読書記録『注文をまちがえる料理店のつくりかた』
お互いを思いやる心
ここは「注文をまちがえる料理店」。
注文をまちがえるといっても、料理人はプロ、提供する食事の味も文句なし。
何が違うかというと、ホールスタッフが「認知症」の方だという点である。
ホールスタッフが認知症の方ということで、メニューを取り違える可能性がある。
もしかしたらうまくオーダーもとれないかもしれない。
そういった点で「注文をまちがえる料理店」なのだ。
私は介護施設で数年働いていた。
認知症の利用者さんももちろん多数いた。
この認知症といもの、個人差が大きい。
できること、できないこと、分かること、分からないこと、人によって様々だ。
昔から励まれていたことは認知症になったとしてもできることが多い気がする。
針仕事や包丁を使っての調理、見守りは必要だと思うが、思っている以上にできる方が多い。
(私の方が不器用なので利用者さんに指導されることも多々あり)
できること、できないことを見極めて協力することの大切さを感じる。
「注文をまちがえる料理店」という名は、ともすればホールスタッフが怒り出すのでは、ということをまず私は想像した。
彼らは間違いたくなどないのだ。プライドは無くならない。
発起人の協力者に介護施設の運営者がおり、そこを経由しての人材派遣だったため、その協力をいかにして本人たちに伝えたかはわからないが(記述がない)、少しもめたのではないかと想像する。
でもこのような名前にして、社会へ興味を引くことは必要であったと思う。
本人たちにも病気であり、社会の人たちに知ってもらうことの大切さを説いてお願いしたのであろうか。
このような取り組みに賛同し、協力をするのは偽善であろうか。
思いやりのつもりが他者のプライドを折るかもしれない。
そう思って一歩踏み出す勇気がないことを自覚している。
でも、やらない善よりやる偽善の方が大切だ。
動けるひとになりたい。
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