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13番 筑波嶺の峰より落つる     陽成院

2018年7月24日/花山周子記

筑波嶺つくばねの峰より落つる男女川みなのがは恋ぞつもりてふちとなりぬる     陽成院ようぜいいん 〔所載歌集『後撰集』恋三(776)〕

涙の歌だと思った。
というのは音のせいだろう。「みねよりおつるみなのがわ」、あたりが、涙が落ちるようである。そして、涙がたまって「淵」になる。

だけど違うよね。「淵」になるのは「恋」。「恋」が積もって「淵」になる。なんて気色悪いんだろう。「みなの川」も曲者で、漢字では「男女川」と書く。さらに曲者なのが「筑波嶺つくばね」。筑波嶺は言わずと知れた歌垣うたがきの地。
 
求婚の歌なのだそうである。
歌垣の地で、つまり男女の聖地から下る男女川の流れが「恋ぞつもりて淵となりぬる」という下句の心情を引き出す序詞じょことばとなっている。それにしても、積もるなら、恋も積もれば「山となりぬる」のほうが順当な気がする。時代が違うのだから、と自分にいくら言い聞かせても「淵となりぬる」にぞっとする。

恋なんて死んでからでもできるなり娘と投げる水切りの石  花山周子

翻案は、吉川宏志の「旅なんて死んでからでも行けるなり鯖街道に赤い月出る」(『海雨』所収)をもじった。


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