「みんな違ってみんな変」が許されなかった高校
監視社会だった高校生活
Twitter(X)に、こんなツイートが流れてきた(少し略しています)。
高校の同窓会に行くと、まさにこういう空気である。
不思議ちゃんというか、マイペースで変わった人が多い。
たびたびメディア(WEBメディア含む)で見かける人が数人いる。すごいなと思うが、彼らは「突き抜けた変わり者」で、マネできないし、マネしたいとも思わない。
彼らのように目立ってはいない人たちも、それぞれ個性的で面白い。
いい意味で他人にあまり興味がなく、上手な距離感で他人と接している。
だが、高校時代はそうではなかった。
卒業後の同級生を見ていると、不思議ちゃんというか、いい意味での変わり者の割合はかなり高かったはずなのに、なぜか監視社会であった。
クラスの男子が7~8人でつるみ、女子の悪口を言っていた。
その女子から何かされたわけでもない、ほとんど口をきいたこともないにもかかわらず、悪口を言うのである。ただの暇人のやることだが、当時ターゲットにされていた女子はとても傷ついていた。
女子同士でも、気に入らない子に対し、本人が気づくようなやり方で悪口を言っていた。
無理して仲良くする必要はない。嫌いなら話さなければいいし、陰口を言ってもいい。それだけで、相手が自分を良く思っていないことは十分伝わる。
友達と一緒になって気に入らない子を見つめたり、聞えよがしに悪口を言うと、相手の居心地が悪くなるだけだ。
また、悪口は言わないが、他人に過度に興味を持つ子もいた。
彼女は在学中から、話したこともない相手を含め、他人の話ばかりしていた。
卒業後も連絡をとっていたが、悪口ではないものの、他人の噂話ばかりしているのでうんざりしたことがある。
彼女にとって、私は興味をそそる同級生のひとりだったようで、一時期は毎日メールを送ってきて近況などを探られた。そのときにぽろっと話したことが曲解された形で第三者に伝わることがたびたびあったので、彼女のメールに返信するのをやめた。
いまでも少し距離を置いて付き合っている。
彼女は「悪口でないからいい」と思っているのかもしれないが、「本人から聞いた話」を第三者に話すのは、悪口よりよほどタチが悪い。
例えば、
「あんずはバ〇でブ〇で性格が悪い」
という悪口を言ったとする(いまどきこんな悪口言う人いないか)。
これは、悪口の発信者の感想で、私に対して抱いているイメージである。それを否定するつもりはないし、それを聞いた第三者も「ふーん」としか言いようがない。
一方、「本人から聞いた話」には事実が含まれているし、中にはあまり公にしてほしくないこともある。それを聞き出しておいて第三者にバラすようでは、信用を失っても仕方がないだろう。
このように、高校時代は、敵からも味方(?)からも監視されるような居心地の悪さを感じていた。
どうしてあんなにお互いに監視しあっていたのだろう。
みんな違ってみんな変でいられたら、不登校になったり、高校時代にトラウマを抱えて卒業する人もいなかっただろうに、と思う。卒業生の活躍度も違ったのではないかと思う。
「みんな違ってみんな変」が成立するために必要なもの
監視社会の高校生活であったが、中高生くらいの年齢で「みんな違ってみんな変」が成立するのは難しいのではないかと思う。
勝手なイメージだが、東京のような都市部で、お金も教養もある家の子女が多く通う学校であれば、可能かもしれない。
でも、田舎の一般家庭の子供たちが集まる学校では、それは難しいように思う。
まず、街の性質が東京とは全然違う。人間の流動性が低い。選択肢が少ない。
そんな世界にいたら、他人の噂が娯楽になるのも仕方ない気もする。親が噂話ばかりしていたら、子供も同じように噂好きに育つのも仕方ないだろう。
周囲に噂好きな人がたくさんいて、監視されているような場にいたら、委縮してしまうのも仕方ない。
前述の「突き抜けた変わり者」の同級生たちは、あの監視社会に巻き込まれていなかったような気がする。
抜群に成績が良かったり、個性的だったりで、注目を集めがちな人たちであったが、本人たちは他人の目を気にせずに自由に振舞っているように思う。
彼らは、どうしてそのように振舞えたのだろう?
彼らがメディアで語っている内容によると、まず、家庭環境が安定している。お父様の職業から想像するに、なかなか裕福だったのではないかと思う。さらに、親との関係も良好そうである。
さらに、とても成績が良く、勉強を苦にしている様子がまったくなかった。
家庭環境が安定していて、成績が良く、勉強が苦痛ではない。
この条件を満たす人が、必ずしも他人の悪口を言わない、他人の目を気にしないわけではないだろうが、最低条件ではないかと思う。
家庭で守られている意識があり、数年後に控えた進学について、自分の能力的に、また経済的にも問題がないのであれば、精神的に安定する。
そういう「安心、安全な基盤」がなければ、周囲の雑音など気にすることなく夢を描き、それに向かって邁進することは難しいように思う。
もちろん、その基盤がなくても、マイペースに努力し、他人の悪口を言わない、言われても気にしない人もたくさんいると思うが、高校生ではそこまで達観するのが難しい。
そんな若い時期に、自分がやることに集中し、他人に興味を持ち過ぎず、かつ紳士的に接するのは、簡単なことではないのだ。