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〇〇を演じる

上記の記事ともオーバーラップするかもしれないが、自分という存在の可変性について常々考えることがある。

会社では有能なプレイングマネージャー、家庭では良父賢夫、旧知の友人の前では気の置けない三枚目…など他者や社会状況に応じて色々な顔を見せる。でもそれって、もしかしたらそのシチュエーションごとに無意識のうちに「自分」を使い分けているだけで、本質的にはどこか冷めた目で見つめるメタな存在がいるのかもしれない。

こんなことを書くと、「ああ、やはりちょっと変わっているね」と思われるかもしれないけど、あえて述べるならば僕は人の気持ちが理解できないことがあるので、その場にふさわしい「自分」を演じている。

たとえば学校では従順な優等生、職場では上司や同僚に気に入られるさわやか会社員(相対性理論の楽曲か笑)を演じるためにドラマや映画を見ている。特に女性との会話は某月9ドラマ(死後か)を大いに参考にした。
もちろん恋愛小説も読むけど僕が好む純文学は真似すると少し(いや大分)火傷する恐れがあるからドラマの方が無難だ。

この前、「テレビを見よう」という記事を書いたが、ある種テレビ視聴者のメインターゲットである中高年層にとって望ましいキャラクターとは何かを参考にするために視聴しているのかもしれない。

だいぶ嫌な人間であることが露呈してしまったものの、自分をよく見せようとカッコつけても、いつかはメッキがボロボロと剥がれ落ちてしまうので傷の浅いうちにさらけ出した方がいいかなと。

もしかしたらこんな風にnote上で登場する竹内康司という人格によって、リアルの世界における鬱屈した思いを発散してバランスをとっているのかもしれないと思った。

あんまり深く考えるのはやめよう。
とりあえず、一部の人に共感して頂ければ幸いである。

今日も皆様にとって良い一日になりますように。

こんな曲も歌っていたんだ…。
もはや二日に一回の頻度でカラオケに行っていた日々が懐かしい。

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竹内康司
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