魔法のように美味しい芸術
こんなにも美しく優しさ溢れる手を、今まで見たことがあっただろうか?
Grand Chef 松尾の手が食材に触れる瞬時である。
彼は一つ一つの食材をそっと慈愛を込めて眺め、自らの料理のために生命を捧げてくれる食材を愛おしんでいるかのようである。
「優しく接する」というのが彼の食材に向かう時の精神的な佇まいなのだ。「なぜなら、彼らは命なのだから」と彼は言う。
<優しさ>Gentile(伊)、という形容詞が古語になってしまったような現代のせわしなく、殺伐とした砂漠のような乾きの中で、松尾シェフは<優しさ>としめやかな<優雅さ>に満ちた一皿で、ともすると乾いてしまいそうなわたしの感性を潤してくれる。
幼かった頃、わたしは料理をする時の母の手を見るのが好きであった。長い指のほっそりした彼女の手は、無駄のない動きで丁寧に食材を扱い、実に手早く美味しいオリジナルな料理を作りあげる。そして調理が完成する頃には,流し台はきれいに片付けられているのであった。
それほどレパートリーが広かった筈はないと思うのだが、それでも和洋様々な彼女の手作りおやつも彼女のオリジナルで、わたしは味を贅沢に育った。それらは、今でも舌に甦る美味しさの記憶として残っている。
たまたまYou tubeで見かけた松尾シェフの佇まいに、わたしはスッカリ魅せられてしまった。何とエレガントな、優しく親しみやすい雰囲気の方なのであろう!そして、動画を通して伝わってくる一つ一つのpiattoの優しい美味しさが、画像を眺めているわたしの舌に広がってくる。こんなことは今まで無かったことに気づき、わたしは驚いた。
手際よくさりげなく丁寧に食材を捌ってゆくシェフの所作は、茶筅を操る茶人の様に美しい。 俄かに興味をそそられて、わたしは松尾シェフの著書を買いあさった。そして長い年間ヨーロッパに暮らしたわたしにとって、シェフが使われる食材や香味料等々を使った料理は、実に懐かしく、身近なものであることを発見した。
確かに、その昔フランス料理と云えば、バターやクリームがふんだんに使われていて、洗練されてはいたが濃厚な味であった。その頃、常に天然の食材に恵まれている地中海食のイタリア人は「フランス人はソースを食べる」と揶揄していた。ところが健康志向の風潮が押し寄せはじめると、新鮮な食材の個性を重視する料理に目覚め、あれほどイタリア人やその料理を軽蔑していたフランスが、Nouvelle cuisine なる料理法を唱え出したのであった。その頃イタリアでは「何が新しい料理かって?そんな物、俺たちは古代ローマ時代から喰ってるんだぞ!」と云ったものだ。
松尾シェフがYou tubeで紹介される数々の料理は、庶民にも気軽に挑戦できる家庭料理であるが、そこにシェフのプロフェッショナルなエスプリが、本来の良さを尊重しつつ、最小のアレンジをして見事な一品に変身させて見せてくれる。さながら非の打ちどころのない芸術作品の様である。
それは、松尾シェフが食材を吟味するスタートから始まり、大切に野菜を刻む過程、素材を優しく愛しみながら料理する過程、そして素材の美しさを尊重しながら盛り付けをする迄、全て松尾シェフという一人の人間の品格を宿した、極上の美味しい芸術の世界なのである。