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祈りの先にあるもの

旅先で早朝に散歩する。
まだ街が起き出していない時間帯に一人ホテルから出て、あてもなく歩を進める。目に映るものは原色よりも淡い色彩で目にやさしい。
下調べしたわけではないけど寺社仏閣を見つけると自ずと参拝する。
手を合わせるたびに、様々な人の顔を思い浮かべる。

祈りは届かないかもしれない。
願いは叶わないかもしれない。
自分の非力さに打ちひしがれるかもしれない。

それでもなぜ祈り続けるのか。

今の僕は禅問答のように問うてしまう。

しかしいつの日か、そのような問いが頭によぎることなく、真っすぐな想いで祈りの場の前に立てる日が来ることを信じている。

自啓共創塾のテキスト「世界のための日本のこころ」でも稲盛和夫氏の「生き方」にも書いてあった「真我(大我)」に触れるための修養といってもよいかもしれない。

自分を超えた存在に対し、無心に向き合う。

それはその場限りのことではなくて日常生活のひとつひとつを疎かにせず、私心を排し陰徳を積み続けなければその境地に達しないと思う。

今日も皆様にとって良い一日になりますように。

今、僕が原爆ドームを前にしたらどんな音が聞こえるかな。

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竹内康司
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