27番 みかの原わきて流るる 中納言兼輔
花山周子記
みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ 中納言兼輔 〔所載歌集『新古今集』恋一(996)〕
上句が序詞となって「いつ見きとてか恋しかるらむ」を引き出す。
〔恋一〕に採られていることから、恋のはじめの歌として読まれている。
だから「いつ見きとてか恋しかるらむ」のところは、わりと複雑なニュアンスが込められていることになる。こんなに恋しい、という思いがまずあって、それにしても、いったいいつ逢ったというのだろうか、こんなに恋しいのは、と自問している。まだ逢わぬ人への憧れ、恋に恋するまさにプラトニックofプラトニックな心情が詠まれている。
「いつ見きとてか」あたりの細い言葉つきが女性的であるなと思っていた。新古今集では作者は藤原兼輔ということになっているが、それ以前には作者未詳歌であったようで。それでも、まあ、男性の作として読まれる歌なのかな。ともかく当時は実際に女性と逢うことはなかなかできない。かぐや姫のように、姫の評判を耳にして男子たちの恋ははじまった。さらにこの歌ではそういう相手すらまだいない感じもする。
ふしぎな韻律である。上句と下句が同じ歌という感じがしなくて、いつも変な感覚に打たれる。
みかのはら わきてながるる いずみがわ
「みかのはら(を)わきてながるる」と意味としては繋がっているのだが、初句切れのような印象がある。「わきてながるる」から再び書き起こされるような、「みかのはら」と「いずみがわ」が韻律的に繰り返される感じがするためか、「は」や「わ」の開かれた音の散らばりのために、なんどもはじまるような、やや過呼吸ぎみの韻律である。
そして、
いつみきとてか
は一音一音が純化して、ほとんど片言のようになる。
「いずみがわ」と「いつみきとてか」は縁語ではあるものの、上句と下句はまったく分裂した韻律に思える。上句の水量豊かに湧いて流れる泉川に対し、下句は一滴一滴、水が滴るようである。
一貫しているのは、胸が圧迫される感覚である。
まだ逢わぬ人への憧れがただただふくらんで胸を圧迫する、それが泉川の水量によって引き出されていて、清純な歌だ。
吹けば飛ぶような感情みずたまりにつややかに浮くアメンボ見つむ 花山周子