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ストーム 6

札幌で過ごした大学生活の4年間は、まるでストーム(嵐)のようでした。
寮生活での出来事を中心にサークル活動に没頭した熱くて若かったあの頃を振り返っています。今日で6話目です。


私が生きた世代

 私が、大学に入学した年は、1977年4月だ。
 前にも述べたが、国立大学が1期校、2期校とあった時代だ。こんな話を若い同僚にすると「??」がほとんどである。共通一次テストすら遠い昔の話らしい。
「学生運動」の話をふっても、ある年代からはほとんど経験がないことに気づく。
 私は、いわゆる学生運動を経験したかしていないかの端境期に生まれた人間ではないかと思う。もちろん、住んでいる地域や進学した大学によって差はあると思われるが……。

 私の生まれた年が1959年と言うのも後から思えば、60年安保闘争の始まりだった。もちろん、私にはなんの関わりもない。70年安保の時も小学生だったわけで、ニュースで学生のデモ隊が機動隊と衝突しているシーンや、東大の安田講堂が占拠された映像を見たことが記憶にある程度だ。
 しかし、私が入学した大学は、70年安保闘争が終わり運動が下火になっていた中にあっても学生運動が盛んだったと思う。キャンパス内には独特の字体の立て看板があちらこちらに見受けられたし、毎日のように、昼休みに芝生広場でハンドマイクを持ってアジテーション演説をしている先輩を見かけた。後に自分がそのハンドマイクを持ってしゃべる立場になろうとは思ってもみなかったが……。
 
 

多様な思想信条の寮生たちと「真っ白」な自分

 そんな時代いや、大学だったからか、寮には色々な思想信条の方が住んでいた。 
 寮は学生運動の巣窟だったと言う話も耳にしたことがある。初めて寮を訪れた日のあの壁の落書きもそれを物語っていたわけだ。
 私自身は、特に政治的な関心が高かったわけではない。おそらく、当時の高校生はよほど進歩的な方でない限り、学生運動に関わるという経験をすることはなかっただろう。
 したがって、「真っ白」な状態で大学の門をくぐったわけだ。
 そんな、私にとって、政治を語る先輩たちはとても「立派」に見えた。今まで考えたことがないようなことを流暢に捲し立てられると「はああ、へええ、そうなんですかああ」としか言いようがなかったわけである。
 そんな真っ白な私に色々な考えの先輩たちの手が伸びてくる。
 寮の廊下には、ある学生が過激な闘争に巻き込まれ溺死させられたというポスターが貼られていた。写真付きのそれはギョッとするものだった。なんでも、その事件の真相究明の学習会なるものが開催されるらしい。
 二つ隣の部屋に住んでおられた方は、その運動団体に属していたらしく、私を執拗に誘ってきた。
 私は、先輩の誘いなので無碍にすることもできず、曖昧な返事を繰り返していた。流石にちょっと怖かったのである。
 さらに、隣の部屋の方は、当時、移転を抱えていた本大学の問題について真剣に取り組まれておられ、「会」を結成されていた。この方からも「真剣に考えないと政府文部省の言いなりになる大学になってしまうで……」と。私にとっては「はあ?」な話であった。
 しかし、大学の移転イコール寮の新設となるわけで、無関心でもいられないとは思っていた。後に、寮の役員になって大学の担当者と対峙するようになっていく私である。


 

学生セツルメントとの出会い

 話を進めよう。
 とにかく、色々な考えの方が住む寮に私も籍を置くことで、多様な考えに触れることになったことは確かだ。そんな中、ある出会いがあった。

 セツルメントと言う学生サークルである。
 セツルメントと言うのは、「定住・定着」と言う意味があるらしい。セツルメント運動の歴史を語れば長くなるし、私自身もそう詳しいわけではない。期限はイギリスで、社会的に困難な立場にある人々と生活を共にしながら地域の福祉の向上につとめた運動だそうだ。その活動の中で関わる人々相互が成長していくと言うことが単なる貧民救済ではない肝となる部分だそうだ。
 私が、大学時代深く関わっていくことになるのは「学生セツルメント」と言う世界である。
 一緒に住むと言う活動ではなく、地域に出かけて子ども会を組織し、色々な活動を共にする。その中で地域の生活改善に貢献し自分自身も成長していくと言う趣旨だったように記憶している。
 ただ、当時の私は、いや、おそらくこのサークルに入会していた多くの学生たちは、そんな小難しい理屈ではなく、単に子どもたちと触れ合える活動であることに魅力を感じて入会していったのだと思う。
 このサークルには、私の大学だけではなく、近隣の女子短期大学や保育専門学校からの学生も多数入会していた。子どもに関わる仕事を目指す学生にとって就職する前から、生の子どもに触れられるという活動は大きなアドバンテージだったわけだ。
 同じ新入寮の林田君の相部屋の先輩がこのサークルの方であり、入寮当初からよく話をするようになった。すでに、林田君がこのサークルに入会していたこともあり、私もお世話になることにした。縁と言うのはこう言うものだと思う。

 このセツルメントと言うサークルに入ったことが、私の人生の大きな分岐点になった。
 出会ったのは、子どもたちだけではなく、子どもにどう関わっったのかという自分自身であったし、地域に出かけることや、そこに住む人々との交流を通して見えてくる社会の問題であった。

 高校時代までは考えもしなかった「世の中」の矛盾に否応なしに向き合うことになっていった。

                            ストーム 7へ続く


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