個人と社会
昔、世間のことなーーーんにもわかってなくて入学した大学の国際関係法の一回目の授業で、波多野教授は世界にはまだ奴隷売買が行われている国があって云々といったお話をされた。
奴隷?
こんな現代社会(’91年だった)でそんな歴史の授業で聞いたようなことがいまだあるの???
ってショック受けたのを今でも覚えてる。
自分が生きてる世の中でそんな人間の尊厳を踏みにじる不条理が存在するなんて信じたくなかったし、向き合いたくなかった、あの頃のナイーブな俺。
生きて歳を重ねてくにつれて、内から外から色んな垢が錆が粘濃いものがこびりついていって、重曹程度じゃ掻き落とせなくなってくる。
積読ちゅうだったこの本を読み終わって、生きるってなんだろう?
て改めて考えてしまった。3日くらい。
人間だってミミズだってオケラだってアメンボだって、生命の源泉をもとめて上流に向かっていけば、そこには量子物理学の世界があった。
有機物も無機物も構成している素の元素のそのまた構成要素である量子ってすごい小さくて(幼稚な語彙力な)、原子よりさらにちっさい世界。
原子の中心にあるのが原子核で、サッカー場を一つの原子だと仮定すると、原子核はその中に転がってるサッカーボールぐらいの大きさらしい。(なんかのテレビでやってた)。
量子、要は電子や陽子はそのサッカーボールよりも更に小さい小さいミニミニサイズ。
でもそんなミニミニサイズの振る舞いにより、人間は思考し行動し、お金に振り回されて殺戮も行えば、子孫を残したりホームランかっ飛ばしたりする。
野鳥が定期的に渡りを行えるのも、植物が光合成できるのも、その仕組を突き詰めていくと量子的振る舞いがあればこそというのが研究でわかってきているという。