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リクルートの代理店の代表だった私が外国人雇用を始めた理由①

2004年にリクルートを退職をして、リクルート専属代理店の株式会社ジェイタウンを設立。それ以来、これまでの求人広告営業の経験を活かして、着実に売上をあげていきました。最盛期には月商で3000万円。その頃には派遣や紹介事業も始めており、年商5億円というのも見えてきた頃でした。
まさに求人広告で業績拡大中だった2015年頃、ある統計をみたことが私の転機になりました。

上記が年齢各歳別人口です。若い人口が急激に減っていくのが、統計を見てもわかります。まだ2015年頃は人手不足は叫ばれていませんでした。不人気職種というのはありましたが、きちんと募集をしていれば、採用ができていた時代です。ただ、今後5年のうちには極端な人手不足が起こるであろうと想定ができます。そうなった時に、日本人だけの採用で成り立っていくのか?そう考えたときに思い浮かんだのが、その頃には少しずつ増えてきていた外国人だったのです。

仕事を探すことが困難な外国人に仕事の斡旋をすることは、将来の労働力人口減少の解決の糸口になるし、外国人が将来、日本で働き続けることのできるきっかけになるはずだと思い、まずは外国人留学生の勤務先の斡旋、派遣事業を始めました。

ところが!?

自分で仕事先を探すのが難しい日本語が流暢ではない留学生(主にベトナム人、ネパール人)なら、アルバイト先を見つけてあげることができれば、感謝して頑張って働いてくれるだろう、というこちらの思惑は外れました。
勤務初日に来ない。
連絡が取れずに退職。
イヤなことがあれば、どれだけ妥協案を提示してもダメ。
必死になって仕事を探してきても、定着しない、ということが続きました。

3年間、転職ができず同じ職場で働き続けるしかない技能実習生の実直というイメージがあったのは事実です。ただ、留学生は自由であるために、我慢をする、ということがありませんでした。そこで、私はキチンとその子たちをフォローできるベトナム人を正社員として雇用し、その子たちの意見を聞き入れながら、定着化に向けた活動を始めていきました。
すると、その子たちもその子たちなりの言い分と境遇があり、それをうまく
汲み取ってあげることが大事であることが少しずつわかってきました。

ベトナムのハノイへも行きました。町は雑然としていましたが、まるで日本のバブル時代を思い浮かべてしまうような活気にあふれていました。技能実習生を入国前に研修をする送り出し機関へも訪問しましたが、多くの若者が希望に満ちており、私がこれからの人生をかけていくのは、やはり外国から日本にやってくる若者の手助けをすることだと胸に決めました。

ただ、不協和音は内から起こってきました。当社は求人広告の売上収入が圧倒的に高く、それが会社の基盤となっています。そこで、あまりお金にもならない外国人雇用に代表が力を入れていることが、スタッフからの不満として聞こえるようになってきました。
「社長は本業を疎かにしていないか?」
「そもそも私たちは外国人について知らないし、興味もない」
これまで同じ売上目標を目指してきたチームが、次第にバラバラになり、統一感がなくなっていきました。

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