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親を許さなければならない、なんてことはない


両親のことを理解できない

両親は大いに問題のある人たちだった。どうしてあんなにやらかしてくれたのか、私には理解できない。どちらも裕福ではない家庭で育っているが、われわれの親世代、それも地方では、そんな家庭はたくさんあったと思うので、生育環境が特別に悪かったとは思えない。
父には2人の姉、母には4人の妹がいるが、伯母または叔母、その配偶者も、社会的にまともで、人間的にも温かい人たちである。どうしてうちの両親だけ、現実を見ずに身の丈に合わないことをやろうとし、平気で他人に迷惑をかけ、ドツボにはまったら「私はかわいそう」と自己憐憫に陥ったのか?

若い頃は、そうやって早世した両親のことを思い出して哀れに思ったり、自分の親への態度を思い出して申し訳なさのあまり涙したこともあった。
しかし、長年社会人として働き、世の中のことがわかってくると、うちの両親はどう考えてもおかしいのではないかと思うようになってきた。さらに、数年前に、母親の1番上の妹である叔母から、母親の学生時代、就職、父親と結婚してから亡くなるまでの話を聞き、母親については、
「みずからの選択ミス、見栄、ひとりよがりな性格で自分の首を絞めただけじゃないか?」
という確信に至った。

父親は「いままで出会った中で一番のダメ人間」で、言葉を選ばずに言うのであれば、何のためにこの世に誕生したのか疑問に思うくらいの人間である。母親はこんなにダメな男としか縁がなかったことを悔やんだのか、このダメ男に精一杯箔付けしようとし、能力のない父親はそれに耐えかねて堕落していったのかもしれない。そう考えると、父親は結婚相手が違えばもう少しマシな人生だった気がする。ダメ人間としてありのままに生きていくことを許してくれる配偶者と縁があれば、周囲に多少の迷惑をかけながらも大迷惑をかけることはなく、それなりの人生を全うできたのではないかと思う。なお、ここまでボロクソに言ったが、父親は犯罪歴はないし、他人様を傷つけることはしていない。ただ、全方位に多大な迷惑をかけた。

親のことを恨んでいるとかいうわけではない。親のせいで私の人生がどうこうとかいまさら言うつもりはない。ただ、どうすればあんなにはた迷惑な人生を送ることができるのか、どうしても理解できないのだ。
両親がどんなことをやらかして、家族や親族にどのような迷惑をかけたかについては、長くなるので、改めて書きたいと思う。


両親を理解しようとしていた頃の話

両親の不満を言うと「両親を許さないと、あなたも苦しい」のようなことを言われたことがある。
実際に「両親も大変だったんだ、理解しよう」と努力した私が断言しよう。いつまでも「両親のせいで私は~」と嘆いていてもどうにもならないので、それはやめた方がいい。だが、両親を許したり、肯定する必要はない。むしろ、両親を冷静な目で見て、否定してしまってもいいと思う。

私にも、両親を理解しようとしていた時期があった。というか、数年前まではずっとそうだった。両親に辛く当たったことを後悔して涙することもあった。
その時期の私がどうだったか?
まず、両親と同じような「まずい生き方」をしようとしていた。私の両親はことごとく選択を誤り、みずから窮地に陥ったくせに、なぜかそれを運命のせいにしていた。窮地に陥ったときに適切な努力をせず、親族に泣きついて借金を重ねたり、新興宗教に入信していた。親族から援助を断られたときは、その親族が薄情者のように罵っていた。
私もよく自分で選択ミスをしたにもかかわらず、それを運命のせいだと考え、うまくいかないときにスピリチュアルに頼ったことさえあった。仕事がうまくいかなくなったときは、社内外の伝手を使って「自分より優秀な誰か」にどうにかしてもらおうとしていた。
一方で、両親のような「うまくいかなくなったら、他人に何とかしてもらおう」という態度の人から利用されかけたこと、実際に利用されたことが何度もあった。仕事では過労死レベルまで追い込まれたことがあるし、自称カウンセラーから無理矢理客にされそうになったり、しつこく高額の自己啓発セミナーに勧誘されたりした。知人から「1ヵ月以内に私の結婚相手を見つけろ」レベルの無理難題を押し付けられたこともある。

才覚もないのに自営業をしていた両親と違って会社員であったため、そこまでの惨事には至らなかった。子供など養うべき家族もいないから、被害は自分だけで済んだ。飽き性の性格が幸いし、うっかり頼ってしまったスピリチュアルや自己啓発はいずれも少しかじっただけで、はまることはなかった。
だが、両親を肯定しようとしていたことで、両親のような生き方を良しとしてしまい、同じような失敗を繰り返してしまった。両親のような人が近づいてきたときに、彼らが私を利用するのを許してしまった。

両親を肯定しようと努力した結果、両親と同じような生き方をして、両親と同じような人に利用されるくらいなら、両親の悪いところを指摘してもいいし、悪口を言ってもいい。自分はあんな生き方しないぞ!と宣言してしまうべきなのだ。


両親を否定したところから人生は始まる

先日、ホモルーデンスさんの「ちゃんと親を否定しよう」という記事を読み、自分の判断は間違っていなかったと痛感した。
この記事は有料ですが、私はタイトルを読んだだけで納得してしまいました。

両親を肯定しようという努力をやめてから、人生はすべて自分の選択の結果だということに気づいた。予期しないトラブルが振りかかることもあるが、そういうときはパニックになって他人に泣きつくのではなく、冷静に適切に対処すればいいし、普段からトラブルに備えておけば傷は浅いことに気づいた。
自分を利用しようとする人には同情せずに毅然と対処すれば、もう寄ってくることはないと気づいた。

誰しも、どうしても両親の影響を受けてしまう。その両親が素晴らしい人ならかまわないが、私のように「絶対にマネしてはならない大人」の場合、きっぱり否定することが大事だと思う。

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