* 霧の宴 プレリュード
*新進舞台俳優マリアム ローマを後に活動基盤をミラノに移す決心をする。
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遠い記憶の中から聞こえてくる、触れ合うシャンパングラスの冷たい響き。
G.ヴェルディxA.ボイトの<ファルスタッフ>の見事なクライマックスのフーガの効果に、アカデミアの仲間達は圧倒され、興奮も冷めやらぬままヴィア ヴェネトのカッフェッテリアに繰り出したのであった。
いつものトラステヴェレのタヴェルナではなく、その夜は<ファルスタッフ>の初日ということで、それぞれ思い思いの改まった服装をしていたので、タヴェルナの安酒の気分にはなれず、気取ったエレガントなヴィア ヴェネトにしようと洒落こんだのであった。
既に午前一時を回っていた。
シャンパン一本で、夜明けまでW.シェイクスピアを論じ合おうという魂胆である。
アカデミアでW,シェイクスピアの戯曲<ヘンリー四世>の講義が始まったばかりであったことから、折しもローマ歌劇場でA.ボイトの台本によるG.ヴェルディ最後のオペラ<ファルスタッフ>が上演されるというので、芝居としての<ウインザーの陽気な女房達>がA,ボイトの台本ではどのような形でオペラとして演じられるのか、若いアクターたちの興味は尽きなかった。
しかし、仲間たちの熱く賑やかなW.シェイクスピア討論に同席しながらも、マリアムの頭の中には、この軽妙ながら奥深い真実で皮肉な人間模様を驚くべきフーガに託した八十歳を目前にしたジュゼッペ ヴェルディという偉大な作曲家の脳裏にはその時、いったい何が往来していたのであろうか、とそればかりが気になっていた。
W.シェイクスピアの戯曲を基本にしたA.ボイトの台本のリブレットを片手に、G.ヴェルディの精力的な音楽の展開を目の当たりにして、作曲家の最後の作品が喜劇であることに、イタリア国家統一独立運動の動乱期を、彼自身も積極的に参加しながら生き抜いたG.ヴェルディが到達した究極の哲学なのであろうかとも思える。
Tutto il mondo è burla ! Ha Ha Ha,,,,,(とどのつまり)世の中すべては茶番なのだ! ハッハッハ、、、、!!と、笑い飛ばす、ある意味においてイタリア人特有の現実的で自嘲的なアイロニーとも云えるのではないか?
それにしても、<ファルスタッフ>初演の10年前に、すでにこの世を去っていたゲルマンの巨匠、同年生まれのR.ワグナーの最後の作品が、彼独自のロマンティシズムが頂点に達した厳粛な聖杯楽劇<パルジファル>であったとは、、、、、、!
20世紀半ばのイタリアは、かつてヨーロッパ中の芸術家や文化人を魅了し、何世紀にもわたり知識人たちが憧れ、訪れ続けたその謂れの幻影を未だわずかに残していた。そして、ローマもまた、その地に降り立つと、何千年もの多様な歴史の変遷を生々しく直接肌に感じさせていたが、すでに失ってから久しい誇りとその優雅さを、わずかながら秘めている、おそらく、最後の時期であった。
シャンパンの泡が沸々と消えてゆく様をぼんやり眺めながら、古いローマが、時代遅れの奢りと優雅さと、それゆえの怠惰な気風が入り交ざったローマ気質が失われてゆくのを、マリアムは心の隅で少し残念に感じていた。
なぜなら、零落してゆく空しさの頽廃の美が、そこにはまだ微かな妙光を放っていたからである、だが、、、、、、
時の移り変わりが、やがて終焉を告げるであろう、それが形骸化してしまう運命にあるならば、その頽廃の美を記憶に留め、無機質化した残骸を嘆く前に立ち去るべきか、、、、、、過去と決別しなければ、前進することはできないであろう、、、、
その朝、数年前までアカデミアでスタニスラフスキーシステムの講義をしていた先輩から、ミラノ スカラ座の来シーズンの出し物、G.プッチーニの三部作の演出をすることに決まった、という知らせをマリアムは受け取っていた。彼はアカデミアを後にしてアメリカに渡り、アクターズ スタディオで演出家に成るべき修業をし、帰国していたのだ。
やはり自分も北に行くべきか、、、、、
後ろ髪を引かれる古都ローマへの愛着と、未知なる可能性を切り開く新しい刺激への渇望が、マリアムの頭の中に吹き荒れる嵐のように渦巻いていた。