19番(花山版) 難波潟みじかき芦の 伊勢
花山周子記
難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや 伊勢 〔所載歌集『新古今集』恋一(1049)〕
作者、伊勢は三十六歌仙の一人、古今集時代の代表的な女流歌人である。確かにこの歌、古今集の特徴を成す和歌のレトリックが随所に張り巡らされている。
まず、「難波潟みじかき芦の」は「節の間」を導き出す序詞、ついで「節の間」は実際の芦の「節の間」のことでもありながら、後半の主題へと繋ぐ掛詞であり、時間の短さを喩的に告げる。そして「世」は「節」とともに「芦」の縁語としても置かれている。これら「序詞」「掛詞」「縁語」はいずれも古今集の典型的なレトリックといっていい。
さて、この歌、これだけ和歌のレトリックを十全に供えながら、存外、機知的に見えないのは、そのままひとつの台詞でもあるような情に訴える節回しがあるからだ。あ音の配置が作り出す調べのよさに加え、「逢はで」で一気に感情が噴き出し、最後の「よとや」の訴えかけるような調子には、自ずと、袖を顔に寄せておいおいと涙する姿までが見えて来るようだ。ダイアローグな言葉の訴えがそのまま演出的なポーズともなっている。だから内容は泣き落としと言っていい種類のもので、作者伊勢が高貴な人たちに寵愛された、聡明にして気品があり、人柄にも優れた女性であったことも思い合わせれば、この「よとや」は流石というか、台詞としてのダイアローグ性を有しながら、最後でふと、自らのうちに引き戻すようないじらしさがある。この、「よとや」、現代語では終助詞「の」の用法に近いかもしれない。
冬の日のみじかき昼の日の光 こどもの時間過ぎるというの 花山周子