家庭内別居の始まり

沖縄から帰宅後、気まずい生活が始まった。
離婚すると断言して弁護士にまで相談した大吾。
弁護士の名刺を写メで送りつけ、今後こいつを通して話すと言っていた。

写メの弁護士に電話をしてみたが、ただの、電話相談的な感じで依頼を受けたわけでも何もないと言われた。所謂脅し的な感じなのだろう、離婚というワードが出たのでとりあえず弁護士と思ったのかもしれない。

こんな時は怒りが収まるまで待つしかない。
こうやって危機はいくつも乗り越えてきた。ただ、今回は自分自身がもう耐えれなくなっていた。

離婚をする上でいちばんの不安は、もちろんお金もあったが、1人で3人の子供を育てることができるのか?しかも1人は、重度知的障害。考えれば考えるほど不安になる。

平行戦のまま長い家庭内別居期間に入った。

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