべ、火を使い、身体をフルに使った生活に次第に馴染んでゆく。屋根裏のフクロウの巣を見つけたり、ロープでブランコを作ったり。大声で笑い、叫び、解放されていくベニー。やがて、一対一で、自分にだけ向き合ってくれるミヒャに心を開いてゆく。

「私のパパになって」ベニーは懇願する。

ベニーの行動は加速する。施設を抜け出し、ミヒャの家にまで来てしまうベニー。ミヒャの家族に入っていくベニー。ベニーの変化に、ミヒャは次第に混乱していく。
「ベニーとの距離の取り方がわからない」
ベニーに巻き込まれていくミヒャ。
やがて、ミヒャもベニーを拒絶し始める。

ベニーの母親は、「男と別れたの。仕事を見つけたら、一緒に暮らせるよ」とベニーを狂喜させる。バファネを始めとする支援者たちも、同居の方向で話を進めていく矢先、突然、母親は前言を覆す。ベニーの目の前で。
「同居は無理。ベニーとは暮らせない。あの子が怖い」
バファネの制止も振り切り、逃げていく母親。なすすべなく崩れ落ちる大人たち。

どこにも行き場のないベニーは、海外(ケニア)の集中体験プログラムに放り込まれることになる。空港でバファネの見送りを受けるベニー。手を振り、搭乗ゲートをくぐっていく。しかし、自分の分身のように大切にしているぬいぐるみを荷物検査で取り上げられそうになり、再び、走り出す。
窮屈な建物から飛び出して、青い空に向かって。彼女が着ているフクロウが描かれたシャツと一緒に。高く高く、叫び、笑いながら。

全編を通して、とても苦しく、哀しく、辛い思いのする映画だった。
そして、「なぜ?」と感じ続けた時間だった。

なぜ、何よりも先にベニーのトラウマ治療を優先しないのか?
なぜ、ベニーの心を壊し続ける母親と面会させるのか?
なぜ、ベニーを不快刺激に晒し続けるのか?
なぜ、誰もがベニーのバウンダリーを侵すのか?
なぜ、社会福祉のプロたちは連携できないのか?
なぜ、うまくいかないことの全てをベニーの責任にするのか?

おそらくベニーはトラウマの他に、発達障害や愛着障害を抱えているだろう。
でも、それは彼女のせいではない。
会話によるコミュニケーションに問題はないし、誰がどう感じているのか、自分がどう思われているのかをある程度、俯瞰する力は持っている。

ただ、アウトプットの段階で極端な行動に出てしまう。
それはそうせざるを得ない事情があるからだ。マルトリートメントな養育環境で育ち、大人の事情であちこちたらい回しにされ、心を開いた相手には簡単に拒絶される。ミヒャを始めとして大人たちは簡単にベニーのバウンダリーを侵してくる。誰もベニーの思いに耳を傾けようとはしてくれない。ベニーの言葉にならない思いを共有しようとしない。
自尊感情をズタズタにされる経験しかなければ、完全に心を閉ざすか、それとも闘うかしか道はない。

お願いだから、ベニーを不快にさせないで。学校に登校することが包丁を振り回すほど嫌なら、もっと段階を踏むなど別の方法を考えて。せっかく登校できたなら、気分良くいられる環境を整えて。彼女が好きなもの、夢中になれるものを一緒に探して。支援者は勝手にひとりで「良かれと思って」行動しないで。ベニーの心を壊す母親とは2人だけで会わせないで。

そして、彼女の気持ちを聴いて、思いを共有してほしい。あなたはひとりじゃないよ。大切な存在だよ。と伝えてあげてほしい。ベニーを安心させてあげてほしい。簡単に不快刺激に晒してパニックを起こさせないでほしい。

「システムクラッシャー」なのは、周りの大人たちだ。そもそもシステムなんて、状況に応じて作っていくものだ。自分たちの能力の無さをベニーの責任にするな。お前たちにベニーを評価する資格なんかない。無能さを恥じろ。足を洗って出直せ。

私の中のベニーが叫んでいる。

翔けて行け。翔けて行け。高く、遠く、速く碧い空へ。世界はお前のものだ。何者も手出しはできない。システム?そんなもの初めからないんだ。

あるのはお前だ。お前が世界だ。









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