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8番 わが庵は都のたつみ 喜撰法師
2018年5月2日/今橋愛記
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり 喜撰法師 〔所載歌集『古今集』雑下(983〕
歌意
私の庵は都の東南にあって、このように心のどかに暮らしている。だのに、私がこの世をつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと、世間の人は言っているようだ。
謎の人なんて言われる人は、人の想像力を1㎜もかきたてない人よりかは、何かしらの、何かが あるのかもしれない。
芸能の人とか、そうかな。たくさんの人が、その人のことを知りたい。知りたくて仕方ない。だから、交際している、別れました、ということをテレビでやっている。追いかけて、何かを聞き出す人が職業として成りたっている。その辺のこころ、つまり知りたくて仕方がない人の心持ちが知りたくて、以前、岸田さんという人の本を読んだ。そして、まあまあ納得がいった。
むかしむかしの人たちにとっての、知りたくて仕方ない存在は、お坊さんだったりもしたのだろう。
うぢ山は、京都府宇治市にある山で、現在は喜撰山、喜撰ヶ岳と呼ばれているそう。
宇治山と「憂し」(つらい、情けないの意味)とが掛かっている。
宇治がある京都の隣、滋賀で数年暮らしたことがあるからか、この歌はこころにすっと入ってきた。
「しかぞすむ」に鹿がかかっているか、いないかは別として、
滋賀で暮らしていたとき、車で山を越えていると、ふつうに鹿はいて、車道をゆったり歩いていた。
あの、そこに鹿がいる感じ。ただただ山深い感じ。町に出るバスがほっとんど走ってなくて、とかいの友だちが遊びに来たとき、ぐねぐねと山道を1時間近くも走るバスに、具合を悪くしてしまった。具合悪くなるよね。そんな奥まった奥まった町にも、人は住んでいるということ。だからといって、別に奇妙なものを食べているわけではないよ。
作者喜撰法師は、住みたいからそこに住み、朝起きてごはんを食べ、仕事をして夜は眠って。ふつうに暮らしたのだ。たぶん、きっと。その行為に、謎なんかなくて、ただ、みんながとりおこなう、それがあるだけで、それだけだ。
世間の人の想像力が貧困なことを、喜撰さんはわかっていたのだろう、ラストの「人はいふなり」。
しょぼい想像しかできひんこころの人とは、同じ高さで遊んじゃらん。という意志。ひょいとかわす とんち。賢さ。
わたしはこの七音が、とてもすきだ。
自作は、ぱっとつくれたけれど、とんちがどこにもない。がーん。要改作。
「そうぞうがつかない」
とかいのひとはいう
このまち まあまあ気にいってんのに 今橋 愛
*****
追記
宇治田原が、(暮らしていた町と)たしか かなり近い距離だった、という記憶があって
(暮らしていた町と)まるで同なじかのように書いてしまったけど、
喜撰さんの生きていた頃の宇治や宇治山がどんなだかを なんにも知らんわ。と
先週らへんから はずかしくなってきて そこから、源氏物語・宇治十帖を読みはじめるのだけど、
最初らへんの誰々が誰々がと出てくる登場人物たちの整理整頓が できひんくて
薫は、まだ正月の年賀、玉鬘の邸だよ。