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旧交 大病から生還した男とともに

 金曜日の夜、突然中学時代の友人後藤から連絡が入った。
「きんちゃん、急やねんけど、明日って仕事かな」
「いや、明日は、休みやで。ただ翌日朝早いので遅くまでは無理やけど」
「じゃあ、ちょうどよかった。スタート早い時間やねん。4時」
 年に何度かの飲み会のお誘いだ。ただ、この間、勤務の関係で出席することが出来ずにいた。しかし、今回は、うまい具合にマッチングできた。
 なんでも、前沢という中学時代の友人が胃癌を患ったが、手術も無事終了し経過も良く、もうビールも飲んでるらしい。彼から後藤に飲みたいという連絡があったという流れだ。
「前沢くんは懐かしいなあ。いつかの会で彼が忘れててドタキャンした時以来やなあ」
「いやあ、きんちゃんは、参加できてないけどあれから2回ほど飲み会あってんで」 
 前沢くんとは、何年振りになるのだろう。彼とは、ちょっとした縁があって、小学校が違うのに6年生から知り合いだった。それは、中学受験を目指す同じ個人塾に通っていたからだ。私も前沢君も見事に受験に失敗し同じ地元の公立中学校に進学することになり、そこで再会したのだった。
 中学校時代からユニークな奴で同じクラスになったことはなかったが、よく噂を耳にしたキャラクターだった。お互い中学校受験失敗組で高校はいいとこに行こうと切磋琢磨というほどではないがよきライバルでもあった。

 私も彼もそこそこの成績で中学3年生まで進級した。いよいよ受験本番が近づき、私立の併願校の結果が出始めた時、前沢君は私立の難関高校に併願で合格したという噂を耳にした。
 公立高校の上位校を狙うなら併願では受験することは避ける高校だった。
「あんな難しい高校を併願で通るんだったら公立はきっと合格するよね」
 周りの友人たちは、誰もが公立高校に進学するものだと思っていた。しかし、彼は、受験しなかった。そのまま、その併願で受験し合格した高校への進学を決めたのだ。まあ、それはそれでいい判断だったのかもしれない。私は、大学受験の際に彼が進学した高校からエスカレーター式に入学できるその大学の受験に失敗している。
 しかし、さらに面白いというか、変なのは、そこまでして行った高校なのに、彼はその「エスカレーター」に乗らなかった。
「僕は、お医者さんになりたいねん」
 彼は、そう言って医学部の受験をすることにしたらしい。
 私が、大学生になった時、会う機会があった。彼は公立の大学に合格し籍を置いていたが、医学部への進学を諦めておらずチャレンジを続けると言っていた。
 最後に会ったのは、多分、その時が最後だと思う。

 時は流れ、前沢君本人に会うことはなかった。後藤とだけは関わりがあり、彼だけが中学時代の友人たちの動向を知る唯一のハブだった。前沢君が医学部の受験を断念したのは、3浪してダメだった時だったらしい。
 そして、明日、会うのは、彼が医学部進学を諦め在籍していた公立大学を卒業して社会人として就職して結婚もして1人娘も授かった40数年振りの彼なのである。
 時間通りに集合場所の焼き鳥屋へ到着すると、すでに前沢君と後藤がカウンターに座って待っていてくれた。
「おお、久しぶりやな。髪の毛いっぱいあるなあ」  
 それが、再会の挨拶になった。
 前沢君は、昔から天然パーマ系の毛髪だったが、還暦を超えた今もそれは変わらず黒々とした髪の毛がぐるぐる豊かに渦巻いていた。羨ましい限りだ。
 時は、一瞬で埋まった。話は途切れることもなく、時折中学時代の懐かしい、いや、恥ずかしい話に花をさかせながら酒が進む。
「楽しい」
自然と言葉が出る。一緒にいて楽しい奴だ。相手を愉快にさせ、気持ちよく酒を飲ませてくれる。聞くところによると、営業でずいぶん接待があったらしく、経験を積んだらしい。
 しばらくして、もう一人の旧友である脇くんもやってきた。そして、店を変えて2次会のパブに行くと、さらにもう一人の友人下部が待っていた。
「やっぱり、前沢の人徳やな。生きて帰って来れたお祝いに、急な連絡にも関わらずこんなに人が集まってきたわ」
 後藤が言った言葉に誰もが納得だった。
 私は、明日の仕事があるので21時には席を後にしたが、前沢君に会えて本当に良かったと思った。そして私にとっては、久々の中学時代の同窓会になったのもありがたい巡り合わせだった。
「幸せな夜やったわ。楽しかったわあ。下やん(下部のニックネーム)まできてくれてなあ」
 迎えにきてくれた妻の車に乗り込むなり私は口にしたらしい。しかし、そのことを私は全く覚えていない。相当飲んでいたらしい。本当に楽しい夜だった。 
 たった一つ。
 翌日の2日酔いで勤務がとてもしんどかったことを除いては・・・
 

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