2月のセプテンバー
宇宙から届く水素の発光スペクトルの波長は地球上の水素より長い。これはドップラー効果による。地球から遠ざかりつつある水素が発光しているのである。あちこちの星から発光される水素スペクトルを検討すると、遠くにある星の水素ほどドップラー効果が大きいという。
これはどういうことか?
地球から遠い星ほど地球から遠ざかる速度が大きいということである。
はるかかなたの星は光速で地球から遠ざかっているかもしれない。
その星から出た光はどうなるのだろう。
光速で遠ざかる星から出た光速の光は後ろへは進まない。
すなわち、未来永劫、地球へは届かないことになる。
この世とあの世の違いはどこにあるのか。
この世は体験可能な世界、あの世は体験不可能な世界とすれば、遠ざかる速度が光速になった所で、この世の周縁部、端っこということになるのではないか。
これは、精神的なあの世、この世を科学的に定義する一つの方法論である。
齋藤勝裕「絶対わかる量子化学」(講談社サイエンティフィック)p132
選択科目として履修した量子化学の講義がチンプンカンプンで復習のため図書館で借りた参考図書に書かれていたコラムである。量子化学とは量子力学を活用し、原子や電子の振る舞いから分子構造や化学結合を分析する学問だ。
50代後半くらいの篠田先生が担当する量子化学の授業は詳細な講義ノートが毎回配布されたので教科書は不要だった。しかし数多くの数式が板書され抽象的な議論が展開されたので、なかなかイメージを掴みづらく四苦八苦した。
篠田先生はよく講義の合間に講義とは関係のないお話をしてくれた。
確か在家のまま得度したと話していたような気がする。
その中で幼子を亡くした母親と釈迦のエピソードが印象的だった。
子どもを亡くし悲しみに打ちひしがれる母親に対し釈迦が、
「今まで死者が出たことのない家から芥子の実を持ってくれば、子どもを生き返らせる薬を作ることができる」と言った。
母親は必死になって家々を訪ねるが、どの家でも芥子の実はあるものの死者の出たことがない家は見つからない。
母親はついに、この世は無常であり、死は誰にでもやってくる。子どもの死は取り返しのつかないことだが、子を亡くしてもなお私はここに生きている、と悟った。
こうして釈迦の言葉の本意を知った母親はあらためて釈迦のもとに行き弟子になったという。
シュレーディンガー方程式の導出方法や分子軌道法は、すっかり忘れてしまったけれど穏やかな声で話す篠田先生のお話は今でも覚えている。
今日も皆様にとってよい一日でありますように。