<連載小説> 沈み橋、流れ橋
―明治・大正・昭和 一族三代のものがたり―
第1章(22)
「お前は阿呆か」
と呟いて、誠治郎は謙三に愛想が尽きたと言わんばかりに、いったん湯の中に頭まで潜ってから、しばらく経って少し離れたところから頭を出した。そのまま立ち上がって、声を荒げた。
「お前、そんなこと思とったんか。そんな暇あったらもっと暴れてやったらええねん。ああ、俺はこんなちっさい男のおるような、こんなちっさい日本をはよ出たいわー」
二人の他に誰も入っていない湯船に大きな波が起こって、外から射し込む光が、激しく揺らめいていた。その光の下にいる誠治郎が謙三には眩しかった。その逞しい上半身が羨ましかった。小さい男と言われて返す言葉もないし、自分には暴れる勇気などない。こいつは外国へでも行くつもりなんやろかと勘ぐっていると、誠治郎はふいに思い出したように言った。
「あ、そやそや、言うの忘れとった。中学卒業したら、信太郎、東京高商いくねんで」
それを聞いた瞬間に謙三の頭をよぎった言葉は、「その手があったんか」だった。信太郎が高等商業に進むことは聞いていたが、まさか東京、とは思いもよらなかったのだ。
「え、東京?」
「そや。あいつがおらんよなったら、お前もせいせいするやろ」
後で思い返せば、お前もしっかりせえよという誠治郎流の発破のかけ方だったのかもしれない。しかし謙三にとって彼とのやり取りは「この家を出る」という選択肢を頭の隅に植え付けさせることになった。
子供たちが、毎日どこで食事を済ますのかは、日によって違う。老松町の家で美津の用意した夕飯を大勢で食べる時もあれば、「京縫」で、出たり入ったりする仲居たちに混じって、賄いをちゃっちゃっと掻き込むこともあった。小さい子たちの面倒は子守りに雇った婆やが見た。夕飯時にいることがほぼ皆無の駒蔵としては「子どもはどっち(の家)ででも大きいなったらええ」のであって、自らが家長然として、家族全員を年の順に座らせて厳粛に食事をとるというような堅苦しさは好まなかった。それをやるのは正月か法事くらいなもので、一年のうち数えるほどもない。
その数少ない機会が、明治四十二(1909)年、三月のある麗らかな日に訪れた。北野中学を卒業した信太郎が四月から上京するので、京縫で「出立式」が催され、子供たち全員に、美津と千鶴、世話係の女中や婆やにも膳が据えられた。信太郎は嫌だったが、駒蔵はこんなときには家長たる権威を存分に発揮する。
十九歳になったばかりの信太郎はれっきとした大人、駒蔵としては息子としばしの別れの盃を交わし、未知の世界に送り出す儀式を形だけでも整えてやろうとしたのだ。長男との献杯の後、駒蔵はお前らも飲め、と誠治郎、謙三にも盃を差し出す。それより下の子らには甘酒が配られた。信太郎はすでに中学の悪友と酒は経験済みであったが、父親からどんどん行けと勧められて盃を重ね、結構いける口であることを両親の前で証明した。同時に、誠治郎が全くの下戸であることも明らかになった。
「お前、飲めそうや思たのになあ」
と、残念がる駒蔵の更なる驚きは、謙三が注がれる酒を次々と飲み干し、短い間にすっかり出来上がってしまったことだった。母親の千鶴にも思いもかけぬことで、これはあかん、目が座っとる、と気づいた時にはすでに遅かった。
「なあ、お母ちゃん。ちょっと聞きいな」
目の合った母親に対して、謙三はまるで仲居を呼び止めるかのようにぞんざいな大声をかけていた。その一声で、出立式の行われている広間は、七歳と六歳の異母兄弟である七郎と勇が走り回る以外は、静かになった。注目を一身に集めた謙三はさらに怒鳴った。
「俺も中学出たら、東京行く。京縫は継がん」
千鶴が険しい眼差しを長男に向け、腰を浮かしかけた。謙三はどんよりとした眼でそんな母を見返し、目の前の膳にあった銚子を掴んでぐいと一気に飲み干すと、今度は思い切り叫んだ。
「妾のやる商売や継げん」
二十畳の広間は今度こそ静まり返った。信太郎はピクリと眉を微かに震わせ、誠治郎は再び「阿呆が」と呟き天を仰いだ。駒蔵が一瞬虚を突かれている間に、最も雄雄しい行動をとったのは千鶴だった。すっくと立ち上がり、臨月までもうちょっとの大きな腹を抱えて息子のところまで来ると、立ったまま平手を振り下ろして激しく彼の頬を張った。座っている謙三は泥酔していることもあり、そのまま反対方向に倒れ込んで呻き声をあげた。興奮のためか頬を上気させた千鶴は、身じろぎせずに息子を見下ろしていた。駒蔵は出遅れた自分を恥じつつ、再び千鶴に惚れ直したと感じた。
「旦那さん。ええ機会ですから子供たちに聞いといてもらいたいことがあるんですが、今、ええでしょうか」
千鶴はそう言ってから、駒蔵にゆっくりと視線を移した。その迫力に気押されるように駒蔵は頷いた。そして子供たちみんなを「笹部のお母さん」の方を向いて正座させた。この突然の成り行きに息が止まりそうだった美津も、幼い子らを行儀よく座らせた。当の謙三は頬の痛みさえ感じる暇もなかったのか、体を起こして渋々座り直した。
「よう聞いておくんなはれや。笹部のお母ちゃんは、さっき謙三が言うた“めかけ”ちゃいますねんで。お妾さんゆうたらな、旦那さんに何から何までお世話になってはるお人だす。お母ちゃんはこの店を自分のお金だけでやってきてん。お父ちゃんからは一銭も貰とりまへん。そこは間違わんといてほしいねん。せやからな、謙三、英造、七郎。あんたらが恥ずかしい思うことは何一つおまへんのでっせ」
六歳から十九歳までの子供たちへの千鶴の物言いは柔らかで、最後には微笑んでさえいた。彼ら全員が理解したか否かに関わらず、千鶴は一家の中での自分の位置をこの場で明確に宣言したのだった。駒蔵は深く感じ入った。母親の矜持を示した千鶴に代わり、ここからは自分の出番だ。
「謙三よ。ここが気に入らんのなら、二年でも三年でも、東京で好きなことして来い。一人出すんも二人出すんも一緒や。せやけどお前な。卒業できるんか。大口叩くんはそれからにしぃや」
父親はもう一人の長男をこう戒めた。当時の中学校は落第も中退もめっぽう多かったのだ。
子供たちはこうして一人ずつ、親の元から旅立とうとしていた。
<第1章 了>
(つづく・次回の掲載は9月15日の予定です)
* 実在の資料、証言をもとにしたフィクションです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?