蒼き森の青き鬼(囀る鳥は羽ばたかない二次創作⑭)
(其の壱) 「湖」
そのコテージは人里離れた森の中
債務者の所有物だった
借金のカタにウチの事務所で引き取り、
名義の書き換えを終えたばかり
中の様子を伺いに矢代さんと
何度か足を運ぶうちに
二人共、
ここがすっかり気に入ってしまった
「矢代さん、少し歩きませんか?」
周りは深い森
少し歩くと湖があり
野鳥の囀りを聞きに、
夕暮れ時、二人小路を行く
湖は深く碧く
夕風が水面を波立たせ
木々がザワザワと葉裏を見せ
揺れはじめる
隣にいるはずの貴方は
薄い霧に囲まれ
蒼い森の中へ取り込まれそうで
つい、手を伸ばし
腕を掴む
「…どこへも行かねえよ」
呆れたように俺を見て
目許を笑わせる
此処へ来ると
落ち着く反面
理由(わけ)の分からぬ不安に駆られる
「腹減ったな」
「夜、何食う?」
貴方の言葉にほっとする
生身の貴方であると
安心したくて
無言で抱きしめる
「どうした…?」
掠れた声
柔らかな息と共に耳に触れる
「寒くなりましたね」
「部屋へ戻りましょう」
ゆっくりと身体を離し
貴方の冷えた手を引き、歩き出す
コテージの入口に点けてきた灯りが
湖を挟み小路から望める
まるく光る灯りが
暗い森の中に温かい
昼間とはまるで違う景色
二人眺めながら歩いていく
「子供じゃねえんだから…」
振り向くと
繋がれた手を眺めながら
貴方が笑っている
_________________
(其の弐)「蒸発」
真夜中の寝室
暗闇の中
何の鳥なのか
野鳥の声が森の中に響く
それが癖になっているのか
目が覚めると俺は貴方を探す
貴方の傍で眠るのに慣れたのは
つい最近だ
4年半前、置いていかれたトラウマか
再会後、
幾度も貴方の部屋に通いながらも
泊まらずに帰っていた故か
貴方の傍では眠れなかった
これまでは
一緒に眠る幸せなど無かった二人
共に暮らし始め
同じ部屋で休む様になっても
俺だけは眠れず、
寝不足の日々が続いた
「…眠れねぇのか」
貴方は
数日後にはそれに気が付き
俺の頭を自分の胸に抱き寄せ
背中に腕を回し
子供を寝かせつける様に
優しく叩いた
甘い匂い
細身の
引き締まったしなやかな身体
白く滑らかな肌が
俺を優しく包み込む
もう俺のものだ
貴方は何処へも行かない
ずっと一緒だ
心の中で
呪文の様に繰り返し
眠りにつく日々
もう貴方のいない日常は
考えられないと思う
俺の為に用意された
キングサイズのベッド
周りを贅沢に余らせ
真ん中に二人
寄り添い眠る
今、横にいる貴方は
前髪を垂らし眠っている
その姿は
出会ってから4年半も経つのに
時が止まったかのように
若く美しいままだ
夜明け迄にはまだ間がある
僅かに開いたカーテンからは
西に傾いた十六夜の月光が
柔らかく細い帯をなしている
貴方を起こさぬ様に
腕を解き
ベッドから下りる
何故か喉が渇く
水を飲みに台所へ向かい
冷蔵庫を開ける
「百目鬼…」
俺を呼ぶ声がした
急いで寝室へ戻りベッドを覗く
先程と同じ体勢のまま、
貴方が眠っている
__気の所為(せい)だったか…
ほっとため息を吐き
また台所へ向かう
水を飲み終わり
寝室へ戻ると
…貴方がいない!!
血の気が引いてゆく
自分の中にある
言葉にならない不安が的中したかの様に
やはりそうだったか…との
悔しい思いが込み上げる
急ぎ
部屋の中を見回す
カーテンを開け、窓をみる
全て鍵が掛かっている
寝室のドアはひとつきり
台所からは目の前に見えていた
ここからは誰も出ていない
ベッドの下
クローゼットの中を見る
いない
部屋を出てコテージ中を探す
洗面所、トイレ、風呂場、リビングダイニング、客間、地下室(ワインセラー)、屋根裏部屋、廊下、玄関迄、隈無く探す
無駄だと思うが
懐中電灯を持ち出し
表へ出て
家の周りも調べる
車庫には車が有る
車中には誰もいない
念の為
トランクも開けてみる
いない
表通りまでの道を進む
緩い下り坂
ひと目で誰も歩いて無いことが分かる
貴方の名を呼ぶ
俺の声が響くだけだ
表通りまで出て
引き返し
今度は湖への小道を進む
靴も衣服も携帯も、
そのままに
コテージに有るのだ
上半身裸で、かつ
裸足で出掛けたとは思えない
カサカサとせわしなく枯葉を踏み
湿った土に足跡を残す
懐中電灯で照らされる
小道に残る足跡は
昨夕
二人で歩いた時のものだ
湖を早足で一周する
周りを注意深く探しながら
だが
貴方は見つからない
冷たい汗が背中を伝う
あの短時間で、一体何処へ消えたのか
足音も物音も無く
忽然と…消える様に
俺に黙って何処かへ行く、とは思えない
昔の貴方ならいざ知らず
今は
俺の気持ちを充分に知っている
黙って俺を置いて行く筈が無い
「…どこへも行かねぇよ」
昨夕の、貴方の言葉が耳に蘇る
________________
(其の参) 「不安」
早朝6時
七原さんへ電話をする
矢代さんとけんかをしました
もし、自宅か事務所に戻って来られたなら電話を頂けませんか?
_と嘘を話す
これはあくまで念の為だ
もし自宅へ帰っていた時の為
行方不明になっていると言えば
七原さんは大騒ぎで駆けつけて来るだろう
それは容易に想像出来る
だがそれはまだ避けたい
万が一、何か理由が有り
帰っているのであれば
必ず事務所へも顔を出す
およそ矢代さんの日常には
仕事以外、何の用事も趣味も無い
毎日
カジノ(職場の事務所)とマンションを
往復するだけだ
しかし
帰ったとは考えられない
俺に黙って真夜中のコテージを抜け出し
自宅や職場へ帰る
どれ程の理由でそうするのか
上半身裸で
靴も履かず
財布も携帯も持たずに
どうやって帰れるのか
車もそのまま車庫に有るのだ
最寄りの駅やバス停迄も
ここから歩けば
2時間近くはかかる
自宅マンションに居ればいい
本当に
そうならいいと思う
俺とけんかをして
怒って自宅へ帰ったと
それなら
どれ程いいか
そんな単純な事ではないと思う
他に考えられるのは
何者かに拉致されたことだが
僅か数十秒の間に
音も立てず
大の男を連れ去る事など可能だろうか
もしそうなら
プロの仕業だろう
人攫いのプロ
そうであれば
間もなくこちらに
コンタクトを取って来るはず
今日中にでも
しかし
この訳の分からぬ不安
人ではなく
何か
物の怪、魔物の類いが絡む様な
不穏な空気
他人(ひと)が聞けば
何を馬鹿な!と笑うだろう
実際
此処の森とコテージへ赴き
強く心惹かれる反面
何かしら付いてまわる不安に気が付き
拭おうとしても
実体のないそれは
説明がつかず
ただ、
心の片隅に追いやるだけだった
それがどれ程危険なことであったのか
一番大切な人を
見失ってしまった
考えろ!!
この不安の正体が
一体何処からやって来るのか…
_________________
(其の肆) 「汚ねぇ神様」
水の音がしている
雫の滴る音
此処は何処だ
身体が痛い
ゴツゴツした岩の上
俺は百目鬼と眠っていた
あのコテージのベッドで
此処は黴臭い
湿気
澱んだ空気
誰だ
誰か側にいる
アイツの匂いじゃない
古びた臭い
薄く目を開ける
白っぽい着物
薄汚れている
ボサボサの
灰色の長い髪を肩まで垂らし
岩を背に座っている
目を瞑り
伸ばした足の上に右手を置き
じっとしている
左手には鉄の輪
それに鎖が続いている
その先を追うと…
俺の右手に繋がっている?
俺の右手にも鉄の輪
何だコレ__
右手を持ち上げると
ジャラっと音がする
重い
その音に気が付いたのか
ボサボサ髪の男が片目を開ける
「起きたのか」
「……」
「おまえはここからは出られないぞ」
「しばらくじっとしていろ」
「……」
「何だよ、口がきけないのか」
「…此処は何処なんだ」
「アイツは何処にいる?」
「アイツ…?」
「あぁ、あれか、一緒にいた大男」
「アイツはそのままだ、置いてきた」
『置いてきた…』
アイツの目
百目鬼の
驚いた様な、悲しい目が浮かぶ
「何で、俺だけ…」
連れて来たんだ…という言葉を飲み込んだ
コイツは生きてる人間じゃない
その上
日本人でもない
着物を着て日本語で話してはいるが
外国語訛り
顔色が悪く薄汚れているが、
不自然に白い肌
グレーの目
高い鼻
明らかに外国人だ
身体も俺よりでかい
立てば
2m超えるんじゃないか…
それより何より
コイツの身体は所々透けている
右腕や肩、胸の辺りまで
透けて後ろの岩壁が見えている
幽霊なのか?
その割には
現実的にしっかり見えている
黴臭い臭いもする
「アンタ、何者なの?」
「…ふふっ」
「何に見える?」
「うーん…おばけ?」
「無礼な奴だな!」
「こう見えて私は神様なんだぞ」
「ちゃんと祀られている」
「…神様?」
「汚ねぇ神様だな…」
「おまえ、口の利き方を知らんな」
呆れた様にそう言って
自分を見直し、
「そうだな…あまり綺麗とは言えんな…」
と呟いた
_________________
(其の伍)「御札」
寝室のベッドを見つめる
ベッド脇にある
小さな机の前の椅子に座り
昨夜の様子を思い返してみる
あの時、水を飲みに
台所まで行き
寝室へ戻る迄の時間は1分程度
寝室へのドアはひとつきり
窓には鍵がかかったままだ
ベッドや寝室
仕掛けや隠し扉等ないか
散々調べたが、それらしき跡は無い
寝室の調度品は備え付けの物が多く
新調した物はベッドだけ
棚や小机は壁に作り付けられている
何かないか
何か、手掛かりになるもの
部屋の中を隅々まで見渡してみる
「……!」
右側の壁
ベッドの足元側
アンティークのテーブルスタンド
その後ろの壁に何か張り付いている
古びた和紙
御札の様だ
朱色の模様で縁取られ
墨で手書きの文字
破れかけ、薄れて所々読めない
「此の札を身の代…とし、災いを…け給ふ」
災い…
「青…大明神」
この札にある縁取り模様
雫の様な、目の様な模様
何処かで見かけたことが…
この壁の向かい側
ベッドの頭側の壁、その裏側は玄関だ
その下駄箱の上に
硝子製の様な雫の形の置物が有った
急いで寝室を出て
玄関へ向かう
有った!
以前から有る物は
ほとんど捨ててしまったが
この置物は何故か此処へ
そのままに置いてあった
掌に収まるそれを注意深く調べると
底に小さな文字が彫られている
青
鬼
神
社
あの御札にも
青…大明神とあった
青鬼大明神
K県○○市
検索してみる
ここから約800m程離れた湖の上
近い
写真が載ってある
小さな神社というか、祠
地図に拠(よ)ると
細い階段が
湖の小道から上に伸びている
俺はそのまま玄関を飛び出した
___________________
(其の陸)「目的」
「…何、あんた何で俺を此処に連れてきたんだ?」
「何か用があるんだろう?」
「………」
「俺が何かすれば、あんたの役に立てるのか?」
「……」
「……っ」
「何だよ、聞こえねぇよ」
ドンドンドン
何かを叩く音がする
「…ほら、来たぞ…!」
「案外早く気が付いたな」
そう言うと男は立ち上がり
そのまま歩いて進もうとする
「おいおい、鎖!」
「俺に繋げてるって忘れてんじゃねぇよ」
急いで立ち上がり
男の後を追う
木の格子の先に
外の様子が見えている
正面には
石で作られた歪(いびつ)な階段が下り
その手前、
古びた紅白の紐に錆びた鈴
その下に、賽銭箱
左手に古い小屋が有り
その裏手から
百目鬼が現れた
焦っている表情
額に汗が滲んでいる
何か手掛かりを掴み
此処まで辿り着いたのだろう
小屋の様子を必死に伺っている
そうだ
俺達のいる此方の祠(らしい)には
人は隠れきれないと考えるだろう
百目鬼の大きさを見て
今、自分の身体の大きさを予測すれば
この祠の大きさも自ずと分かるものだ
俺は今、小さい
せいぜい20cm位か
百目鬼がとてつもなく巨大に見える
「…まるで巨人と小人だな」
祠の格子からお前を見つめ呟いた
「矢代さん!」
「矢代さん!いませんか?」
小屋の表戸を叩き
お前が叫ぶ
左手には何か青く丸い物を持っている
「…アレは何だ」
俺の目線の先を見て
自称神様という男が返事をする
「…ん?…あれか、あれは青水晶
お前達のいた家の、玄関にあっただろう」
「昔はその小屋で、御札や守袋、あの置物の根付を無人で売っていたのだ」
「夕方になれば守り人がやって来て、賽銭と売上を回収していく」
「また、朝になれば、新しい御札、守袋、根付を用意し祠や小屋、その周りの掃除もして行く」
「だがもう、その守り人も、とうに居らぬがな…」
「守り人…」
「そうだ、元々あの家にいた男はこの神社の守り人の子孫、つまり俺の子孫なのだ」
「あいつ、借金を踏み倒した奴、
だからあの家を貰ったんだ…
あいつなら行方不明だぞ」
「知っている…」
「祐一郎なら此処だ」
下を指差す
「ここ?」
「そうだ、この湖の底だ」
「……!」
「自殺…だが、まだ大丈夫、
死んではいない」
「どういう事だ?」
「俺にもまだ力がある」
「俺の子孫は俺が守る」
「あいつは湖の底、半玉(はんぎょく)の中で眠っている」
「だがあと2日で玉は消える、俺の力もそこまでだ」
「子孫が消えれば俺も消える」
「悪いが一緒にいるお前も消えるのだ…」
「……」
「あの男、
お前…あそこの大男に、祐一郎の家族を探す様に言ってくれないか」
「俺は子孫を絶やす訳にはいかん」
「祐一郎は約束したのだ…30年前に」
「だから祐一郎の子供を探し出してくれ」
「お前ならば出来るだろう」
「あの大男に命令すれば…」
自称神様は、俺から小屋の前にいる百目鬼へ目線を移し、そう言った
__そうか…コイツはそれが目的だったのか
「矢代さん…!」
お前は
ドンドンと小屋の戸を叩く
その拳に額を押し付け目を閉じる
俺を呼ぶ声が次第に小さくなっていく
「百目鬼!」
俺は大声で呼び掛ける
お前は、はっと顔を上げ
キョロキョロと見回す
「矢代さん!」
「何処にいるんですかっ!」
俺は
腹に力を込め大声で叫ぶ
「百目鬼!此処だ!」
「祠の中を見ろ!」
お前は
祠を見つけ駆け寄ってくる
顔を近付け
中を覗く
中は暗い
俺は
祠の格子に手を掛け、小さな左手を伸ばす
百目鬼の鼻先に指先が触れた
「!!」
「……矢代さん?!」
「そうだ!俺だ」
_________________
(其の柒)「探索」
「青木 祐一郎」
借金のカタに、このコテージと
二つのマンションの権利書を置いて
雲隠れした男
青木の住んでいた方のマンションが
思いの外、高い値で売れそうで
矢代さんは
このコテージと、
もうひとつのマンションは
オマケに貰った様なものだ
と話していた
知り合いの保証人となり
多額の借金が出来た青木は
銀行で融資を受けられず
矢代さんの事務所へ泣きついてきた
元々カジノの客であった青木は
矢代さんが
貸金業もしている事を知っていた
手っ取り早く金を得るために
ウチを選んだのだろう
青木の持参した権利書のひとつは
東京の一等地だった
何故銀行はこれを見逃したのか
謎だった
権利書を預かり
契約書を書かせ
言い値の小切手を渡すと
青木はそのまま姿を消した
俺が調べると
青木はウチからの借金で
(小切手の現金化を待ったのか)
三日後には保証人の返済を終えていた
青木の住んでいた方のマンションは
うちの事務所に名義を書き換え
リフォーム予定だが、
既に高値で予約済である
青木の家族は
本人を含め三人
妻と娘だけだ
親兄弟も無い
夜逃げのようにマンションを出てから
妻子は行方不明だ
青木とも行動を別にしている
妻の実家も既に無く
こちらも親兄弟は無い
プツリと糸が切れた
貴方から
「手掛かりの糸が切れたなら
子供の学校の方から攻めてみろ」
と言われていた
「娘は私立の有名中学だったろ」
「カジノの客の中に一人、その学校の事務長がいる」
「転校先を聞いてみろよ、
教えたら借金もチャラにしてやるって言え」
「それでダメなら、俺が知ってる秘密を学校中にバラすって言ってみな」
いたずらっぽい表情で貴方はそう言うと
「お前、早く済ませて迎えに来いよ」
「岩の上ばっかいたら尻が痛てーよ」
と笑った
_________________
(其の捌)「娘」
娘の転校先が分かった
K県○○市立○○北中学校
このコテージから直線で2kmも無いが
道を行くと5.5kmと離れている
自宅は学校の近く
古く小さな一軒家
妻の方は近所のスーパーで働いている
指定された日まではあと1日
明日になれば
「青木 祐一郎」を包む半玉(はんぎょく)とやらは消え、青木はそのまま湖に沈む
どうやって
その娘をあの神社まで連れて行くか
正直に話しても
到底信じては貰えまい
勝手に連れ去れば
母親は死ぬ程心配するだろう
それは避けたい
一番いいのは
二人にある程度の事情を話し、
二人とも此処へ来てもらうことだ
だが果たして
俺のような容貌の男の
(夢物語の様な) 話を聞いた上に
信じてついて来てくれるだろうか
悩んでいる暇は無い
あと1日
あと1日で青木は死に
神社の神様は消え
あろう事か
矢代さんも一緒に消えるというのだ
矢代さんは
それを俺には告げなかった
しかし
あの神と云う男
あの男は直接俺の頭の中に話し掛け
そう告げた
「祐一郎が死ねば
俺と矢代は一緒に消える」と…
俺に青木の子供を
確実に連れて来させる為か
(脅しなのか)
それとも
本当に青木の死後
あの神様と共に矢代さんが消えてしまうのか
実際コテージから矢代さんを連れ去り
小人の様に姿を変え
人質としている
この不思議な力は侮れないのだ
せめて俺を人質に…出来ぬものか
矢代さんの方が頭も切れ
解決の手腕も有るのだ
それに
もしも間に合わぬ時は
俺が消えれば済むだけのこと
意を決し
妻の働くスーパーへと立ち寄る
必ず拒絶されると覚悟を決め
果たして
予想通り、妻は激しい拒絶を見せた
客の一人だと思い、話しをしたら
夫を追い詰めた借金取りだという
激昂し、泣き叫ぶ
妥当な反応だろう
「出ていって下さい」
耳を押さえ
何も聞きたくないと涙を流している
騒ぎを聞きつけ
同僚の女達が慌てて駆け寄ってくる
仕方無く、俺は店を飛び出した
午後3時
娘の下校時刻だ
直接娘に会い、説得するしか無い
しかし
下手をすれば未成年者略取の疑いを掛けられ
通報される
慎重にしなければ
中学校から程近い
青木親子の借家近くに
車を停め、娘の帰りを待つ
まだクラブ活動をしていないことも
調査済だ
ショートカットの
紺色の制服を来た女の子が
学生鞄を背負い
俯き、歩いてくる
俺を見ると
目を見張り、駆け寄ってくる
「迎えに来たのね!」
「お父さんの所へ行くの?」
と叫んだ
「?!」
「夢を見たのよ!」
俺の両腕を掴み、期待を込めた目で見上げてくる
「イヤ!!瑠璃ちゃん!」
「ダメよ!離れて!」
突然悲鳴の様な声がした
「その人はヤクザなのよ!」
母親が叫びながら道の反対側から駆け寄って来る
「お母さん、知ってるわ!
でもこの人はいい人なのよ!
お父さんを助けてくれるの!
オジサンの神様がそう言ったのよ!」
「オジサンの神様…」
「そう、お父さんのご先祖様なんだって
全身黒着(くろず)くめの男を寄越すから
一緒に来いって」
「瑠璃ちゃん…」
母娘はひとしきり言い合いとなったが
母親はとうとう折れて
娘を伴い青鬼神社へ向かってくれるという
青木は
ウチから借りた金が
三つの権利書では賄えぬと考えたらしい
厳しい取立てが始まると思い
保険金を得る為に自殺すると告げ
姿を消したそうだ
だが何処からも連絡は無く、
親子は
死ぬほど心配していたという
青木の妻は夫の無事を知り
泣いていた
ウチからの借金も
手放したマンションで賄えたことを知り、
ほっとしている
家族から距離を置いたのは
借金の取り立てから
二人を守る為だったのか
青木は良い夫、父であったらしい
__________________
(其の玖)「浮上」
湖の小道を進み
俺と青木の妻と娘が
神社への階段を上り始めた時だった
背後の湖から
ザバッと激しい水音がし
何かが勢いよく浮かび上がった
「……!!」
人だ
まだ日暮れには間があったが
既に日は西に傾き
山陰に隠れ始めている
碧い湖に水飛沫が立ち
人の足が勢いよく
水面から飛び出した
硬直した両足先が
半円を描き水面に落ちると
その体はぷかぷかと浮いている
俺は上着と靴を脱ぎ捨てると
湖に飛び込んだ
浮いている男は青木だ
湖の底の
半玉(はんぎょく)とやらが消えたのだろう
あの神様の話が本当ならば
こいつはまだ生きている
今まで、生きたまま
半玉(はんぎょく)の中に守られていたのだ
水が冷たい
もう泳ぐには遅すぎる
晩秋の、日暮れ近い
それも山の中なのだ
浮いている青木の足を引き寄せ
首に腕を掛け
顔に水がかからぬ様に気を付けながら
岸へ寄せる
浮いている男が青木だと知った二人は
泣きながら水の中へ入ろうとするが
そのまま待てと声を掛け
漸く足の立つ所まで来ると
青木を抱え上げ、岸に上がった
思った通り
青木にはまだ息がある
泣きながら青木に呼び掛ける二人に
コテージの鍵を
俺の上着のポケットから取り出し、
風呂に湯を張ってコテージで待つように告げると
二人は泣きながら頷き
駆け出した
靴を履き、息を整え
青木を背負い直し
急ぎ小道を引き返す
意識無く、身体も硬直しているせいか
青木は氷の様に冷たく重い
俺は
必死でコテージまで辿り着いた
玄関のドアは開け放してあり
水の音がしている
親子がバタバタと
青木を迎える準備をしていた
そのまま風呂場へ直行し
湯舟の中へ
青木を抱えたまま入る
窮屈だが仕方ない
まだ30センチにも満たない湯の中に
青木を浸す
身体が冷え切っている
「お父さん!」
「あなた!」
二人が身体を擦(さす)りながら呼び掛ける
温かい湯が
湯舟に少しずつ満たされていく
青木の顔色が
次第に戻ってきた
__________________
(其の拾) 「褒美」
「…ケツが痛てぇ」
久しぶりに湯を使った貴方は
何も纏(まと)わず裸のままで
行儀悪く
椅子の背を前に
跨いで座っている
頭にはタオル
濡れた髪を拭きながら
悪態をついている
「だいたい俺のガウンじゃ無くてもよくねー?」
青木の濡れた服を剥いだ後
矢代さんのガウンを着せて
漸く到着した救急車に担ぎ込むと
慌ただしく妻子二人
(救急隊員に泣きついて)
乗り込んで行った
「すみません、俺のだと大き過ぎたので…」
矢代さんに向かって
そう答えると
「さみーわ」
小さく呟いた
貴方の傍へいき
両脇に手を入れ
抱え上げると
貴方は両手を伸ばし
俺の頬に顔を寄せ
子供の様に両足を開いて
しがみついた
そのままベッドへ連れていき
二人横になる
「…貴方を、また失うかと思いました」
抱き合ったままそう言うと
「バカ…」
「何処へも行かねぇよ」
語尾が聞こえない程に
小さく甘く呟くと
貴方は
自分から俺に口づけた
貴方は
俺のガウンを開き
すっかり冷えた身体を
俺の身体に重ね
擦り寄せる
俺は
貴方の細く白い腰を抱き寄せた
「お前、今日誕生日だろ?
助けて貰ったご褒美もあげないとな」
貴方は笑いを含みそう言うと
俺の胸に舌を這わせ
下半身に手を伸ばした
「矢代さっ」
「じっとしてろ…」
湿った貴方の髪が
俺の腹を這って下半身へと下りてゆく
貴方の舌で
翻弄される様に責められ
幾度も達する俺を
貴方は満足気に眺めている
漸く
俺のものが
貴方の身体に取り込まれる
「…気持ちいいか?」
俺の付け根まで身体を沈め
跨いだまま
貴方が小さく尋ねる
最近の俺は
貴方の身体を慮り
身体を重ねる回数を減らしている
それに気が付いているのか
本当に今回のご褒美なのか
今は心ゆくまで
互いの身体を求めていく
_________________
(最終話)「命の鎖」
「神様は笑いながら俺の前から消えたんだ」
救急車を見送り
部屋に戻った俺の前に
突然現れた貴方は
そう呟いた
絶句して
貴方を抱きしめる俺に
「風呂入りてぇ」
と笑った
貴方の無事な姿にほっとして
涙を流す俺の背を擦りながら
「一緒に入るか?」
と俺の手を引いた
11月近い山の湖へ
青木を助ける為とはいえ入り
ずぶ濡れとなった俺は
青木を湯舟につけ身体を温めはしたものの
自身は温(ぬく)もれず
着替えも出来ぬままだった
湯の中で貴方から
これまでの経緯を聞いた
青鬼大明神の由来は
江戸時代に遡る
続く大雨でここの湖が氾濫し
下の村が水没の危機にあった時
湖の氾濫をおさめる為に
人柱となった男
それが以前
この近くの海で遭難し
たった一人助けられた英国人
スティーブ ウッズ
助けられた際
冬の海で冷えた男の肌は青く
身体は大きく
まるで伝説の鬼の様だと言われ
元気になってもスティーブではなく
「青鬼さん」と呼ばれ、異国の青年は
そのままひっそりと村に暮らした
若く気のいいスティーブは
村に溶け込み
村の娘と結婚し
子も成した
だが
どうしても異国人
鎖国の時代
見つかれば本人も村の民も重罪となる
湖の氾濫に
村の者を人柱とするのを躊躇った村長は
スティーブに白羽の矢を立てた
助けて貰った恩を思い
承諾した心優しいスティーブ
そして
人柱となった
遺された妻子を憐れに思った村人達は
スティーブを青鬼大明神と祀り
妻子をその守り人とし
生計に困らぬ様に取り計らった
近隣からも
霊験あらたかな神社として栄えたが
長い年月の末
今は殆ど知る人もない神社となった
30年前
まだ子供であった青木祐一郎は
親に連れられ
この神社へやって来た
スティーブの遠い子孫として
信仰する人の無い神社は
忘れられ、廃れていく
祀られた神も消えていく
祠の前に跪(ひざまず)き
「僕が護るよ」と呟いた
幼き日の祐一郎
その日から
ずっとまた会う日を待っていた
スティーブ
それなのに
現れた祐一郎は
自分が沈んだ湖に
入水したのだ
神社を護り
信仰する
祐一郎とその子供
スティーブの命の鎖は繋がった__
暖かいベッドの上
今は百目鬼と二人きり愛し合う
だが、どうしても
今回の出来事が頭から離れない
『此処(コテージ)は青木に返してしまおう』
『もうあの神様と関わるのはゴメンだ』
『それに、俺はコイツ(百目鬼)から離れる訳にはいかねーし』
「…何を考えているんです」
お前から耳元で囁かれ
息が止まるほど
抱きすくめられ
熱いキスを受ける
『もうひとつのマンションを売ったら
あいつらの
起業資金と娘の学費に当てられるか…』
百目鬼に
存分に抱かれながら
俺は
頭の隅でそう考えていた