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ナニワ節精神PARTⅡ

今回のオリンピックにしても
女子卓球の早田ひなが、ドライヤーも持てないぐらいの利き腕の痛みを押して試合に出、銅メダルを獲る。
また
白血病という大きな病を乗り越えた女子競泳の池江璃花子が2試合に出場する。彼女はメダルこそ逃したものの、〝ガンバレ、ガンバレ〟と心の中で声援を送っている人もまた多かったのではないか。

ケガや病は人間につきものだけど、大事な瞬間にそれにかかってしまうと大事おおごとである。
前回も言った通り
「ものすごい逆風が吹いてるけど、それをものともせず栄冠を勝ち取る」ことが、この国の人たちは好きなのだ。

こんな話もあります。
「何かの事故で半身不随になってガンバって生きてきた人が、その後目も見えなくなった」
これに24時間TVのプロデューサーだかディレクターが飛びつき
「早速取材だ」と言ったそうです。

あなたはハンディキャップを抱えた人たちに対して、どんな態度を取るでしょう。
同情❓ 励まし❓ それとも差別❓
パラリンピックに出ることのできる人は、ごく少数派なんです。
大抵はハンデに潰される。
それをTV、ラジオで取り上げても普通のことだから、一般視聴者は見向きもしない。逆風が吹いていても〝健気に頑張る人〟を応援したくなる。

24時間TVの関係者は、人の不幸を逆手に取っている典型と言える。
あんな「にわか応援」やめたらいいのに・・・。

世界全体の人口の15%は障害者だと言われています。
バリアフリーとかノーマライゼーションと呼ばれる健常者と障害者との共生関係も一方で叫ばれている。

「にわか応援」でなく「いつも応援」だったら話は別。
「困っている人に手を差し伸べる」のは確かに大切だけど
未然に障害者関連のトラブルを避けるのも大事だ。


以前より平均寿命が延びて
認知症患者が増えるのは 仕方ないと思う。

私の父親なんて高齢で入院中だが、一時は危なかった。
歩けない
自分で食べれない
受け答えができない の三重苦。
本人はどう思っているかはわからないが
とにかく「生きて」はいる。

脳の部品が古びてしまって、有害な物質がそこに溜まってしまい、そうなると言われている。
経年劣化。
認知症=障害
と言えなくもないが
父親がまだ施設にいた時、血圧が200に上がっただけで、私は呼び出された。
救急車👉病院で処置👉合流👉介護タクシーで施設に戻る という流れだった。
このように人は体調の変化ひとつで、多くの人の手を煩わせることになる。
病院ではそこのスタッフはもとより、施設の看護師が付き添ってきていた。
私も病院で一応仮払いは済ませたものの、超過分があるということで再び後日そこに行かなくてはならなかった。

高齢の父親は現在、体調的には小康状態である。
これでまた亡くなりでもしたら、家はバタつくし、より多くの人たちが動くことになるんだと思う。


人の一生とは
だいたい祝福されて生まれ、両親からの愛を受けて育ち、結婚、出産を経て生い立ち、そして衰えて死ぬ。
その途上で無理をすることも多々あるだろうが
周囲からの期待に応えるために無理を押してでも「ガンバラなくては」ならないこともあるだろう。
それが特に日本人が好む「ナニワ節精神」によって強化され
頑張りすぎることで心身のどこかがおかしくなる。

人は自分の行いを誰かに評価してもらいたいと、心のどこかでいつも思っている。
しかし、それに対して代償を払わねば済まない事態を招くことがある。
心身を病むのがその代表例。
それで障害者になることも。

頑張り抜いて成功した人をマスコミではよく取り上げるが
その陰で潰れていった人もまた多いだろう。
マスコミなんて失敗者、敗残者を置いてけぼりにするのだけは得意だからね。
あのMLBの大谷ですら、打てない勝てないが続くとなるとソッポを向くに違いない。

ここで大事なのは「自分で自分を評価してあげる」ということだ。
結果だけを引き合いに出して、あーだこうだと言う人は多い。
成功だろうが失敗だろうが、その過程を褒めてあげること。
たとえば小説が賞も獲れず、出版がままならないとしても、作者はそれを頑張って仕上げたのだから評価に値するのだ。
誰かにそれを読んでもらい、「面白かった」「ここはこーすれば良いのではないか」とか、いろいろな評価がついて回るかとは思うが
達成感は何物にも替えがたいし、人生の宝物にはなるだろう。


パラリンピックは世界中から各競技者が集まるが
究極のナニワ節精神の発露 だと思う。
逆風にもめげず、課題を克服して出場を勝ち取ったからだ。
右がダメなら左があり、下がダメなら上がある。

たとえ健常者であってさえ、逆に順風満帆な時ほど、注意が必要なのだ。


おまけ


トップがガン

(Xの投稿より)

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