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幼き日の落下実験


 歳を重ねてくると、ふと幼い頃の自分が思い返され、しばらく懐かしさに浸ってしまうひとときがある。(拙稿「マイアーカイブス」へ)

 還暦の60歳を過ぎた頃から、心なしかそんな場面が増えつつあるようにも……。

 そして、「なんでこんなことこの年になって思い出したんだろう」と思うと同時に、「なんでそんなことやってんやろか」と「後付けの意味づけ」をしたくなるのである。

 年輪を刻んできた今だからこそ気づくこともあるのだ。30代40代なら単に、恥ずかしかったり、場合によっては消してしまいたいような黒歴史に過ぎなかったような出来事も、別の輝きを持って蘇ることもある。

 昔の出来事を思い出して、自分を再発見したような気になって少し嬉しくなったりもするのである。

 
 元々、素直で真面目なタイプだったと思う。同時に目立ちたがり屋で、人を笑わせたいという気持ちが他の人より少し強かったようにも思う。

 幼稚園の時の出来事だ。
 いまだにはっきり覚えている「痛い」経験がある。
 仲良しの友人二人とジャングルジムに登って遊んでいた。私は、一番高いところで、

「おやまの たいしょう ぼく ひとり 🎵~」

と熱唱し、いい気になっている。友人の内訳は男の子一人、女の子一人だった。その女の子は少しかわいかった。

 突然、こんな気持ちが幼い私を襲ってきた。

「今、ここで、手と足をこの鉄の棒から離したら、下に落ちるなあ」

「そうしたら、みんなびっくりするかなあ」

急にドキドキしてきた。やってみたいという気持ちと怖いという気持ちが綱引きをしている。

 でも、次の瞬間、やってみたいチームが勝利し私は無謀な「落下実験」を挙行するのだ。

 ガタガタガタ・・・自分の体が何回かジャングルジムの鉄柵にぶち当たりながら地面まで落ちていく。尻餅をついて頭を一番下の鉄の棒にコーンと打ち付けて実験は終了した。

 友達がさけぶ。

「○○ちゃん、おちたあああ!」

 先生が大急ぎで駆け寄ってくるのが見える。

 照れくさそうにニヤニヤしている私。

 幸い、大きな怪我はなかった。

「ジャンブルジムからおちた男」の称号を得られることもなく、私の「実験」はこじんまりと終了した。


 なんでこんなことをしたのだろう。

 何度か、このシーンを思い出すことがあったが、ちょっと目立つことしたいだけだったんだろうくらいにしか思わなかった。

 何十年もたって、「迷惑動画」なるとんでもない動画で「炎上」しているニュースを目にする機会が増えた。
「なんちゅうことしてんねん。そんなことして何になるねん」
と突っ込んでいる私だ。

 でも、ある時、この幼稚園時代の落下実験のシーンが思い返された。

「おんなじとちゃうん。自分もやってたやん」

 自分を見て欲しいという気持ちが強い人間は、どうやって生まれてくるのか。

 承認欲求が満たされていない度合いによってだろうか。

 自分は、幼稚園の時、そんなにさみしい幼児だっただろうか。
 いやあ、そうでもない。結構、かわいがられていた記憶もある。でも、どこか、満たされない何かを持って生きていたのだろうか。

 いやあ、単に、あの時、一緒にいたかわいい女の子に「きゃー」って言って欲しいだけだったのか。そうだとすると、私は、かなり「変態」の素質を持っていたことにもなる。危ない、危ない。

 その後の人生の中で、正しい方法で、承認欲求が満たされる術を身につけていくことができたのだろうか。とりあえず、警察のお世話には、なっていない。(スピード違反と一旦停止違反以外は)


 もうひとり別の自分がいう。

「いやあ、ここから落ちても大丈夫やとわかってたから落ちてんやろ」

 そうかもしれない。大丈夫な方法で注目を浴びる方法を見つけたのかもしれないなあ。

 答えは、タイムマシンに乗ってその時の自分に聞くしかない。いや、仮に聞けたとしても

「はて?」(「虎に翼」大好きでした)

というだろう。わからないことをするのが子どもなのだ。行動にいちいち理由はいらない。

「やりたかったから」
「その気になったから」

これが一番の答えなのかもしれない。

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