4周目:中学1年生で1500mが6分台の野球少年だった僕が野球部に所属しながら、2年間で陸上競技で日本一になり、2年9ヶ月で歴代最速の高校一年生になった物語。
野球部でレギュラーになるための登竜門、ノックに呼ばれるようになった9月、僕は順風満帆な日々を過ごしていた。
毎日、野球の練習着は土だらけ、もちろんグローブ、ソックス、スパイクは汗臭い。走塁練習のスライディング、フリーバッティング、ノック等、目の前の事に打ち込みまくった。全てはレギュラー獲得のために。
そんな中、運命の日がやってきた。
12月に行われる校内のマラソン大会だ。
3Kを走る。
10分30秒だった。
僕は学年で2番になった。1番になれないのは悔しかったが上出来だった。なんせ、1番の子は剣道部でありながら臨時の陸上部に所属している子だ。同学年の所属は彼1人だけだ。そりゃ速いわと。悔しい気持ちもあったが特別な感情は起こらなかった。
そんなある日、野球部の練習で、いつものように学校外周を全力疾走していると、、、
おー、三田、今日練習あるから待ってるぞ〜
そう、あの体育の先生だ。僕は学級委員をしながら、体育の係も兼務しており、以前からその先生とは授業の打ち合わせなど、話す機会が多かったのだ。
マラソン大会の結果から、その先生が僕を臨時の陸上部に迎え入れたいとのことだった。
とんでもない話だ。
僕は野球部のレギュラーになる事で精一杯だ。ましてや、いくら笑顔で誘われようとも、やる気がなければ続かない。そして、厄介なことに、その後、来る日も来る日も外周を走る度にその先生から、誘われるようになった。
勘弁してくれよ、、、
断りにくいけど、断り続けた。。。
ここで臨時の陸上部の活動内容を説明する
・学校には陸上部はないため臨時部活とする
・年中練習する
・各々部活動が終わってから60分程度活動する
・トラックシーズンから駅伝シーズン試合に出る
・ユニフォームは10年以上前の学校の借り物
・陸上スパイクも10年以上前の学校の借り物
こんな感じ。ね?嫌でしょ!?
が、、、ついにその日は来た。
1回遊びで行ってみて、先生の望みは叶えてあげる(上から)。そこで入らないことを伝える。
これが三田の作戦だった。
いつものように、
レギュラー獲得に向け全力で野球部のトレーニングを終えた後、陸上部の練習当日を迎える。
1Kを2本だった。
レペティショントレーニングだった。
いつも練習内容はウォームアップから本練習、クールダウンでだいたい3-4K程。
タイムは3分25秒あたりを2回だった。しかも集団からは遅れた。
むちゃくちゃ辛かった。2度とやりたくなかった。心臓が出そうになった。
よし、もう終わった、これで先生が満足したし、僕の気持ちも伝えよう!断れるかと思うと、少し元気になった。
がしかし、、、
先生が別の生徒に指導してた、、、
怒ってた。それもかなり、、
この先生は以前から怖いことで知られていて、その片鱗が出ていた。片鱗というか、まんま出ていた。
言えない、、、
言いたいけど、、、
言えない、、、
今言ったら僕はどうなるんだ、、、
そんな複雑な気持ちの1500m6分台の野球部員。
そうだ、おれは野球部なんだ。
そもそも、ここにいる事自体おかしい。
あと、陸上のユニフォームって野球に比べて露出多いし、嫌だ。なんだあのユニフォームのパンツは。短過ぎだろ、だいたいインナーがついているのに、10年以上前の借り物で走りたくもない。
走るなら自分のユニフォームだ。靴だって、ボロボロの学校のスパイクだし、、、
結局、言えなかった、、、
そして、ここから先の記憶はない。。。笑
こうして、
2003年1月、1500m6分台の野球少年は、臨時の陸上部に入るのであった。ここから、2年後の2005年1月、都道府県対抗駅伝で2区区間賞をとるなんて、本人は考えてもいなかった。
そして、
野球部員として、最初の過酷な冬がやってくる。
→次回、5周目
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