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本が読めなくなった話
高校生の頃、毎日夜の9時から3時間ほど本を読んでいた。
それなのに、大学に入ってバイトを始めると急に本が読めなくなった。読みたい気持ちはあっても、本に集中できない日々が続いた。慣れない環境に慣れない接客業で、周囲に絶えず気を配ることにも、長時間の仕事にも、心身ともに疲れていた。
そうして1年もすると「心が枯渇している」と感じるようになった。
当時作っていたモヤモヤを吐き出すための「雑念ノート」には、「浴びるほど本を読みたい」という走り書きがある(雑念ノートは今も書いてる)
「お話の本のない子たちは、どうしているんだろう」ナフタリは聞いた。するとレブ・ツェブルンは答えた。「なんとかしているのさ。お話の本は、パンじゃない、なくたって生きていける」
「ぼくだったら、生きていけないけどなあ」ナフタリは言った。
活字を離れていると、自分の思っていることがぴったりした言葉で表現できなくなってしまう。これが私が感じていた「枯渇」の正体だ。思っていることを適切に表現できるだけでも救われることはある。そのためにはインプットが不可欠だ。
まずはいつも必ず1冊は本を持ち歩くようになった。
通学、通勤、待ち時間、ふいに気が向いて立ち寄ったカフェ。
少しでも、少しずつでも再び読むようになった。
ノルマ化しないことが肝要だ。
綺麗な読書ノートを用意してテンションを上げる。
でも書くのは作者とタイトルだけ。
読み切った時だけに書く。
いつからいつまでとか、途中で読むのをやめたとかは記録しない。
これで段々克服していった。
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いかに出版の斜陽が囁かれようとも、本好きがいなくなることはない。本がまったく求められなくなることはあり得ない。そう思うのは楽観しすぎであろうか。
2024.6.24