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まんまと釣りあげられた書き出し

「書き出し」で釣りあげろ(レス・エジャートン著、倉科顕司・佐藤弥生・茂木靖枝訳、フィルムアート社、2021年)の読了記事にて、テクニックの解説には大変納得したけれど紹介されている作例があまり好みではかった書きました。
じゃあどんなのが好きなのか。
ということで今回は私がまんまと釣りあげられた作品の書き出しを紹介していきます。

ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというのは、わたしには敬うべきものに思えるからだ。悲しみ——それを、わたしは身にしみて感じたことがなかった。ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責。感じていたのはそんなものだけ。

フランソワーズ・サガン『悲しみよ こんにちは』河野万里子訳、新潮文庫、平成23年

19歳、デビュー作!?
読んだのは17歳のときだった。敵わねーーーーと心底思った。

教会で電話が鳴ったことにショックを受けたせいでしょうか、私はふとふり返りました。側廊の後ろのほうにピアーズ・ロングリッジの姿が見えます。オルガンの音色との対比で、電話の音はことさらにキンキン急きたてるように響きました。それまで教会で電話が鳴るのを聞いたことがなかったからか、とたんに気が散ってしまい、電話どこにあるのだろうかとか、応える人はいるのだろうかなどと考えていました。

バーバラ・ピム『幸せのグラス』芦津かおり訳、みすず書房、2015年

まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。ブラウンがブルーに仕事を教え、こつを伝授し、ブラウンが年老いたとき、ブルーが後を継いだのだ。物語はそのようにしてはじまる。

ポール・オースター『幽霊たち』柴田元幸訳、新潮文庫、令和元年

それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。僕は危険な生き方をしてみたかった。とことん行けるところまで自分を追いつめていって、行きついた先で何が起きるかみてみたかった。結果的に、僕は破滅の一歩手前まで行った。

ポール・オースター『ムーン・パレス』柴田元幸訳、新潮文庫、平成29年

以上の4つは先が気になるタイプの書き出し。

メドヴェージェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわけです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。

チェーホフ『かもめ』神西清、新潮文庫、平成21年

大切なことは二つだけ。どんな流儀であれ、きれいな女の子相手の恋愛。そしてニューオーリンズの音楽。ほかのものは消えていい。なぜなら醜いから。

ヴィアン『うたかたの日々』野崎歓訳、光文社古典新訳文庫、2011年

『うたかたの日々』のは厳密には一文目ではないけれど。
私は1ページ目にあるこの文にまんまと釣りあげられて、そして読み切りました。

空想の囁きに易々と耳傾け、希望の幻影を熱烈に追わむ輩(ともがら)、青春の望みは年長けて充さむことを期し、今日の不足は明日補われむことを期する輩よ。アビシニアの王子、ラセラスが物語を聞きねかし。

サミュエル・ジョンソン『幸福の探求 アビシニアの王子ラセラスの物語』朱牟田夏雄訳、岩波文庫、2011年

平家物語やホメロスもそうなんですけど、吟遊詩人の語りのような「これからこういう話をしますよ」という導入の語りがすごく好きです。あまりに古風なので現代の創作論では勧められないでしょうけど。



こうして並べてみると、レス・エジャートンの言う「良い書き出し」とは必ずしも一致しない。けれども「これはやめとけ」という書き出しは見事に外していた。創作論に振り回されず、自分の思い入れのある作品に照らして、どんな文章を書きたいかよくよく考える作業が必要とされるのだと思った。
いずれにせよこうした創作論は「知らない」のと「知ってるけど従わない」のでは大きな違いがある。単純に興味深くもあるし、本を読む時に分析する新たな視点が得られるのも楽しい。

2024.6.17



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