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他者を否定しないために:『明日、私は誰かの彼女』を通じて考えること

最近寒さが一段と強くなり、身体が冷えてきたように感じる。体の芯から温まりたく、難波にある「太平湯」に行ってきた。難波(厳密には大国町)の立地で郊外のスーパー銭湯並みに広く岩盤浴付きで1600円とコスパもいい。
かなりリラックスできたので大阪のお風呂については別でレビューしようと思う。太平湯の休憩コーナーでとある漫画を手に取って読んでみたらこれまた名作に出合いかなり引き込まれた。

「明日、私は誰かの彼女」

今更?と思われるかもしれないが、レビューと個人的に考えたことをアウトプットさせてほしい。
ちなみに、時間の制限もあり5巻くらいまでしか読むことができず、途中まで読んだ感想としてご覧いただきたい。(今にでも満喫に行って続きを読みたい!笑)

ストーリー要約

主人公・雪はレンタル彼女として働く女子大生。幼少期に親から虐待を受けた過去を持ち、美しい顔立ちをしているが、化粧を落とすと火傷の痕があり、その内面に深い苦悩を抱えながら生活している。
そんな中、客として出逢った壮太。彼は純粋であるがゆえに不器用で、真っ直ぐな愛情を向ける。その愛情に心を動かされる雪だが、最終的には現実を見据え、自ら関係を断ち切るという悲しい決断を下す。
以降、雪の友人や職場、大学の仲間など全員がどこかで繋がっている設定で、それぞれに過去や苦しみとともに生きている。
誰しもが持つ心の闇、世の中の需要と供給、自分の欲求や目的を満たすための線引きがコントロールできなくなるなど、現代社会がなんでも手に入りやすい状況を背景にした深い作品だった。

この作品を読んで感じたことは、コンプレックスや妬み、プライドが登場人物の会話の中でリアルに描かれている点である。それぞれのキャラクターが表裏の顔に葛藤しながらも、幸せを求めているものの、思うようにいかない人生に読者の心が揺れ動かされる構成となっている。

会話の一つひとつが非常にリアルであり、自分もかつて似たようなことを彼女や友人とやり取りした記憶が蘇ってきた。

理解しがたいものを否定しがちになる点

この作品を読んで改めて感じたことは、自分が理解しがたいものを否定しがちになる傾向がある、ということである。

壮太は一般的な家庭で育ち、大学進学の費用も家族が負担し、不自由のない生活を送ってきた。それに対し、雪は親からの愛情を受けることなく育ち、奨学金を借りながら、レンタル彼女として生計を立てている。作中で壮太が発した「親を蔑ろにするなんて許せない!」という言葉は一理あるが、雪のような家庭環境で育った人の存在に気づけておらず、非常に偏った発言であった。

読者としては客観的に状況を見ることができるため、俯瞰して考えられる。しかし、現実社会においても、このように偏った見方で発言してしまうことは往々にしてあると感じた。

「物事を多角的に見るべきだ」という意見はもっともであるが、それだけではあまりにも抽象的であり、気づきを得たに留まりがちである。

問題は、自分のいる世界だけですべてを理解していると思い込むことである。その結果、相手の気持ちを無視した言動によって心を傷つけてしまうことがある、という点にある。

悪意がなかったとしても、他者への配慮が欠けてしまうことがあるのではないだろうか。人にはそれぞれ育ってきた背景があり、それに基づく生き方や考え方がある。それを理解したうえでの言動を心がけるべきだ。特に仕事を進める際には、社内外の関係者への十分な配慮が求められる。この点に注意を払って生活していきたい。

最後にパスカルの言葉を引用して締める。

「人間は常に、自分に理解できない事柄を否定したがるものである。」

さて、漫喫に行って一気読みしよう。

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