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読書録「ライフワークの思想」2011/2023
外山滋比古「ライフワークの思想」(筑摩書房)
読み終わってから約1週間後に感想を書いている。
次の本を読みたい、という欲求に負け読書ノートを書くことをなおざりにしてしまった。読了後の感動をライブに書き残すため、やはり日を置くことなく記録をつけるべきだろう。
そんなわけで今回の感想文はいつもより落ち着いた文体になることが予想される。(多分)
本書は、見過ぎ世過ぎの仕事とは別にライフワークという仕事にスポットを当て「知的生活とは何ぞや」を論じたものである。レトリックの専門家である著者の文章は分かりやすく、興味深いたとえ話から著者の持論を展開している。
ただ単に知識を増やせばいい、という知識偏重主義を批判し自ら考える「大人の学び方」を紹介していた。その中で、たまたま今、開いたページで目に留まった内容を記そう。
学習されるものは外来のものである。覚えただけのものはまだ借り物と言ってよい。それが頭の中で消化、同化作用を受けてはじめて精神の糧として骨肉化される。忘却はこの消化と同化の作用になくてはならない消化剤である。(p80)
新陳代謝が活発になるように「摂取」だけではなく「排泄」も必要である。知識を摂取するとは他人の言葉を頭の中に詰め込む行為と考えると想像的な活動とはいえないだろう。
頭に蓄積された知識を誰かに語り掛けても、他人の言葉で話しているので主体性が存在しない。
100%オリジナルは不可能かもしれない。
しかし忘却という「排泄」行為によって一度蓄えたものを今度は自分で再構成する時、自分なりの解釈が生まれるのではないだろうか。また忘れっぽい人間は物事に悪く執着しないという長所もある。
このように「忘却」とは「創造」に関係しているのだ。
以前のnoteで「言葉を熟成させる」と書いたが時間を置き、いったん「忘却」させることでチーズやワインのように味わい深いものが生まれると僕は感じている。
今日も皆様にとってよい一日でありますように。
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