最期について思い馳せる
義母が突然この世を旅立った。
もう80代も半ば、自宅で亡くなっているところを発見された。大往生だよね。元気だからあと10年ぐらいは大丈夫と本人も周りも漠然と思っていたのだけれど……。
義父を見送ってはや1年半。落ち込みから回復して最近食欲も戻ってきた矢先に。今まで病院で指摘されたことはないけれど、もともとは不整脈持ちだったし、たぶん徐脈性の不整脈があったんじゃないかと思う。急に寒くなったし。ベッドに倒れ込んだまま亡くなっていた。
なんか嫁に対しては思い通りにならないと腹が立つようで、ちょっといびられがちだったし、顔を合わすとこっちも向こうも嫌な気持ちになるから、最近は法事やお墓参りなどどうしても以外はなるべく顔を合わせないようにしていた。毎週、可愛い孫だけ派遣して、徒歩3分以内の近場に住んで頻繁に息子(夫)も訪れ、私が会社の仕事を引き受けて後顧の憂いもなし。私はこの距離感でいい、自分自身よくやってると思っていたけど、それでもこんなに早く逝くならもっと優しくすれば良かったな、まいったなって気持ちは湧き出るものだった。やっと逝ってくれたか、やれやれってくらいもっと長生きすると思ってたのにな。もう、文句も言えやしない。
ああ、でも、本人は良かったかもしれない。心配性で不安症で寂しがりのわりに自分の思い通りにならないのが絶対的に嫌だから、施設や病院で過ごすことになってたらしんどかったはず。万が一癌でも見つかろうものなら毎日のように不安で知り合い全部にずっと電話をかけ続けていただろう。本人は、自分が今日死ぬなんて全く思わないまま、たぶん、ああ、ちょっと立ちくらみだわ、ベッドでちょっと横になろう、みたいな感じでふらっと意識を失ってそのまま旅立った。周りの皆は、急に置き去りにされて、あまりに突然過ぎて受け入れられないけど。
良かったかもしれないね、なんておおっぴらには言えないから心の中にしまって記事にしている。夫がしょんぼりしてる。せめて夫に優しくしてあげよう。
私はどんな風に最期を迎えたいかな。孤独に耐性のある私より夫の方が寂しがりだし年上だから、ちょっとボケた夫の最期を優しく看取って、そのあと家中をミニマリストのごとく整理しまくって、年ごとの家族写真のアルバムと、3人の息子に1本ずつ万年筆を残して、もし寂しくなったらジャーナリングのノートに嫌になるほど赤裸々にお母さんの考えてたこと書いてるから読むもよし潔く処分するもよしって、ノートをトラスコのコンテナに残しておいて。お母さんからしたら、生まれてきてくれて可愛い姿見せてくれて、小さい頃、いい匂いいっぱい嗅がせてくれただけで一生分の親孝行してもらってるから心配しないようにってメッセージと共に。平均寿命を越えたころに私も義母のようにぽっくり逝きたいな。
そんなことを思い馳せる夜。