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第13章 仏教最古の経典について
ここまで読んだ読者の中には、次のように思う人がいるに違いない。
あなたが言っていることは分かったが、あなたがそう言っている根拠となる「最古層の経典」とは、何という経典なのか、と。
それについての概略を少しばかり説明しておこう。
まず最初に、仏教学において歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの思想的な根幹に迫り得る最も重要な資料となるのは、現存する最古層の経典であると言われる『スッタ・
第12章無我について
仏教で説かれる「無我」(非我)の「我」とは、人間の本体として想定される、「形而上学的な意味合いでのアートマン」として捉えることが可能であろう。
ところが、それにもまして重要なことは、最古層の経典において、「無我」(非我)の「我」とは、「私」と「私のもの」という意味として説かれている、ということである。
つまり、そこで説かれている「無我」(非我)の「我」とは、(1)「私」とは無常であり、常
第11章 仏教用語の成立時期について
一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダによって説かれたということになっている。
ところが、中村元氏は、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」の成立時期について興味深いことを言っている。
それについて重要であると考えられる箇所を『中村元選集』から(四か所続けて)引用してみようと思う。(以
第10章 この生涯の先にも後にも不死はない
初期仏教の中でも、特に比較的新しい層の経典の中には、「三明」(宿命通・天眼通・漏尽通)というものが記されている。
「三明」(三種の明知)とは、過去世を見通す能力を含めた超能力であり、少なくとも後代(ブッダ滅後)の仏教徒の中には、ゴータマ・ブッダ(釈尊)には、そういった能力が備わっていた、と考えていた人たちがいたのだろう。
しかし、初期経典の中には、ブッタの悟りとは、前世や来世を見通すよう
第8章 史実としてのブッダについて
仏教最古の経典『スッタ・ニパータ』よりもさらに古い資料を含むと言われているジャイナ教の聖典『イシバーシャーイム』(聖仙のことば)には、サーリプッタとマハーカッサバなどがブッダとして紹介され、サーリプッタが仏教の代表者であるとされている。(これ以外に、ヴァッジプッタの名前も紹介されている。)
しかし、そこには、なぜかゴータマ・ブッダ(釈尊)の名前が全く表れてこない。
これは一体どういうこと
第7章 「破僧の定義」の変更について
原始仏教聖典(パーリ・ニカーヤ)の中には、待機説法という言葉では到底説明がつかないような「真逆の教え」や「矛盾した教え」が数多く混在している。
一例を挙げて言うなら、修業完成者は前世や来世を見通すような超能力(神通力)を保持している、という説明と、修業完成者は前世や来世を見通すような超能力(神通力)などは全く保持していない、という説明などが、それである。(後者については、『相応部経典』第2集
第6章 「異説の徒」について
『長部経典』の第一経である「梵網経」(聖なる網の教え)の中には、当時、釈迦の存命中に説かれていたという62の見解が列挙され、その〈限定された62見〉によっては正覚や涅槃に導くものではない、という趣旨の内容が述べられている。
そして、アーガマの中でもやや後代の経典になると、在家者だけではなく、修行者に対しても特殊な形而上学説を含む「正しき見解」なるものが説かれるようになっていった。
十二支
第4章 信仰を捨て去る
最初期の仏教においては、すでに述べたように、「この世に対する願望」だけではなく「来世に対する願望」や「種々の生存(輪廻の生存)に対する願望」もまた捨て去られるべきものであると説かれていた。
『想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、つとめ励んで行ない、この世もかの世も望まない。』 (Sn.779)
『かれはここで、両極端に
第2章 真理について
「ブッダの理法」とは何か?そして、ブッダは、一体何を悟ったのか?
これらのすべての答えは、仏教最古の経典「アッタカ篇」と「パーラーヤナ篇」の中に明確に語られている。
実は、仏教最古の経典である「アッタカ篇」(『スッタ・ニパータ』第4章)の中に、ゴータマ・ブッダ(釈尊)の理法の根幹を端的に言い表している箇所が存在する。
それらを簡潔に要約すれば次のようになる。
世間一般では、ある人は
第1章 真理に対する考察について
仏教の「真理に関する思索」を行うことに対して、最初期の仏教は、どのように捉えていたのだろうか?
「真理に対する思索」を行うことは、「ブッダの真理」に到達するための妨げになるのか?
あるいは、「真理に対する思索」を行うことは、最初期の仏教では、重要視されていたものなのか?
実は、仏教最古の経典パーラーヤナ篇に説かれている詩句には、仏教の「真理に関する思索」について、次のように語られてい
仏教最古の叡智
仏教最古の叡智