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他人の感情を読む力が地区大会レベルだった

ニコニコして、波風立てないが深くかかわらない人間関係を築いてきた。

他人に関心がなかった。関心を持たないようにしてきた。

人は人。自分に害がなければ、楽しければ、それでいい。

そう思っていた。

しかし、多くの人とはそれでもいいけど、身近な人とはそうは行かない。

それが結婚をめぐる親や彼女との喧嘩やすれ違いで自分が痛感したことだった。

コミュニケーションとか、人間関係とか、感情読むとか、そう言った部分で自分はピヨピヨ地区予選レベルの選手。

対照的に彼女は全国大会レベルの選手だった。

彼女が「ご両親は言葉ではああ言っているけど、本音ではこう思っていると思うよ」と言ったことに「いや、そんなはずないよ」と言っていた自分は、後々彼女が正しかったことを親の発言で知った。

自分自身の気持ちに関してさえ、彼女が「時間が経ったらこう考えるようになるよ、だから今こうしておいたほうがいい」と言ったことは、その時自分が納得できなくてもいずれそうなった。

悔しいほどに、人の感情について正解を出し続ける人間が隣にいることで、自分がその問題に関して間違いの回答を出し続けていることをようやく自覚した。

振り返ると、他人の気持ちを読んで行動したり、どう考えているのかなと気を遣ったり、そういったことをしようと意識したことがない。

むしろ、他人のことを考えすぎるのは自分の感情をかき乱すのでよくないと思い、考えない言い訳にしていた。

もちろん、社会的に必要なレベルの気遣いとされるものはしようと思ってきたし、人とめちゃくちゃぶつかることもなく、部活でスポーツもやってきたから、表面上はある程度上手くやっていたと思う。

人の気持ちをあまり考えないから、尖ったこと言ってそれを指摘されたこともあるが、学習して時を重ねるにつれどんどん丸くなった。

が、それは他人を思いやる気持ちから来たものというよりは、自分が変な奴に見えないように、環境に溶け込めるように、「こういう状況の時はこうするほうが得だ」と思える行動を学習して真似していたに過ぎなかった。

人の気持ちを読み、気遣うことは、悩んでもできるようになるものではないので、普段から内省し他人や自分の感情の元を辿ったり、他の人がどう思うかを考えるように意識するところから始めたい。
疲れるかもしれないけど…その疲れは、自分に必要な疲れだろう。


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